月別アーカイブ: 2018年9月

残酷さとハッピーエンド  #10

豊後・肥前の九州二カ国の「風土記」は短く、双方とも、その主たる内容は大和王朝による九州の辺土征服とそれに関連する神話である。物語としての面白さを持つ一方、征服した側からの一方的な記述に偏っているため、狭苦しく、息苦しい。#7に合わせて言えば、ここでは風土は神々や天皇を刺繍した天蓋で覆われているのだ。

「豊後国風土記」中、海石榴市つばきち血田ちだの地名の起源は、こうである。景行天皇が群臣に命じて土蜘蛛を襲わせる。勇猛な兵卒は海石榴の木を武器に変造して「山を穿うがち、草をなびけ」、土蜘蛛をことごとく殺伐したので、踝まで血に没した。海石榴の木の武器を作った所を海石榴市、血が流れた所を血田という。 続きを読む

播磨国風土記の地名起源説話  #9

フォーマットは違うものの、形式的なまとまり具合で「播磨国風土記」は「出雲国風土記」に劣らない。播磨編の定式は、こほりや山や川のそれぞれに地名の由来が記され、里においては農地に九段階のランク付けがされるというものである。

地名起源には興味深いものもあるが、たいてい「寒い」駄洒落の類いで――賀野かやの里は応神天応がここに御殿を造って蚊屋を張ったから――やがて辟易することになる。しかも播磨編は結構長いのに(角川ソフィア文庫版で150ページ超)、駄洒落地名起源説が最後まで飽かず繰り返されるのだ。

古代の人々の生活に直接触れるような生々しさに欠ける点も、出雲編と同様である。活躍する「登場人物」は殆どが神々や天皇を筆頭とする貴人である。なので、記紀のような神話と歴史の融合体から、時間軸を抜いてフラットに仕立てた(かつ、うんと素朴にした)ものを読んでいるような感触を覚える。 続きを読む

「官報」としての出雲国風土記  #8

風土記が人気薄である原因の一つは、「出雲国風土記」にあるのかもしれない。大和朝廷対出雲王権という古代史の人気トピックの中心地である上に、残存五か国の内で唯一ほぼ完全な形で残っているのだから、古代史に興味を持つ読み手の期待はいやが上にも高まるだろう。が、私見では残存五か国中もっとも退屈なのが出雲編なのである。

なぜ退屈か? 風土記は、朝廷の求めに応じて各国の事情を報告したもの(「」)であり、その集成として「官報」のような性質を持っている。出雲編は時代的に新しいので形式的に整っており(つまりは官報としての完成度が高く)、しかもそれがほぼ完全な形で残ったために、読み物としてはつまらないのである。

常陸国風土記を読んでいると、「以下略」と記されている箇所が多くある。何が書かれていたか気にかかり、省略があるのを残念に感じたものだ。ところが出雲編を読むと、「長江山。郡家こほりのみやけの東南五十里。水精みずとるたま(水晶)有り。/暑垣山。郡家の真東二十里八十歩。とぶひ(狼煙を上げるための施設)有り。/高野山。郡家の真東十九里」といった記述が延々と続くのに出会うことになる。 続きを読む

「仕事と日」と風土記、アンダルシアの青い空  #7

古代ギリシアの「教訓叙事詩」、ヘーシオドスの「仕事と日」には、一般の人の生活をリアルに記述した部分がある(松平千秋訳。岩波文庫。「/」は改行を示す)。

「またこの時節(1~2月)には、肌を守らなければならぬが、これからもわしがすすめるように、/柔らかい上着(クライナ)と足まで届く肌衣を身に着けよ。/縦糸を少な目に、横糸を多くして織るのだ。/これを着て肌を蔽えば、体じゅうの毛も静かに動かず、逆立って鳥肌になることもない。/足には、屠殺した牛の皮の、内側をフェルトで厚く裏打ちしたサンダルを/足にきっちりと合わせて穿け。/寒気の季節が到来したならば、一歳の子山羊の皮を、/牛の腱で縫いあわせよ、背にかかる/雨を防ぐためにこれを羽織るのじゃ、また頭には、/耳を濡らさぬように、フェルトで仕上げた帽子を被れ。」

時代の違いを(再び)無視して御託を少し。この執拗で細密な記述と、風土記の軽やかな文章とを比較すると、西洋の油絵の風俗画と絵巻や浮世絵との違いのようだ。リアルだがねっとりvsやや類型的だが洒脱。 続きを読む

古代の書物を読む楽しみ 常陸国風土記(3)  #6

前回と同じような、人々が集って楽しむ様を描いた例をもう一つ挙げよう。久慈郡(くじのこほり)の一節である。

「浄き泉は淵をして、しもに是れそそながる。青葉はおのづからひかりかくす。きぬがさひるがえし、白砂しらすなごは亦、波をもてあそむしろく。夏の月の熱き日に、遠き里近きさとより、熱きを避け涼しきを追ひて、膝をちかづけ手を携へて、筑波の雅曲みやひとぶりを唱ひ、久慈の味酒うまさけを飲む。是れ、人間ひとのよの遊びにあれども、ひたぶる塵中よのなかわづらひを忘る。」

前にあげた二つの文に比してやや説明的だが、これも「夏の月の熱き日」の実感を伝えて間然とするところがない。真夏の光のまぶしさ、それ故に濃くなる陰影、酷暑をも楽しみに変えて遊ぶ人々。個人的には三菱の創始者岩崎彌太郎の日記中、夏の一日を親族や社員と共に川原で楽しんだ場面を想起する。彌太郎の評伝を書くために彼の日記を熟読したからだが、まあ、そんな人間は世界中で私以外ほぼいないとしても、盛夏の楽しみが古代も明治時代も同じようなものだと分かるのは、やはり面白いことだ。私も子供時代にこんな楽しい時間を過ごしたことがある。今の子供も少し幸運なら可能だろう。 続きを読む

筑波山の合コン 常陸国風土記(2)  #5

常陸国風土記の倭武やまとたけるをめぐる短い美しい文章を読んでいたら、頭の内に一つの情景が浮かんで来た。

森の小径で顔を上げると、濃い青色の空が広がっているのが目に入った。空気は乾燥して熱い。すでに盛夏は過ぎたが、辺りの木々は旺盛に葉を茂らせている。地面は赤茶色く、その表土はひとたび風に舞い上げられれば小さな棘のように人の目を刺すだろう。しかし、いま風はやんでいる。倭武の乗る乗輿こしのそばに立つ男たちも動かない。その足下を真っ黒い蟻が列をなして這い回っている。……

先の短い文章には、このような妄想を誘い出す力がある。ちなみに夏の情景としたのは勝手な決めつけで、原文に季節は出て来ない。だが、私には夏としか思えないのである。こうした文章が紡ぎ出されたのは、この文章にとっては余徳に過ぎない(当たり前だが)。「常陸国風土記」には、このすぐ後にも魅力的な文章が続く。 続きを読む