日別アーカイブ: 2018年11月10日

日本書紀と古事記、絡まり合う二匹の大蛇  #18

前回、ちょっとだけだが風土記を思い出した。で、ここで記紀に触れなければ、この先、両書の出番がないかもしれない。また話が先に進まなくなりそうだが、両書については書きたいことがあるし、多少なりともテーマを掘り下げるのに役立ちそうな予感もある。

古事記に関して著書の多い国文学者の三浦佑之氏は、「記紀」という呼び方に異を唱えており、二つの書物を一括りにすべきではないと語っている。便利なので、つい使ってしまうけれど。それにしても、「正史」がほぼ同時期に二つ作られ、両者ともに残っていること自体が何と興味深く、驚くべきことか、と思う。似ていて違っていて、その似方や違い方にみな意味がありそうで、研究者に(アマチュア歴史家にも)無限に続く探究の楽しみを約束しているかのようだ。

新約聖書の福音書を作者の違うイエス伝の集成だと考えるなら、記紀同様、その類似点や相異点の探究は興味深い。しかし、国の成り立ちを語る記紀とはスケールが違っている。また、記紀には、特に古事記には、時に読む人をたじろがせるほどの神秘性が漂っている。色合いの違う二匹の大蛇が、鈍く輝く鱗を光らせながら、DNAの二重螺旋みたいにヌメヌメと絡まり合っている……とでも言うような。どちらか片方だけでも貴いのに、二つ合わせるとさらに深い魅力がある。そっぽを向き合っていて、互いへの言及がないのも興味深い。 続きを読む