日別アーカイブ: 2018年10月10日

「事件記者」に事件はいらない  #12

奈良時代ほど古くはないが、それでも結構な昔、1953年(昭和28年、私の生まれた年)に日本のTV放送は始まった。しかし、私の故郷である宮崎県北部地方となると、TV電波の中継所が完成するまで、それからさらに6,7年を要した。このため、隣家に住む叔父(父の弟)の家では、高い高いアンテナを立てて隣県大分のTV電波を受信していた。私を含む近所の子供たちは、叔父宅に集まってTVに見入ったものだ。もちろん白黒の放送である。

ある晩、私の父親がせき切って叔父宅に息やって来た。「うちでもTVが見られるぞ!」家に戻ってTVを見たところ、映っていたのがNHKのつまらない番組だったので大変にガッカリしたことが忘れられない。我が家の正しい高さのTVアンテナでは、NHKの試験放送用電波しか捉えられなかったのである。ともあれ、ようやく私の故郷延岡市もTV放送の恩恵に浴することになったわけである。その後も、宮崎県には長い間ローカル民放局が一つしかなかった。やがて一つ増えて二局になったものの……今も二局しかない。

白黒TV時代、NHKでは「事件記者」なる連続ドラマをやっていた(生放送だったそうだ)。記憶は怪しくても、警視庁記者クラブ詰めの新聞記者たちによる「群像劇」とWikipediaで情報をゲットできる便利な世の中。事件もの連続ドラマでは、TBSの「七人の刑事」が、警視庁の建物のダイナミックな空撮、男声ハミングによるテーマ曲などオープニングからして斬新で、非常に人気が高かった。「事件記者」は「七人の刑事」に比べると地味だったものの、それでも結構な人気で、私もよく見ていたようだ。

中でも、新聞記者たちが「ひさご」という飲み屋に集まって雑談する場面が私のお気に入りだった。そこで交わされる会話と人間模様が楽しかったらしい。どんな内容だったのかは何一つ覚えていないのだが。「ひさご」の名は、Wikipediaに頼らずとも頭の中にあった。私のスーパーな忘却力からすると奇跡に近いが、覚えていたのには理由がある。

――その夜の「事件記者」は、事件のない暇な日、記者たちが「ひさご」に集まって時間をつぶす内容だ、という情報を事前に私は得ていたらしい。当然、大きな期待と共に番組を見始めた。実際、当分の間何事も起こらず、記者たちは雑談をするばかりで、期待は満たされるかと思われた。が、やがて事件は起こってしまった。事件発生までのリードタイムが普段より長かっただけだったのだ。「ひさご」での雑談タイムは終わり、記者たちは店を退出して、いつも通りの展開に戻った。私は大変ガッカリした。だまされたと思って憤りさえしたのである。

「事件記者」というタイトルなのに、私には事件が不要だった。事件は、単なる出来事ではない。伏線があり、発端があり、決定的な事態が生じ、その後の経過があって、解決(あるいは、滅多にないが未解決)に至る。関わるのも単なる人間ではなく、犯人だったり、被害者だったり、目撃者だったり、刑事だったり、関係者の家族だったりする。こうした要素を融合させて、事件はドラマに組み立てられる。

私には、それらの要素が全て余計で、ただ登場人物がいれば良かったのである。TV草創期にはドラマ、ニュース、音楽、クイズはあっても、トーク番組は存在しなかった。私が求めていたのは、お喋りだけの番組だったのかもしれない。

私にとって、起伏のあるストーリーが展開するドラマは関心の外だった。実は、この傾向は今も変わらない。わが家の500GBハードディスクがほぼ満杯のTV用のレコーダーには、ただの一度もドラマが録画されたことがない(妻はTV番組そのものに興味がない)。……というところで、文章が1回分の容量に達してしまった。TVの話ばかりというのは何だか情けない。次回は本の話に戻ろう。