レワニワ閲覧室の新蔵書と「鳥の女王」

耳鳴りの話の続きは1回とばして、次の更新で書きます。レワニワ閲覧室に新しく『湯微島の隣りの島』を配架したので、告知したくなりました。6月20日配架の『それ』と同様、連作長編『湯微島訪問記』(新潮社、1990年刊)を構成する短編小説です。

『隣りの島』は、ほぼ単行本版のままです。『それ』は独立した短編にするために変更を加えました。そもそも題名が変わっています(連作中では「湯微島の死体」というタイトルだった)。前者が『訪問記』巻頭、後者が次の作品です。

『湯微島訪問記』はお気に入りの本で、今回独立した短編として読めるものをレワニワ図書館用に「切り出した」わけです。私が気に入っているほどには世間で受けなかったのですが、改めて誰か読んで楽しんでくれたら、というのが私の願いです。どちらも難解だったり、読みにくかったりはしないはず。同時に、誰もが楽しめる作品ではないだろうとも思います。愛も癒しもありません(殺人はちょっとある)。

「隣りの島」は、「鳥の女王」という小冊子に仕立てたごく短いお話(未発表)が元になっていて、名前や設定、登場人物などが流用されています。また、「鳥の女王」の男性主人公と語り手は、「ぼくの首くくりのおじさん」という短編(『本当の名前を捜し続ける彫刻の話』筑摩書房、1991年刊所収)の叔父、甥コンビの原型でもあります。

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「鳥の女王」は童話風に書かれた掌編のファンタジーです。『隣りの島』の配架にあたって、筐底から冊子を発掘し、三十年ぶりくらいに読み返してみたところ、実に血も涙もない酷薄な小品でした。

「隣りの島」もなかなかに残酷な小説ですが、「鳥の女王」はそれどころではありません。といって血が飛び散ったり、人間の恐ろしい本性が生々しく描かれたりしているわけではないのです。血や涙が象徴する人間の肉体や情が欠けているということです。

目を背けたくなる血塗れのスプラッタよりも、人間存在の欠如という意味で真に残酷なのです。「隣りの島」は、ちょっと怖い大人の童話風短編を目指したと言ってもいいのですが、「鳥の女王」はどうにも言い訳のできない何ものかという気がします。

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30年と少し前、ちょっといい感じの色合いと紙質のカレンダーの表紙を、16ページになるように折って裁断しホッチキスで止めて小冊子にした後、ページに合わせてお話を作りました。「鳥の女王」というタイトルと<さかな屋>という店の名前だけがあり、他はほとんどは即興です。

誰にも見せる気がなかったのは、これは内緒にしておくのがいいという賢明な判断(?)だったように思います。しかし、今は、いずれ「鳥の女王」をレワニワ閲覧室に配架しようと考えています。理由がありますが、それについては配架の際に書くことにします。