日別アーカイブ: 2018年12月15日

聖典の暗闇  #25

前章冒頭で、旧約聖書について「記録」と「 」つきで書いた。旧約の記述は正確な記録ではないが、かといって純粋なフィクションでもなく、事実を元に脚色されたものだろうと考えたからである――海が真っ二つに割れたことはなくても、大きな潮の満ち引きはあったのだろう、という感じ。旧約を繙く人は、専門・関連の研究者でない限り、大抵そんな程度の認識のはずだ。事実に基づくと思っていたからこそ、私は読んでいて気持ち悪くなったのだ。だが、何か腑に落ちない気がして、いくつか旧約関係の本にあたってみた。

山我哲雄『一神教の起源』などによれば、数十万人のイスラエル人が一斉にエジプトを脱出し、カナン(後のパレスティナ)へ集団で移動・定住したという旧約の記述の根拠となる文書記録や考古学上の痕跡はないのだそうだ。ユダヤ教、ユダヤ民族は、実際には、主にパレスティナの地で、長い時間を経て形成されていったらしい。

その後、ユダヤ国家の滅亡、バビロン捕囚という厳しい状況の中で、ヤハウェ以外の神を否認する唯一神教という宗教的アイデンティティーが確立していく。旧約聖書はその礎となる物語であり、律法であり、また経典、神話、記録でもある文書集として編まれた(出エジプトが措定される時期と、旧約が編まれた時代とは、数百年の時で隔てられている)。それは、民族離散という困難な状況下において、ユダヤ人が「同一民族」であり続ける強い武器となった。 続きを読む