日別アーカイブ: 2018年9月10日

古代の書物を読む楽しみ 常陸国風土記(3)  #6

前回と同じような、人々が集って楽しむ様を描いた例をもう一つ挙げよう。久慈郡(くじのこほり)の一節である。

「浄き泉は淵をして、しもに是れそそながる。青葉はおのづからひかりかくす。きぬがさひるがえし、白砂しらすなごは亦、波をもてあそむしろく。夏の月の熱き日に、遠き里近きさとより、熱きを避け涼しきを追ひて、膝をちかづけ手を携へて、筑波の雅曲みやひとぶりを唱ひ、久慈の味酒うまさけを飲む。是れ、人間ひとのよの遊びにあれども、ひたぶる塵中よのなかわづらひを忘る。」

前にあげた二つの文に比してやや説明的だが、これも「夏の月の熱き日」の実感を伝えて間然とするところがない。真夏の光のまぶしさ、それ故に濃くなる陰影、酷暑をも楽しみに変えて遊ぶ人々。個人的には三菱の創始者岩崎彌太郎の日記中、夏の一日を親族や社員と共に川原で楽しんだ場面を想起する。彌太郎の評伝を書くために彼の日記を熟読したからだが、まあ、そんな人間は世界中で私以外ほぼいないとしても、盛夏の楽しみが古代も明治時代も同じようなものだと分かるのは、やはり面白いことだ。私も子供時代にこんな楽しい時間を過ごしたことがある。今の子供も少し幸運なら可能だろう。 続きを読む