日別アーカイブ: 2021年1月20日

ドン・キホーテよ、さらば? #70

 この章は少し長いです。大事なことなので、長さへの自制を若干緩めました。

世界文学史上の最重要の作家として、かつトルコとの海戦で片腕の自由を失った愛国者として、セルバンテスはスペインで聖人のような存在になった。このため、前回取り上げたアメリコ・カストロやF・M・ビリャヌエバらの所説は、スペインでは受け入れがたいものだったようだ。私は、ドン・キホーテの面白さの正体を追い求めて、作者セルバンテスに興味を持ち始めたところだったので、彼らの議論が正しいのかどうかも含めて関心を抱いた。

セルバンテスは、滅多なドラマの主人公ではかなわない起伏に富んだ人生を送った。ただ、人生の最後の十年ほどは執筆に専念し、妻や娘、姉や姪らの女性と同居し、割合穏やかな暮らしだったように見える。解説等には、その女性たちについて身持ちが悪く、男出入りが多かったと書かれている。ある時、家の前で刃傷沙汰が起こり、一家全員が牢に入れられて取り調べを受けたこともあった。何か腑に落ちない事件だが、特に追究しようとは思わなかった。

ところが、ビリャヌエバの論文を読んだところ、彼女らは「売春」を行っていたとあるではないか。売春といっても、比較的地位の高い層の男性を相手にするプロの愛人業のようなものだったらしいのだが、前述の刃傷沙汰も、一家が揃って取り調べを受けたという事態も、それが「家業」だったのであれば納得がいく。セルバンテスのアルジェリア虜囚の身代金は一家の女性たちが用意したとされ、そんな大金を女性の身で作れたというのは――。
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