日別アーカイブ: 2019年10月15日

旧約聖書の凄さ(3)  #54

 バビロンにて(六本木ヒルズではない、はず)

#24で、旧約聖書を読む内、虐殺の記述の連続に「気持ち悪くなり、先に進めなくなった」と書いた。今回難所を無事通過できた理由(の一部)は、古代の戦記を読むなどして、歴史的には、戦いの勝者が敗者側を皆殺しに――子供を産める女性と子供はしばしば戦利品に――するのは当たり前だったと知ったからだ。ユダヤ人の祖先も同じことをしていたのである。

大澤武男氏の『ユダヤ人とローマ帝国』(講談社現代新書、2001年)では、「早くも旧約時代に絶滅の陰謀」(ナチスにまで繋がる「ユダヤ民族絶滅の陰謀」の意)の小見出しの元、エステル記が引かれている。アケメネス朝ペルシア時代、クセルクセス王の重臣ハマンは、独自の信仰に凝り固まった「ユダヤ人は危険であると感じ、ペルシャ全土に散在しているユダヤ民族を絶滅させようと企んだ」が、ユダヤ人女性エステルの美貌と勇気と狡智によって救われた。バビロン捕囚からの解放後も故郷に帰らなかったユダヤ人が、その宗教的な独自性のために絶滅されそうになったというのである。

大澤氏は、だが、その後ユダヤ人が王に許されて行った復讐は記さない。ユダヤ人は「集合して自分たちの命を守り、敵をなくして安らぎを得、仇敵七万五千人を殺した」(エステル記9-16)。ハマンは「アガグ人ハメダタの子」とあり、仇敵とはアガグ人(アマレク人)を指す。彼らのその後は知られず、この際に「絶滅」されたのかもしれない。ユダヤ人に限らず、部族ごと絶滅という事態はあり得たのである。そして、「捕囚」もまたユダヤ人だけに起こった出来事ではなかった。 続きを読む