日別アーカイブ: 2019年4月25日

古代から近代を超えて 「告白」(7) #50

アウグスティヌスの名、「告白」という書名を知ったのがいつだったのか思い出せない。世界史を習った高校時代には遡れそうだ。読むべき本としてずっと気になっていたが、同時に、内容を知らないのになぜだか読みたくないとも思っていた。その「予感」は、半分あたっていた。聖なる書物があり、絶対的な神の導きがあり、という彼の信仰の世界を否定するのではない。しかし、前回の最後の二つの引用をみてほしい。好奇心の囚人である私は(この歳になっても。幸いにも?)、湧き出る疑問に蓋をし、聞こえて来る声に耳をふさぐように勧める……命令する言葉にうなずくことはできない。アウグスティヌスが教会の壁の向こうに行ってしまったことは、痛恨事なのである。

いや、アウグスティヌスは壁の向こうに行ったどころではなく、そこで聖人とされたのだ。かつての不良仲間は、お偉くなっちゃって、昔はいっしょに悪さをしたのにね、と絡んだだろうか。それとも、アグちゃんがただ者じゃないのはあの頃から分かってたよ、と早速奉る姿勢に転じて、ちゃっかり自分も周囲から一段高いところに置いただろうか。聖人というと、迫害され拷問を受けながら棄教しなかった殉教者、あるいは苦難に遭いながらも布教に努めた伝道者というのが一般的なイメージだろう。安定した暮らしをしていたアウグスティヌスの列聖には違和感がある。しかも、息子を回心に導いたとして母モニカまでも聖人とされている。教会の壁を厚くするのはそれほど立派なことなのか、と信仰心に欠けたニワカ愛読者としては皮肉を言いたくなる。

アウグスティヌスの正直な「告白」のおかげで、私たちは彼の女性問題を知っている。若い頃に子供を産ませた身分違いの女性と長く同棲した後、別の女性と正式の結婚をするために彼女をアフリカに帰す。婚約した相手は、註釈によれば十歳の少女である。 続きを読む