アカデミアの空白

メインPCのWindows10への更新は、大きなトラブルなしにすみました。その昔、PCの更新作業というと、私のような一般ユーザーには大変な関門で、神経をすり減らしつつ、多大な時間を費やしたものでした。今やOSの更新自体は何ということもなく、ただ便利な機能が使えなくなったり、ちょっとした操作で戸惑わせられたりして、テック企業の都合に振り回されることを苛立たしく感じるくらいですみます。

閑話休題。以下、「シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?」を書く間に思いめぐらしたことを記します(シェイクスピアから取りあえず離れます)。上記のエッセイもそうですが、私はアカデミズムの端っこをかすめる「研究もどき」を何度か敢行し、新しい知見を得て発表しています。なぜ、学者でない私に、そのような「発見」ができたのでしょうか?

研究分野に参入し、成果をあげようと意図したわけではありません。自ら抱いた疑問を解決しようとジタバタしていたら、アカデミアの近傍にたどり着いたというのが真相です。最初は、会社員の存在の意味について考える内、その歴史を知りたくなったのでした。適当な解説書がなかったので(このこと自体が驚きでしたが)、自分で探究をするうち深みにはまりました。

ここから、「日本最初の会社」の創設者である岩崎彌太郎について新書『岩崎彌太郎 会社の創造』を書くに至ります(講談社現代新書。絶版ですがAmazonなら古本が1円+送料から!)。岩崎彌太郎をめぐって、その歴史的な評価をきちんと行ったものは、同書以前には実は一冊もなかったのです。このことは、日本の近代資本主義の成り立ちを考える上で欠落があるのに等しいと私は思うのですが、歴史学や経営史学ではそうは捉えられていないようです。

新書に学問的な反響がなかったのは想定通りで、私もそういう方面にアピールするつもりはありませんでした。牧野富太郎の名前を出しては不遜の極みですが、アカデミアがいかに内と外を厳しく峻別するか、私もそれなりに知る機会があったので、無駄な手間を惜しんだのです。期待がなかったので失望もありません。ただ、東京大学の歴史学の教授が書いた一般向けの解説書を読んだ時には、微苦笑が浮かぶような感じでした。

その本のテーマは、海を通しての日本と世界のつながりを歴史的に概観するというもので、明治期の海運の代表として三菱と岩崎彌太郎を取り上げた中に、次のようなことが書かれていました。
A 彌太郎は政商と言われるが、少なくとも政府系企業と張り合っていた時期までは、政商のイメージに収まらない。
B 彌太郎は、激しい競争を通じて資本主義を肌身で経験し、資本主義の本質をいち早く理解した日本人なのかも。

私の『岩崎彌太郎』を読んでくれた人は、A、Bともに同書に含まれる知見(Aは主要な論点ではありませんが)に極めて近いことを理解してくださるでしょう。何でもないように見えて、実は私の本以前に上記のような知見が示されたことはありません。私の本は2010年5月刊、東大の先生の本は翌年2月刊。

A、Bを私独自の知見に近いと確言できるのは、数多くの文献にあたっているからです。私以前にそうした知見を示した人がいないことを私は知っています。新書を書くに際して、岩崎彌太郎に直接関連する入手可能な文献を、書籍では九割、もしくはそれ以上、論文も八割以上はあたったと思います。腰だめの推定ですが。

先生が私の本を読んだのかは不明です(文献リストがついていません)。読んでいたなら、私の本を活用してくれたことを嬉しく思います。読んでいないとしたら、東大の先生と同じように考えたことを誇るべき……なのかな? 先生の専門が近代の経済史ではないことからすると、読んだ可能性の方が高そうに思えます。その場合、アカデミア外の人間の書いた新書にまであたってくれた心の広い、また目敏い先生ということになります。

しかし、東大の先生が私の本を読んだのかどうかは、実はどうでもいいのです。私が提示したい論点は、岩崎彌太郎のような歴史上重要な人物について、私のような学者でない者が、専門家の指摘していない知見を獲得することができたのはなぜか、ということです。私には、多くの人とナチュラルに違う方向で考えてしまう性癖があり、それも一因でしょう。こうした偏頗な個性に導かれて書き手になり、同時に、そのひねくれた性質のために世間の嗜好から外れて、書いてもなかなか読まれないことにもなります(泣)。

しかし、個人の資質の問題に帰してすませられることではありません。学問の世界の内には、どうやら(暗黙の内に)触れないことになっている領域があるように思えるのです。で、「素人」がたまたまその領域に突撃すると、思わぬ戦果があがるものの、それは学問的には「無」とみなされます。私の新書がそうであったように。次回に続けます。