常陸国風土記と「水の詩人」  #79

筑波山。Wikipediaより。

 このブログでは、春日蔵首老かすがのくらのおびとおゆを「水の詩人」と名づけよう。老が残した八首の歌と一つの漢詩の内、六首は水とかかわる。一見関係のなさそうな284も、そこに歌われた焼津、阿倍、駿河という地名を大井川、安倍川、駿河湾と結びつくものと考えるなら、三分の二を超えることになる。海や川は詩歌の重要な題材、素材だが、一人の作品がここまで片寄ることは滅多にないだろう。特殊なケースと言えるのではないか。

 とはいえ、老が特に水関連に力を入れて作品づくりに励んだとか、選者が海や川を題材にしたものをわざわざ選んだ、といったことはありそうにない。サンプル数が少なすぎる難点はあるものの、老は水に関連する題材において詩想が豊かに発揮される詩人である、くらいのことは言ってもいいように思われる。そして、私が常陸国風土記から取り出した三箇所の文章(#75参照)も、二つは水にかかわるものだった。風土記について書き始めた時、私は水の主題など意識していなかった。

 これを理由として、老が常陸国風土記の執筆者(の一人)とするのはさすがに無理だろうが、これからあげる他の議論と併せて、老説の根拠の一つになることを期待している。風土記と万葉集とを併せて、老を一人の詩人として評価したいと考えているように。しかし、この先も難しい展開になるは間違いない。うまく書ければいいのだけれど。

 さて、常陸国風土記の文章について、#4で私は次のように書いた。倭武天皇やまとたけるのすめらみことの泉のエピソードについて「倭武という名前があるからこそ、この挿話は地名起源として採用されたのだろう。しかし、もし書き手が湧き出る清水の感触について語りたかったのだとしたら、浄い水に触れたのは、本当はだれの指だって良かったことになる」「この文章が生み出す活き活きとした感覚、動きと静けさ、はかない美しさ」云々。倭武の行幸という公事を、書き手は自ら視線を通して描いたように私には見えるのである。記紀、風土記で、この文章のような例を他に知らない。

 #5の筑波山での歌垣=合コンでは「春の花に、秋の黄葉に、男女で相集い楽しむ、その明るさ、のびやかさ。千数百年の時を超えて参加してみたくなる」と記した。民の遊びを描くものとして定型的でもあるのだが、「著者は定型に従いつつ定型を超える文章の達人なのである」定型にはなく、例に引いた文章にはあって、合コンへの参加を促す引力の源になっているのは、遊び楽しむ民への共感だろう。それを支える的確に選ばれた細部。

 ただ、これは高橋虫麻呂が書いたものだとしても、おかしくなさそうだ。いや、老の名を出す方が頓珍漢と言われるだろう。虫麻呂は、前回見たように、筑波山にまつわる歌をいくつも残している。中でも上司の大伴某(旅人?)をアテンドした登山と、歌垣にまつわる長歌はよく知られている(1753と1759。前回参照)。1759には、「嬥歌かがひ」=歌垣に男女が集まった際、「人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問こととへ」と呼びかける衝撃的な内容が含まれている。これこそ、民への共感を超えて、書き手個人が歌の中に現出しているのではないか?

 ――上記は「我」を作者本人とする素朴なとらえ方であって、1759は作者が参加者を擬装して書いていると考える方が無難だ。実体験とするなら、虫麻呂が現地住民の乱交的な行事に妻を伴って参加したことになる。虫麻呂は常陸国の国司ではなかったが、高橋氏というむらじの出であり、当地の豪族に歌垣に誘われたのだとしても、そうした危うい催しに妻を連れ出したとは考えにくい。そもそも、奈良の都からはるかに遠い常陸という辺土へ赴任するのに家族を伴ったかどうか疑わしい。

 歌の上記の続きは、「昔より (神の)いさめぬ行事わざぞ 今日のみは めぐしもな見そ(見逃して) 事もとがむな」とやや説明的な筆致になる。赴任地の興味深い行事について見聞きしたことを、歌の形で報告している現れではないか。反歌に「男神ひこかみに雲立ちのぼりしぐれ降り濡れとほるともわれ帰らめや」と、もてたくて雨中で頑張った様子が描かれていて、あるいはルポライター自身は妻抜きで参加した可能性がある? ともあれ、この歌は個人の視線ではなく、客観的な記録の意識に貫かれている。

 歌の中に虫麻呂個人の姿が見えるのは1753の方だ。筑波山に「暑けくに 汗かきなげ 木の根取り(つかんで) うそぶき(息をつきつつ)登り」、二峯の男女の神の許しで雨も降らず「紐の緒を解きて 家のごと 解けてそ遊ぶ うちなびく(春の枕詞) 春見ましゆ(より)は 夏草の 繁くはあれど 今日の楽しさ」と喜んでいる。中央から来た役人「君」に対し、ユーモアを交えた洗練された歌を呈して「楽しかったでしょう?」と接待登山の思い出を語ったのだ。表現に才気と個性は明らかだが、社交的=公的な性格の歌と言える。民の遊びを個人的な親しみをもって描く常陸国風土記の文章とは、似ているようで違っている。以下、次回。