書き出しの発見

 今年1月下旬、小説を書けそうだという感覚が五、六年ぶりに生まれて以来、このブログやnoteにいくつか予告をして来たのですが、何ひとつ実行できていません。この1月ほどは、どちらも全く更新できないままです。実は今も、更新しなくてはという義務感で書いてはいるものの、気もそぞろです。というのも……なんと、小説を書き始めることができたのです!

 書き始めたのは4月15日。それまで、うまく行かずにずっとうんうん唸っていたのに、この五日ほど勢いよく筆が進んでいます。単に書けるのではなく、書きながら先の展開が勝手に生まれて来るという、ずいぶん長く忘れていた感覚が蘇って来たのでした。noteに記した「考え、調べ……書く」の間の「……」を飛び越える跳躍が突然できてしまったのです。この感覚のある内に早く書きたい、と焦りまくっているわけです。

 元からマルチタスクの能力に乏しかったのですが、近年では複数の仕事を並行してこなすことがほぼ不可能になりました。当ブログでも何度かそう書きました。それで、小説を書くことにこれほど焦っているのでは、ブログ更新に手をつけられそうにないと懸念が生じました。それではまずいと思い、今はかなり無理矢理な感じで書いているわけです。

 小説が書けるかもしれないと思い始めた1月下旬以降しばらく、どう書こうか頭の中で構想を思い浮かべるだけで、すごくいい気分でした。ずいぶん長い間、そんなことは不可能だったからです。しかし、実際に小説に取りかかろうとすると、これが全くうまく行きません。全く。まるで、道具もスキルもないのに、断崖の途中からロッククライミングをする羽目になったとでもいうように。

 登るための準備が整っていなかったわけですが、頭が新しい小説に向かって動き始めているために、今さら降りることもできず、絶壁で立ち往生していたのでした。当ブログやnoteに、小説のメモを書こうとか、資料の引き写しをするとか、予告しました。しかし実際には、小説をどう書けばいいのか分からず悩みこんでいて、小説以外に頭を使う余裕はありませんでした。出鱈目な予告をしたつもりはないのですが、小説のことで――小説が書けないことで、脳内がパニックになっていました。

 十日ほど前には、ある書き出しと文体が思い浮かんで取りかかりました。数日、順調に捗るかに思えたのですが、冷静になってみると、このアイデア、文体では駄目だということが判りました。ずっと悩みこんでいた後に、できるぞ! と意気込み、ある程度書き進んだところで断念した失望感は、非常に大きなものでした。しかし、これは「正しい」ステップに向かう最後の関門だったようです。

 書き始めたのは、思ってもいなかった小説です。漠然とした構想の中に萌芽のようなものはありはしましたが、登場人物や舞台はみな、書き出して初めて出会ったものです。もう止まりそうにありませんから、準備が足りないところは調べながら進むしかないようです。「メソポタミアン・ファンタジー」みたいに(?)始まり、ずうっとずうっと先に未来の日本で終わる予定です(本当かな……?)。

 最初の話は定型のファンタジーめいて見えるかもしれません。それはそれで構わないのですが、一方で根っからのファンタジー好きの人には「これはファンタジーじゃない」と拒絶されそうな気もします。これこそ私の生きる道? 構想が大きすぎて、終わりが全く想像できません。そこまで頭が持つのか……? その前に寿命が来ないか……?

 写真は東京国立博物館東洋館の展示物「楔形文字粘土板文書」です(イラクで出土)。古代の書記学校の生徒が、表裏両面に「羊の脂」「牛の脂」と何度も練習に書いたものだそうです。この小説の中に、そのまま出て来ます。