ヤマトタケルの指 常陸国風土記(1)  #4

風土記の刊本は、「延喜式」の国の並び順に従って「常陸国風土記」から始めるのが通例とのことで、角川ソフィア文庫版(中村啓信監修・訳注)もそうなっている。常陸国が風土記巻頭に置かれるのは、読者にとって幸運と言えそうだ。「常陸国風土記」は始まりからして興味深く、読者が作中に入り込みやすいのである。私が本屋で立ち読みしたのも、この部分だった。風土記中、まとまって現存するのは五か国で、常陸以下、出雲、播磨、筑前、筑後である(ほかに風土記から他書に引用されたものを採取した「逸文」も風土記の一部とされる)。

「常陸国風土記」の冒頭、記紀神話中最大の悲劇的英雄倭武やまとたけるが登場する。「常陸国風土記」では、「倭武天皇」と表記されるのだが、即位することなく亡くなった倭武がなぜ「天皇」なのか、興味を覚えた方は三浦氏の新書をご覧ください。私が面白いと思ったのは、そこではなかった。

倭武は東夷の国を巡視し、新治県にひばりのあがたを過ぎたところで国造に命じて井戸を掘らせた。

流泉いずみ浄く澄み、いたく好愛うつくし。時に、乗輿みこしを停めて、水をもてあそび、みてを洗いたまふ。」

すると、御衣みけしの袖が泉に垂れてぬれた。そこで、袖をひたすという意味から、常陸という国の名になった。風土記の中心をなすと言ってもいい地名起源説話の常陸国版である。ただし、地名起源も私の関心事ではない。

私を惹きつけたのは、上記の文章から伝わって来る清冽な泉の水に手を触れた時の冷たさ、爽やかさだ。1300年の時を隔てて、私には読みやすいとは言えない訓読文から、水の感触が直かに伝わって来る気がした。私の目は、流れる泉の水をもてあそぶ一人の若者の指に注がれている。

大和国を遠く離れて我姫あづまに来た者の名、倭武という名前があるからこそ、この挿話は地名起源として採用されたのだろう。しかし、もし書き手が湧き出る清水の感触について語りたかったのだとしたら、浄い水に触れたのは、本当はだれの指だって良かったことになる。あなたや私の指であっても良い。書き手は、だれもが知る「清水に指をひたす心地よさ」を透明度の高い文章で簡潔に書き表し、普遍的な表現の域に到達させたのだ。

実は、貴人の命で井戸を掘り、そこから清い水があふれ出して……というのは、定型表現である。風土記を読み進む内、似た内容が繰り返されることに気づいた。上代の文学や歴史に詳しい人にとっては、常識だろう。しかし、そうと分かった上で読み返しても、この短い文章はなお私を強く喚起する。似た内容とはいえ、文章はそれぞれに違うのだ。この文章が生み出す活き活きとした感覚、動きと静けさ、はかない美しさ。定型中の小さな差違として読み過ごせるようなものではない。