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ドン・キホーテに再見?

さらば、と挨拶したのに、すぐに引き返して来ました。訂正すべき事項が見つかったのです。12月5日の投稿に「模範小説集」の邦訳刊本リストを掲載した際「この情報は、私の知る限り、これまで整理された形で示されたことがありません」と記しましたが、ありました。集英社文庫の「ポケットマスターピース」シリーズの『セルバンテス』の巻、三倉康博氏による「著作目録」で提示されていたのです。

同書には「模範小説集」から吉田彩子氏訳による3編が掲載されているので、これを足した改訂版リストを下に載せることにします。そんなことを考えていたら、私が勝手に6編を選んだ仮想文庫版『模範小説集』の帯につけるキャッチフレーズを思いつきました。「ドン・キホーテより面白い!

冒涜的な気もするので、「ドン・キホーテよりも面白い!?」とすべきか……でも、満更嘘でもありません。面白さの分かりにくいドン・キホーテより気に入る人がいても、不思議ではないと思います。ただし、ドン・キホーテを書かなかったら、「模範小説集」の作者の名を知る日本人はスペイン文学者以外いなかっただろうことは再確認しておきます。 続きを読む

ドン・キホーテよ、さらば? #70

 この章は少し長いです。大事なことなので、長さへの自制を若干緩めました。

世界文学史上の最重要の作家として、かつトルコとの海戦で片腕の自由を失った愛国者として、セルバンテスはスペインで聖人のような存在になった。このため、前回取り上げたアメリコ・カストロやF・M・ビリャヌエバらの所説は、スペインでは受け入れがたいものだったようだ。私は、ドン・キホーテの面白さの正体を追い求めて、作者セルバンテスに興味を持ち始めたところだったので、彼らの議論が正しいのかどうかも含めて関心を抱いた。

セルバンテスは、滅多なドラマの主人公ではかなわない起伏に富んだ人生を送った。ただ、人生の最後の十年ほどは執筆に専念し、妻や娘、姉や姪らの女性と同居し、割合穏やかな暮らしだったように見える。解説等には、その女性たちについて身持ちが悪く、男出入りが多かったと書かれている。ある時、家の前で刃傷沙汰が起こり、一家全員が牢に入れられて取り調べを受けたこともあった。何か腑に落ちない事件だが、特に追究しようとは思わなかった。

ところが、ビリャヌエバの論文を読んだところ、彼女らは「売春」を行っていたとあるではないか。売春といっても、比較的地位の高い層の男性を相手にするプロの愛人業のようなものだったらしいのだが、前述の刃傷沙汰も、一家が揃って取り調べを受けたという事態も、それが「家業」だったのであれば納得がいく。セルバンテスのアルジェリア虜囚の身代金は一家の女性たちが用意したとされ、そんな大金を女性の身で作れたというのは――。
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