春の雪とナボコフ

突然降り出した春の雪のすごさに呆然とし、新型コロナウィルスに凍えていた心がさらに遠くへと運び去られて、キーボードに指を置いたまま、ただ窓の外を見ていました。その後、花とか心とか考えている内に指が動き出したのは、たぶん西行法師のおかげです。

2月17日のブログに「『新型コロナ』で世界に激変の兆し……」と書きましたが、これが世界史的な変動であることはもはや明らかでしょう。単なる疫病のもたらす変化ではなく、ソ連崩壊以降、1990年代から続くグローバルな変化の到達点であり、さらなる新しい動きの発火点となるだろうという意味において世界史的だと考えます。

世界史のただ中にいるとは、実に落ち着かないもののようです。これはグローバル化の「主犯」ネットのせいでもあります。ついつい新型コロナ関連のニュースやトピック、数字を追いかけてしまい、たちまちの内に時間は飛び去って、頭痛と眼痛に襲われます。目覚めている間ずっと気分が暗く、眠っても悪夢に悩まされます。「やる気満々」だった『女神の肩こり』の「自作解説」は、心と一緒に遠くへ旅立ってしまったようです。

しかし悪いことばかりではありません。あんまり煩わしいので、私は一時的なネット断ちを決心しました。完全にとはいかないのですが、ネット情報の摂取量を大幅に減らしたら、心が少し穏やかになりました。さらに、ネットにつぎ込んでいた時間を有効活用し、長年の「懸案」だったナボコフ『青白い炎』を読了することができました。

かつて、新聞のエッセイにナボコフの「信者」だと自己紹介しましたが、未読の著書は結構あります。「青白い炎」もその一つで、これは英語で読むとずっと前に決めていて、ために読書への着手も読了も遅くなりました。といって私の英語力で歯が立つ代物ではなく、左に文庫本、右に電子辞書を置き、和訳を参照しながら読み進めたのでした。

途中、長い中断期間もあり、恐らく足かけ3年かかっています。でも、読み終えると大きな満足感が味わえました。旧約聖書といい、”Pale Fire”といい、難物ほど面白く感じるというおかしな性癖になってしまったようです。マゾヒスティックな傾向はないはずなのに……。次回、「その本はなぜ面白いのか? #61」として扱う予定です。

『女神の肩こり』の「自作解説」はこの後にするつもりです。懸案はまだあって、それは随分前に予告したドン・キホーテと風土記の補遺ですが、これらも、そろそろ「研究」を始める目途がつきそうです。補遺を書くのがいつになるのか、予言すらできませんが。レワニワ図書館の次の新蔵書も含め、慌てずにやっていこうと思います。