底が浅くなった話

前回の更新をした後、ちょっとした「燃え尽き症候群」みたいになりました。何にもやる気が起きず、少し鬱っぽくもあり……なんだ、私の常態じゃありませんか。ですが、それが普段よりきつい感じです。「三田文学」に送った原稿について書いておきたいことがあり、すぐにも次の更新をと考えていたのに、できませんでした。

と言いつつ、いつもよりアップの間隔が短いのは、何かやらないとまずいと思ったからです。また、こうやって書いていられるのは回復気味だからでしょう。一昨日までは書けませんでした。あれ・・は面白すぎだったと思います。英語の文献を読んで調べるなんて柄にもなく、大変で辛いのに、書く作業は快楽でした。パソコンの前に座るのが待ち遠しくて、キーボードを叩いて時間を忘れることさえありました。

すると、ATOKが緑地にコーヒーカップのマークを勝手に画面に出して来て、そろそろ休んだらと勧めます。入力の継続時間やミスの回数を裏で計測し、介入して来るのです。たいていは従うのですが、今回は楽し過ぎてやめられず無視したこともありました。ただ、やがて目や頭が痛みがひどくなって中断せざるを得なくなるので、受け入れた方が賢明です。なので、警告の設定は有効にしたままでした。

でも、まあ、何とか症候群はやっぱり大袈裟で、元が怠け者で一つ事に専心するだけでエネルギー切れになりやすいということなのだと思います。以前なら、楽しければ大して疲れなかったのに(書いていて楽しいなんて滅多にありませんでしたが)、今は良かれ悪しかれ、体や頭に負担をかけたなら必ず代価を支払わなくてはならないようです。

とりわけ精神的な面でのキャパシティが縮小しているらしく、個人的な感覚では「底が浅くなった」感じです。少しでも「オーバーワーク」という入力があると、深さが足りないので内側で受け止め切れず、「もう駄目」という過剰な出力を簡単に返してしまうのです。何年か前にこういう状態がひどくなったことがあり、それが完全には直っていないものと思われます。

やる気がなくて冷静になったおかげで、「三田文学」に書けなかったことをこちらにというアイデアは難しいことが分かりました。あちら・・・の原稿が前提になるので、補遺だけこちら・・・にあるというのは分かりにくく、となると、できることは限られます。まだ初校すら出ていないのに、「ネタバレ」を書くわけにもいきません。

可能だとしたら、あちらで少ししか触れられなかった16世紀初めのスペインとイギリスの関係についてかなと思った……というところで「次回に続く」にします。大して働いていないのに眼痛と頭痛が来てしまいました。さえない話ばかりですが、それもこのブログの常態でしょうか。読書や本の話にたどり着けなかったのは残念。