日本書紀と古事記、絡まり合う二匹の大蛇  #18

前回、ちょっとだけだが風土記を思い出した。で、ここで記紀に触れなければ、この先、両書の出番がないかもしれない。また話が先に進まなくなりそうだが、両書については書きたいことがあるし、多少なりともテーマを掘り下げるのに役立ちそうな予感もある。

古事記に関して著書の多い国文学者の三浦佑之氏は、「記紀」という呼び方に異を唱えており、二つの書物を一括りにすべきではないと語っている。便利なので、つい使ってしまうけれど。それにしても、「正史」がほぼ同時期に二つ作られ、両者ともに残っていること自体が何と興味深く、驚くべきことか、と思う。似ていて違っていて、その似方や違い方にみな意味がありそうで、研究者に(アマチュア歴史家にも)無限に続く探究の楽しみを約束しているかのようだ。

新約聖書の福音書を作者の違うイエス伝の集成だと考えるなら、記紀同様、その類似点や相異点の探究は興味深い。しかし、国の成り立ちを語る記紀とはスケールが違っている。また、記紀には、特に古事記には、時に読む人をたじろがせるほどの神秘性が漂っている。色合いの違う二匹の大蛇が、鈍く輝く鱗を光らせながら、DNAの二重螺旋みたいにヌメヌメと絡まり合っている……とでも言うような。どちらか片方だけでも貴いのに、二つ合わせるとさらに深い魅力がある。そっぽを向き合っていて、互いへの言及がないのも興味深い。

私は両書についてただの素人読者だから、以下、思いついたことを書き連ねる。まずは読後感から――両書を続けて通読したら、古事記が重苦しい、あるいは暗いのに対し、日本書に紀はどこか軽みがあり、明るいと感じた。

読むに際して、古事記は書き下し文を基本とし、日本書紀は現代語訳で読みつつ書き下し文を参照した。だが、上記の印象は、その影響ではないと思う。ただ、古事記は読み物として面白く、歴史書として興味深いのに対し、日本書紀は詰まらないという通念がいつの間にか頭に染み込んでおり、あれ、書紀も捨てたものじゃないぞ、という先入観の裏返しみたいなことはあったかもしれない。

物語としての面白さという点で、古事記と日本書紀に大きな差があることは知られている通りだ。ヤマトタケルノミコトの扱いはその顕著な例である。古事記に、倭建命が、父景行天皇の呼び出しに応じない兄の小碓命おほうすのみことを、「夜明けに兄が厠に入った時、待ち受けて捕え、つかみ打って、その手足をもぎ取り、こもに包んで投げ棄て」たとするエピソードが、書紀には欠けている。

これは、書紀では、景行天皇がヤマトタケルノミコトを幾度もの苦しい軍事遠征に追いやり、ついに死に至らしめる動機が記述されないため(書紀は日本武尊の「滅私奉公」の意思の尊さに還元している)、平板に見える、という以上のことだ。兄殺害の度を超した、しかもどこか幼児性を感じさせる残虐さは、一度これを読んでしまうと、ヤマトタケルを真に悲劇的な英雄とするための不可欠の前段と思えるのである。

ヤマトタケルノミコトは、並の人間でないのはもちろん、人智や人倫を超えた存在であることをこのエピソードは示している……ここらは、すでに語り尽くされているだろう。しかし、一方で、書紀を実際に読み終えてみると、読書前には思いも寄らない特長があった。こんなことなら、頑張って書き下し文で読めば良かったと思ったくらいだ。

日本の古典も外国語の文学も、できるだけ原語かそれに近い形で読む方が興趣が深い。このことは、文語も外国語も不得手な私としては残念な事実である。しかし、良い訳や注釈付きで読めるというのが素晴らしい幸運であることもまた間違いない。なお、古事記は講談社学術文庫版、次田真幸氏の「全訳注」、日本書紀は同じく学術文庫版、宇治谷孟氏の「全現代語訳」で、主に読んだ。両書とも、岩波書店『日本古典文學大系』を随時参照した。当ブログ中での本文の引用は、特に注記のない限り、前二書による。