ツルゲーネフとドン・キホーテ

Shoko Teruyama ©2020

国会図書館の遠隔複写はすぐには届かないと思われるので、カルデニオとハムレットの続きは後回しにして、ドン・キホーテ補遺が終わってから書こうと思っていた内の一つを前倒しします。主に翻訳にまつわる話題です。材料はツルゲーネフの「ハムレットとドン・キホーテ」

ツルゲーネフは、高校の現代国語の教科書で「あいびき」を読み、文章そのものに感動するという初めての経験をした作家です。もちろん二葉亭四迷訳。手許にある新潮文庫版は昭和46年9月19刷。浪人生だった時に東京の書店で購入したもと思います。四迷「浮雲」は何がいいのかよく分かりませんでしたが、四迷訳ツルゲーネフの文章は今読んでも感じ入ってしまいます。

研究社シェイクスピア辞典にはツルゲーネフの項があります。ツルゲーネフが「ハムレットとドン・キホーテ」の中で、人間をドン・キホーテ型とハムレット型に二分したことが、一時期影響力を持った現れのようです。ツルゲーネフは、自己の信念に従い、無垢で無私のドン・キホーテを称揚する一方で、懐疑的でエゴイスティックだとしてハムレットを批判しました。

今回初めて読んだのですが、事前の予想通りカルデニオのカの字も出て来ませんでした(「あいびき」とは大違いのえらく読みづらい文章。『ハムレットとドン・キホーテ』 河野與一、柴田治三郎訳。岩波文庫、1955年)。なので余談として書いているわけですが、この内容にはおかしなところがあります。「ドン・キホーテは殆ど読み書きができません」とツルゲーネフは述べているのです。

この件、文庫解説で触れられず、私がネット等で見た限りでは誰からも指摘がありません(もっと捜せば、誰か触れているでしょうか?)。キホーテが騎士道小説の読み過ぎで遍歴の旅に出たのは、この物語の土台そのものです。彼は教養人なのです。誤訳かもれないと考えました。これが今回書きたかったことの一つです――ネット時代は、まったくすごい!

ちょっとした工夫は必要でしたが、検索で原文のPDFにたどり着いて、ロシア語を知らない私が正誤を確かめることができたのです。ロシア語ではДон-Кихот едва знает грамоте、グーグル翻訳では「ドン・キホーテは読み書きがほとんどできない」文庫訳そのままでした。となると、二つの可能性があります。ロシア語のドン・キホーテ翻訳がひどかったか、ツルゲーネフがキホーテの人物像をゆがめて伝えたか、です。

ロシアでの翻訳事情について調べようと、『ドン・キホーテ事典』(行路社、2005年)をひもとき、ヨーロッパ各国でのドン・キホーテ受容に関する項目にあたってみました。が、ツルゲーネフの、ロシアでは「優れた翻訳に恵まれない」という言が有力な証言として引かれており、私の期待した情報はありませんでした。しかし、別の興味深い記述に出会いました。ドストエフスキーがドン・キホーテの嘘の挿話を作りだし、何と1953年に至るまで、それを作家の「二次創作」だと指摘する者がいなかったというのです。

しかもこの挿話の中に、ドストエフスキーがドン・キホーテを誤読していたことを示す記述があるのだそうです。解釈の誤りというより、簡単な事実誤認をしているのだとか。このことも参考に、ツルゲーネフの一文を解釈する二つの可能性について考えてみましょう……続き物にするつもりはありませんでしたが、長くなったので、ここで一旦切ります。数日来眼痛と頭痛が昂進し、少々こたえて来たので、一拍おくのが良さそうです。