チラシの裏に書くべき、なのか?  #2

本の面白さをめぐる考察は、全く個人的な事業である。つまり、私が自らの興味に従って提示した問いに、自分自身で答える。その答えは、他人に通用しなくても構わない。私が納得すれば、それが正解。だからといって、この先の航路が短く平穏なものになるという見通しは立たない。私は滅多なことでは自分自身の言い分を受け入れない性質なのである。

このような個人的な問いを、私はネットに「展示」しようとしている。2ちゃんねる流に表現するなら、そんなことは「チラシの裏に書いておけ」……日記に書けばいいようなことなのではないのか、と。確かにそうなのだが、もしかしたら誰かに読まれるかもしれないという緊張感はあった方が良い。むしろ、必要だ。それでなくては書き出すのは難しく、書き続けるのはさらに困難だ。長い間、「発表」をするための文章ばかり書いて来た弊害というところだろうか。

いま、「もしかしたら誰かに読まれるかもしれない」という微妙な書き方をしたのは、ネット上に自分の書いたものをさらす実験をした経験に基づいている。つまりは多少なりとも根拠のある言明だと思ってもらえると嬉しい。

だいぶ前のことになるが、名前は出さなかったものの、見る人が見たら私が書いたと推察できる符丁を使い、メジャーではないが確実に興味を持つ人が存在する話題を「ネタ」に、しかし、広く読まれるようにするための細工は一切しないで、数日おきに二週間ほど短い文章をアップし続けた。その結果、アクセスはごく少数しかなく、知り合いには全く気づかれなかった。

私には、ごく少数とはいえアクセスがあったことが面白かった。誰かが読んだのは確かなのである。材料にした「ある事象」を検索して来たのだろう。しかし、書いたものへの反応は一切なかった。ネットでただ発表をしても、有名人でない限り、あるいは特別な操作をしない限り、反響はほとんどないのが普通のようだ。そして、私が今回ネットに自らの考察を「展示」するのに際して望んでいるのは、こうした「公にはするが多くの人の目には触れない」状態である。前の実験の時と違い、今回は自分の名前を出しているが、それだけでアクセスが生じるようなことはないだろう。

実を言えば、これも実験なのである。訓練と言ってもいい。私は自力でネットを使えるようになりたいと望んでいる。そのために、サーバーを借りた。ブログなんていくらでも無料でできるのに、なぜそんなことをするのか、という話は……今はやめておこう。秘密めかしているのではなく、まだ発表できるほどの準備も心構えもできていないからだ。

私は、少なくとも現段階では多くのアクセスを望んでいない。たぶん、この望みはかなえられるはずだ。で、「ドン・キホーテ」に至る道のりの最初に置かれる書物は、「風土記」である。「風土記」が、なんで面白いのかという話から始めたい。

いかにも遠回りになりそうな選択だ。だいいち、なんで「ドン・キホーテ」から「風土記」なのか、意味不明だろうと思う。時代的、文化的な距離の遠さが「ドン・キホーテ」のわかりにくい面白さの一因かもしれないという仮説、ないし予感があってのことではある。遠さの故に、両者には容易に読者の感情移入を許さないという共通点がある。一方で、単に最近私が面白いと感じた本について語りたいから……というのも否定はできないわけだが。

そもそも、「風土記」に興味を持つ人は少数派であるらしい。多数のアクセスを望まない(しかしゼロではない方がいい)今の私には、格好の素材ということになるだろうか。もちろん、前提として、私が本当に「風土記」が面白いと思っているのでなければならないが、それは大丈夫。実際面白く読んだのだから。で、無理にそうしたいわけではないのだが、この先も、考える材料として俎上にあがるのは、こうした「有名だが、あまり人気のない作品」が主になる。取り上げる本、および作者の皆様(とっくにこの世にいない人ばかりになりそうだけれど)、こんなこと言って、ごめんなさい。