旧約聖書の凄さ(7)  #58

バビロンの郊外電車 「神聖な牛」の塗装が施されている

信仰に篤く高潔なヨブは、罪もないのに家族や財産を全て失い、業病に苦しめられる。それでもなお忠実な神の僕であり続けられるのか……? ヨブ記の問いは旧約時代のユダヤ人に止まらない普遍性を持っていたため、幾多の哲学者や宗教者によって追究され、重要な文学作品を生み出すインスピレーションの源にもなった。とはいえ、ヨブの問いかけは、何よりバビロン捕囚以降の苦しみの中にあるユダヤ人にとって切実なものだった。

ヨブの不幸は、イスラエル北王国滅亡以降、ヤハウェ信仰の立て直しをはかって来た人々の悲運と見合っている。彼らは周囲の堕落した信仰のあり方を否定して、ユダ王国ヨシア王の元で宗教改革を行い、正しい戒律や依って立つべき民族の歴史を編もうとしていた。だが、そうした試みはバビロニアによる侵略で虚しくなった。異教徒が繁栄を謳歌する一方、ヤハウェ信仰につながる人々は、信心の薄い者も篤い者も等しなみに捕囚やディアスポラという悲運に苦しんだのである。篤信者の立場は、ヨブに相似と言える。彼らが捕囚下で旧約の基を築いたのだった。

ヨブ記は旧約聖書の中で、創世記と出エジプト記ほどではないにしろ、よく読まれている。私も今回二度目のはずだが、前回読了したのか怪しい。今回、ヨブが全てを失った上に重篤な皮膚病に苦しめられるところまでは順調だったけれど、友人による説得が始まると辛くなった。ヨブと友人三人はお互い一歩も譲らず、議論を続ける。まるで花いちもんめのようだ。子供の頃、外から見ても、参加しても、何が面白いのかさっぱり分からなかった、あの感じ。平行線のまま、延々と議論は続く。

今回は最後まで付き合ったものの、旧約全体の中で退屈した数少ない部分の一つだった。ヨブが敬虔に生きて来たのにこんな目に遭わされ、もう神なんて信じないと言うのならディベートとして面白そうだが、早く死んだ方がましと嘆くばかり。ヨブは神を否定していないのに、友人たちはそんな態度じゃいかん、もっと主を敬えとしつこい。敬神の方向性の違いによる仲間内の対立だから、局外者である私はどちらにも親身になれなかった。ちなみに、多くの人がヨブ記のテーマに言及しているが、議論について詳しく分析しているケースは少ないと思う。

私も議論の内容を検討するつもりは(毛頭)ない。だが、なぜここまで執拗に意見の応酬が続くのかについては、預言書の坂道を覆う霧が晴れた(#53参照)後になって納得できた。議論は、篤信者たちの捕囚後の葛藤や苦悩の大きさに比例して長大になったのだ。現代の日本から時間も空間も限りなく遠く隔たっているヨブや友人たちの言葉に、深い共感も理解もできないけれど、捕囚以降のユダヤ人にとっては、ヨブたちの議論のいちいちが身につまされるものだった可能性がある。まるで白熱のディベートの記録のように感じられたかもしれない。

篤信者にとっても、バビロンに囚われ、あるいは各地に小集団で暮らしながら、ヤハウェを強く信頼し続けるのは難しいことだったのに違いない。棄教は論外としても、仲間が弱気になれば、自身や集団に信仰の危機を招き寄せかねない。エルサレルムの神殿は既に打ち砕かれている。だから「友人」のどんな小さな弱気の虫も、果てしなく遠くへ追い払いたかった。

故地と神殿を失った後、彼らは依って立つ根拠を文書に著そうとした(それが後に「聖書」となる)。だから説得は執拗なまでに続けられ、神殿や祭服はあらゆる細部に渡って記録しておかなくてはならず、戒律は信仰と生活の全てを覆う必要があり(「やもり、大とかげ、とかげ、くすりとかげ、カメレオン……は爬虫類の中で汚れたものであり、その死骸に触れる者はすべて夕方まで汚れる」レビ記11 30-31)、系図には先祖の誰一人欠けてはならなかった。膨大な細部の記述は、記録するカメラや再現するモニターの解像度を極限まで引き上げるようなものと思えば納得できそうだ。が、読むのは難しい。

故地にまつわる記憶の全てを記述しようとすると、篤信者たちの信仰のイデオロギーと矛盾を来すケースが出現する。そもそも原初の祖先からヤハウェのみを信仰していたわけではないのである(#56参照。山我哲雄氏は旧約中の多神教的な痕跡を指摘する)。また、加藤隆氏は旧約の律法について「複雑きわまりないテキスト」「掟において何が定められているのかはっきりしない」と述べている(『一神教の誕生』講談社現代新書 2013年)。

旧約聖書の読み方は色々あるだろうが、矛盾、混沌を抱え持つ書物である以上、全てを読むのでなければ何も読んだことにならないとも言えるし、どれだけ読んでも読了したことにならないとも言える。それでも倦まずたゆまず読み続けることは、この”the Book”に託された彼らの運命を追体験することに通じるかもしれない。