謎解きとストーリー  #14

小説の成り立ちを要素として抽出するなら、ストーリー、登場人物、テーマ、文体といったところだろうか。どれを重視するかは作家、作品によって様々だけれど、ミステリーの場合、謎解きという絶対的使命があるので、ストーリーの重要性という一線がぶれる可能性は極めて小さい。これは、小説にストーリーの面白さを求める恐らくは多数派である読者に対して大きな強味となる。

文体が重要とか、小説は人間を書くものとか、テーマを重視すべきといった重さや深さを尊重する文学観が小説の世界に蔽いかぶさっていた時代には、ストーリー重視の小説は軽くみられる傾向があった。ミステリーはその代表だったかもしれない。ミステリー作品では直木賞は取れないと言われていたはずだ。どんな時代でも、時の「文学的常識」から逃れることは容易ではないのである。「文学観」の天蓋が外れてしまった現代において、こうした状況は想像しにくいかもしれない。

ミステリーは、小説に寄せられていたこうした「文学的期待」を無視したり、はぐらかしたり、時には利用したり(「社会派ミステリー」とか)することで、着々と読者を増やし、地歩を固めていった(と傍目には見える)。純文学は素直に重々しい「文学的期待」に応えようと頑張っていたわけだが(たぶん)、いつの間にかこうした重荷を背負うことに意味が見いだしづらくなった。「文学のパラダイム転換」が、知らぬ間に起こっていたのだ。

どんな小説も、実は謎解きなのだと言われることがある。<変死体の発見>というほどあからさまでないだけで、作品中に何らかの(時には複数の)謎が提示され、その謎がどう解決されるのか知ることが、読み続ける誘因(の一つ)になる。主人公がいきなり虫になってしまったけど、この人はどうなるの? あるいは、作者はこのむちゃくちゃな事態をどう解決するつもり? 九州から出て来て東京大学に入った後、彼の学生生活は順調に進むのか? はたまた、池の端で出会った美人とは仲良くなれるのか? ……

どんな小説でも、謎の提示から解決へという流れで概要を示すことは可能である。屁理屈みたいになることはありそうだが、謎解きをキーワードにして説明できない小説は恐らく存在しない。この「事実」は、小説の成り立ちの真実を(少なくともその一面を)示しているはずだ。ミステリーは、謎解きこそがストーリーというアンコを最もおいしくする成分だと見抜き、そこに焦点を当てて小説をストーリーの面白さの方向で純化させたのである。熱中する読者がたくさん出て来て当然だった。

私は生来ミステリーの門外漢だが、小説を書く上でストーリーは大事だと考えていた。読むに際してはストーリー指向ではなかったのに、自分の書く小説はたくさんの読者に「面白い」と思ってほしかったのだ。で、主人公(兼語り手)が冒頭で蛙になり、そこから人間に戻るまでが一つのストーリー・ラインとなるような小説を造り出した。それが私のデビュー作になった。

だが私の小説は、当時は(その後も長い間)気づかなかったが、そのようにうまくできてはいなかった。強固なストーリー・ラインを築くには、読者にとって邪魔な要素が多すぎたのだ(しかしそれらの余分は作者である私にとっては小説を作る上で不可欠の何事かだった)。あるいは、一見ストーリー重視のようでありながら、小説を構成する種々の要素が、ミステリーのようにストーリーの魅力を増すのに貢献せず、逆に障害物に見えたかもしれない。謎解きという頑丈な背骨があれば、ミステリーにありがちな(?)蘊蓄話みたいな、私にとっては邪魔としか思えない部分も、多くの読者は喜んで受け入れてくれるものなのだが。……あれ、また次回に続くになってしまった。なかなか先に進まない。