元不良の教師 「告白」(3) #46

アウグスティヌスの表現の見事さについては、例をいくらでも挙げることができる。しかも、その文体と彼の人間的な魅力とは一体のものとなっており、「告白」という書物を読み応えのあるものにしている。いくつかピックアップしてみよう。

故郷の町で教師を始めた頃、彼は「自分の魂の半分」と語るほどの親友を得たのだが、その友人は突然の病で亡くなってしまう。友人の病と死をめぐる記述には凶暴なほどの悲しみが宿っている。しかし、アウグスティヌスの真骨頂は、その悲しみを薄れさせる「時」について語る時に発揮される(時間論は彼の中心的な探究テーマの一つである)。

「時はむなしくやすんでいるのではなく、なすこともなくわれわれの感覚をとおして過ぎさってゆくのでもありません。それは心のうちに不思議な業をなすのです。どうでしょう、時は日に日に来たり、去ってゆきました。来たりまた去りながら、私のうちに別の希望と別の記憶とをうえつけ、徐々に以前のさまざまな種類の快楽で私をつくろい、先のあのかなしみはこれらの快楽に道をゆずってしだいに消えてゆきました」

この文章は、「去る者は日々に疎し」という成句のパラフレーズだろうか? 決してそうではない。「時は……来たりまた去りながら、私のうちに別の希望と別の記憶とをうえつけ……」時が発動する残酷な忘却の過程をメカニカルな正確さで表しながら、文章の調子はもの悲しい。アウグスティヌスは、時が最愛の友人の記憶を薄れさせていくことこそ、これ以上はない悲しみだと語っているのである。こんな文章、私は夢でさえ思いつくことができない。

アウグスティヌスの見事な悲哀の表現は他にも多い。一方で、それほどは目立たないのだが、微笑を催させる文章もある。たとえば、彼は自らの知性を満足させることのないマニ教の教師たちを見限り、哲学者たちに対しても、マニ教徒より高いレベルにあると認めつつ、「宇宙をあれこれせんさくすることはできても、その宇宙の主はけっして発見できない人たち」として否定する。そんな知性の人であるアウグスティヌスは、学童時代に既に彼の教師たちの水準を超えてしまっていたかもしれない。

それで、自身が若くして教師になる。教師を困らせていたアウグスティヌスが、今度は生徒たちに困らせられる巡り合わせになったのだ。カルタゴの厚かましく講義の邪魔をする生徒たちに辟易し、友人たちに勧められて、学生の学習態度が良いというローマに行く。止めようとする母親をアフリカに置き去りにしてまで。ところがローマの生徒たちは、乱暴は働かないものの、示し合わせて謝礼を払わずに他の教師へと移ってしまうのだった。

「矯正されるべき人間としては、彼らを愛しています……しかし、当時は、彼らがあなたのために善人となることをのぞむよりはむしろ、自分のために、彼らの悪の被害をこうむりたくない気持のほうが強かったのです」

ここでの「あなた」は、アウグスティヌスが告白している相手である神のことだ。因果応報、教師になった者なら一度ならず似たような思いをするに違いない。アウグスティヌスはごく真面目な調子で語っているものの、聞いている側がニヤリと笑ったとしても許してくれるだろう。ただし、内に渋面を隠している場合もありそうだ。

世の中には根っからの教師、真に教師に向いており、理解の遅い生徒や、厚かましい学生と心を乱すことなくつきあえる人がいる。アウグスティヌスは優秀な教師だっただろうが、そんな教師向きのタイプではないと私には見える。訳者の山田氏は「癇癖の強そうな性格」と評している。彼自身は「何か見当はずれな意見を……聞く場合には……じっとがまんして」聞くと書いている。ただ聞くのではなく、「じっとがまんして」聞くのだ。癇癖の持ち主がじっと我慢していたら、怖い。

少なからぬ教師が、授業中に駄洒落を発して、生徒や学生を困惑させる習癖を持つことは、よく知られている。「告白」第三巻の始めに、「私はまだ恋をしていませんでしたが、恋を恋していました」とあった。ラテン語のテキストを見たら(今はネットを使えば、簡単にできる)「quaerebam quid amarem, amans amare」とある。ラテン語は全然知らないし、聖人に「駄洒落」は怖れ多いかもしれないので、ただの洒落ということにしておこう。

それにしても、カルタゴにしろ、ローマにしろ、学生たちは自分らがかのアウグスティヌスに習っていることを知らなかったのである。ただの駄洒落好き教師と思われていたかもしれない。私たちの知るアウグスティヌスはまだいなかったのだ。