ヘロドトス『歴史』(松平千秋訳、岩波文庫)は、私が古典と呼ばれる本の中でもとりわけ古い時代のものに目を向けるようになった「全ての爆弾の母」である。これを読んで、大型気化爆弾を食らったかのように、それまでの読書の性向はあらかた吹き飛ばされ、以降、古い本の中から生々しい声を聞き取ることが最大の喜びとなったのである。もっとも廃墟となった爆心地にやがて草木が芽吹き、元の住人の生き残りが生活を再建するように、以前からの読書傾向は少しずつ甦って来たのだが、爆撃前と同じ状態に戻ることはできない。
「本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人(バルバロイ)の果たした偉大な事跡の数々――とりわけ両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを述べたものである」
私は、本屋で、「序」の書き出しである上記の文章を読み、いきなりギュッと心をつかまれたのだった(実は、この文章、松平千秋氏の翻訳の妙とでも言うべきものであることを後に知るのだが、その件については後の章で触れよう)。「歴史の父」ヘロドトスは、人の世において普遍的な事象である変化と忘却に抗おうとしていたのである。そのことに私は動かされたようだ。
ご多分に漏れず、私の住む東京近郊路線の私鉄駅近辺でも書店は近年次々に閉店したが、幸いにも、各駅停車で一駅、歩いてもさほど遠くない急行停車駅に大型書店が生き残っている。ビジネス書のコーナーが大きいこと、雑誌などの陳列や本の品揃えに少々左翼っぽい傾きが見られることは、今時の大手書店にはありがちと言うべきか。一方、哲学・思想関係となぜだかスピリチュアル系の書棚に力が入っているのは、ちょっと不思議。全体としては良質な本屋さんで、ここが閉店したら引っ越したくなると思う。
今はレイアウトが変わったが、以前は岩波文庫のコーナーがメインの通路沿いの一等地と言えそうな場所に鎮座し、お勧めの本が、表表紙が見えるように目に近い高さに置かれていた。ヘロドトス「歴史」を手に取ったのは、この陳列のおかげだ。
また、左隣が講談社学芸文庫の棚で、そこでは『老子』に目が向き、角川ソフィア文庫版『風土記』は岩波文庫の右側の棚で見つけた。古典を全集本で読む気力が湧かない昨今、こういう文庫はありがたい。学術・古典系の文庫を並べた棚が別の地味な場所に変わって以降、こうした本を購入する機会は減少した。今はそうした本の並びを見ても、前ほど魅力を感じないのである。書棚の場所が移動したら、本の発する磁力(魔力?)が減少したかのように。書店は本当に魅力と不思議でいっぱいだ。
おっと、だいぶ脇道にそれてしまった。「歴史」は書き出しに続く部分も楽しい。冒頭、「ギリシア人や異邦人(バルバロイ)が……いかなる原因から戦いを交えるに至ったか」とテーマが提示され、関連する歴史的な事項が羅列された後、突然語り口が変化して、リュディアの王権がヘラクレス家からクロイソス一門に移った経緯が具体的なエピソードとして物語のように語られるのである。
ヘラクレスの末裔カンダレウス王は、近習のギュゲスに自らの妻の美しさが至高であることを認めさせようと、渋るギュゲスを説き伏せて秘かに夫婦の寝室に招き入れる。妃はこれに気づいて裸身を見られたことに恥辱を覚え、夫に復讐すべくギュゲスに王を殺すよう迫る。クロイソス一門に属するギュゲスはやむなく王を殺して妃をめとり、リュディアの新たな王となる……テーマやそれまでの簡潔な書きぶりからすると、あまりに物語的でバランスを失している。しかし、一方で、近寄りがたい気がしていたヘロドトス『歴史』が、読み物として楽しめそうだと思わせてくれた。この予感は裏切られなかった。
上記のエピソードに、「愚かな物好きの話」とタイトルをつけてみたい。「ドン・キホーテ」中に挿入された、前後の脈絡から外れた「短編小説」だ。筋書きは――フィレンツェの若い貴族の親友どうしの片割れが、美貌の妻の貞節を試そうと、友人に妻を誘惑するよう迫る。友人は固持し続けたが、夫のしつこさに負けてしまう。夫は、友人が妻を口説き落とせるようあらゆる便宜を図ったので、二人はついに道ならぬ恋に走ることになる。夫の愚かな好奇心は、最後に悲劇で報いられる。
登場人物の配置、ストーリーの展開など、両者は同工異曲と言っていい。『セルバンテス短編集』の解説で、訳者の牛島信明氏は「愚かな……」の典拠はアリオストの『狂乱のオルランド』だと述べている。となると、アリオストの典拠がヘロドトスということになるのか? はたまた、セルバンテスが『歴史』を読んでいた可能性は……? 探究心をそそられるが、深入りしない。
思うに、ヘロドトス以前からこの残酷かつ大人びたお伽話の原型はあり、それがカンダレウスの王位簒奪の史実であるかのように用いられたのでないだろうか(リュディアの歴史について、ヘロドトスは第三者であるデルポイ人に聞いたと書いている)。ギュゲスは、プラトンの「国家」にも登場する。ただし元々は羊飼いで、透明人間になる指輪を利用して妃と交わり、リュディアの王位を手に入れた者として。こんな指輪を持ってなお人は正義を貫けるのか、とプラトンの登場人物は問いかけるのだ。先のお伽話は、ヘロドトスが記録したことで、時を超えて語り継がれる物語の一原型となったように思える。