前回と同じような、人々が集って楽しむ様を描いた例をもう一つ挙げよう。久慈郡(くじのこほり)の一節である。
「浄き泉は淵を作して、下に是れ潺ぎ湲る。青葉は自に景を蔭す。蓋を飄し、白砂は亦、波を翫ぶ席を舗く。夏の月の熱き日に、遠き里近き郷より、熱きを避け涼しきを追ひて、膝を促け手を携へて、筑波の雅曲を唱ひ、久慈の味酒を飲む。是れ、人間の遊びにあれども、頓に塵中の煩を忘る。」
前にあげた二つの文に比してやや説明的だが、これも「夏の月の熱き日」の実感を伝えて間然とするところがない。真夏の光のまぶしさ、それ故に濃くなる陰影、酷暑をも楽しみに変えて遊ぶ人々。個人的には三菱の創始者岩崎彌太郎の日記中、夏の一日を親族や社員と共に川原で楽しんだ場面を想起する。彌太郎の評伝を書くために彼の日記を熟読したからだが、まあ、そんな人間は世界中で私以外ほぼいないとしても、盛夏の楽しみが古代も明治時代も同じようなものだと分かるのは、やはり面白いことだ。私も子供時代にこんな楽しい時間を過ごしたことがある。今の子供も少し幸運なら可能だろう。 続きを読む