月別アーカイブ: 2021年2月

レワニワ閲覧室に新蔵書

セルバンテス/シェイクスピア

レワニワ図書館の閲覧室に、新蔵書『シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?』を配架しました。「三田文学」2021年冬季号掲載の同題のエッセイを一部手直しし、特別付録として「カルデニオ-ハムレット化計画」を付け加えたものです。本文の概要は、前回の当ブログの他、「レワニワ瓦版」の2月15日付けの記事中にも載せてあります(改行を除けば同じものです)。

シェイクスピアの<二重の欺瞞-カルデニオの物語>問題についてはとりあえず終了、今後は英訳版を掲載する予定があるのみです。ただし、余録として勝手に妄想した『恋に落ちたシェイクスピア』の続編のプロット(再び恋に落ちたシェイクスピア?)を、そのうちに投稿しようかと考えています。

ドン・キホーテとセルバンテスについては、とりあえず休止とします。再開するとしても、恐らく何年か先になるでしょう。読んだ本については、これからも書きたいことが見つかった時に書きます。予告してあった風土記の補遺も必ずやるつもりです。ただ、嬉しいことに、先日、2月12日に突然小説を書く目途が立ったので、すぐに執筆に取りかかることはないものの、こちらに徐々に重点を移していこうと思います。いや、驚きました……小説については、また改めて記します。

イベリア半島と大ブリテン島の間に

思い出せないと前回記した「シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?」の補遺に関して、一つ記憶の底から甦って来たことがあります。シェイクスピアとドン・キホーテについて、なぜ「釈迦に説法」の誹りを免れない口出しをしているのか、書くつもりだったのでした。

私は厚かましいタイプではないと自認しています(それが厚かましい?)。一方で、変なことを思いついてしまい、そうなると黙っていられない面もあります。両方ともこのブログで発揮されている思いますが、後者が優勢かもしれません。しかし、いくら思いついたからといって、上記の問題に関して、英文学、西文学の諸先生が丁々発止のやりとりをしていたなら、その舞台にしゃしゃり出ることはなかったでしょう。

しかし、状況はそのようではなかったのです。スペイン側から「二重の欺瞞-カルデニオ」問題へのアプローチは多分ありません。シェイクスピアの真筆かどうかの争いなら管轄外ですし、セルバンテスやドン・キホーテの研究に資するものではないと考えるのは当然です。外野としては、首を突っ込んでくれたら楽しそうに思えるのですが、アカデミア内部の人はそうした外部的な事象には関心を示さないでしょう。 続きを読む

補遺は断念、英語版は進行中

The magic hour ?

スマホのGoogle Photoが、上の写真を表紙にThe magic hourと題する10枚ほどのスライドショーを勝手に作成していました。光の加減で空と雲がきれいに見えるタイミングを狙ってやたらと写真を撮っていたのは確かですが、こんなお節介を頼んだ覚えはありません。なのに、何が選ばれたのか気になって全部見てしまいました。巨大IT企業に脳内まで支配される未来はそう遠くないと感じました。怖いことです。

閑話休題。「三田文学」に掲載したエッセイ「シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?」について、補遺を書きたい気持ちがありました。送稿した直後は、原稿を短くするために削った箇所が惜しくてやる気満々だったのですが、先送りする内に熱意が薄れました。時間の経過だけが原因ではありません。

上記エッセイを書く前から、この英語版を作ろうと思って、その方策を考えていました。私は英訳ができないので、とある人に英訳者の紹介をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。おかげで英訳者の目途が立ち、既に依頼をすませて英語版用に修正した原稿を渡してあります。3月末に翻訳ができる予定です。 続きを読む