『女神の肩こり』 自作解説(2)

ロリーポリー・ロボット

自分の頭の程度を知っているので哲学書はあまり読みません。ただ通常とは違う思考法やおかしな用語に妙に惹かれたりもします。「不動の動者」「一者からの流出」「存在と存在者」等々、『女神の肩こり』の中で、唯一神が「世界を創り出したのは私ではなくあれ(女神)なのだ」(p3)と述べるのは、そうした言葉が歪んで(現実が夢の中に登場する時のように変形されて)現れたものと自分では思っています。

創造主と神とを分け、この世界の創造主は神から生まれたと考えると、世界がこうあるという現実を説明する上で便利な面があります(たとえば世の悲惨、不条理は神のせいではないと言える、とか)。また、神があらゆる面で至高の存在であるなら、世のありよう・・・・ばかりか、世界があるかどうかすら神は関知しないことになります。なので『女神の肩こり』の神は「私に世界など必要ない」(p55)と言い切るのです。

同様にいびつ・・・にされた上でのことですが、アウグスティヌス「告白」と山田晶氏の同書解説も、上記引用部分に影響を与えています。どの箇所でインスパイアされたと言いにくいものの、神と創造主を「別物」とするアイデアは、「告白」と山田氏の解説を読んで得たものであることは間違いありません。

およそものを書く人間はみな名前に深い関心を抱いているはずです。「私の名を知る者は私以外にいないはずだった。/私は私の名を呼んではならないと命令した」(p5)旧約の十戒には「主の名をみだりに唱えてはならない」とあります。名前は人間社会の基盤であるのに、高貴な名を呼んではならないという禁忌が世の東西を問わず存在する(日本だといみななど)というのは何とも興味深い事実です。

母音が表記されないため、ユダヤ教の神の名は「YHWH」と書き表わされますが、神名を発音することがタブーとなり、やがてどう発音すればいいのか誰にも分からなくなった、というのもすごく面白い話です。「ヤハウェ」「ヤーヴェ」は失われた発音を学問的に正しく再現したものだそうです。こうした研究は畏れ多い気が……。

p9神は嫉妬深い」とあるのは、出エジプト記(20-5、34-14)で神が「ねたむ神」だと自己紹介していることなどから(新共同訳では「熱情の神」。ずるい訳?)。世界があるかどうか関心のない神が人間に嫉妬するとは矛盾のようですが、足らないもののない神(「私はすべてであるp55)に嫉妬心がないとは考えられません。

p14猿そっくりだった人間たちが、神に似た姿に進化した」は、旧約の「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」「神は御自分にかたどって、人を創造された」(創世記1-26、27)から。これも、アウグスティヌスが「告白」の中で、人間が神の似姿であるとはいかなる意味なのか、特にマニ教徒への反論として述べていることにも影響されています。ついでに進化論も混ぜてシンクレティズム兼アナクロニズムなわけですが、神は不変だとアウグスティヌスは主張しているので、何も問題はないはず?

p17黄金色の蛇がわたしの寝床に来ました、と女は答えた。/そして、六回噛んだのです」創世記の天地創造の6日間や、エバが蛇にそそのかされて善悪を知る木の実を食べる場面から。蛇が黄金色というのは脚色です。虹色の蛇だと多神教ぽい?

p19我こそ最も優れた語り手なりと増長する者も現れた。/そんなやつは、私が雷で黒焦げにしてやった」これはギリシア神話から。機織りの腕を誇ったためにミネルヴァに蜘蛛に変えられたアラクネのエピソードが念頭にありました。

p24なるべく嘘をつかないようにします。/人間たちはそう言い直した」これもギリシア神話ですが、エピソード自体ではなく、オウィディウス「変身物語」中、自分の制作した象牙の乙女像に恋をしたピュグマリオンが、神に「『わたしの妻として』――象牙の乙女をとはいいそびれて――『象牙の乙女に似た女をいただけますように』」(中村善也訳)と願った言葉が私の中で反響していました。女神は彼の心の中の願いを叶えます。

自作解説をなかなか書き出せなかったのは、体調やコロナのせいもありますが、そもそも自作について語ることが恥ずかしく、気力が湧かなかったからでした。書き始めたら意外と進むのは、ナボコフ効果かもしれません。今の私は『青白い炎』の狂った註釈者チャールズ・キンボートの複製品です。自作自註だからキンボートより狂っている? 自作解説、まだ続けます。できれば、次回で終わりにしたいところ。

画像も前回の続き、『女神の肩こり』セラミック・アートの作者Shoko Teruyamaと娘Imari(7歳)の共作、「Quarantine project」の一作です。Shoko&Imari ©2020