豊後・肥前の九州二カ国の「風土記」は短く、双方とも、その主たる内容は大和王朝による九州の辺土征服とそれに関連する神話である。物語としての面白さを持つ一方、征服した側からの一方的な記述に偏っているため、狭苦しく、息苦しい。#7に合わせて言えば、ここでは風土は神々や天皇を刺繍した天蓋で覆われているのだ。
「豊後国風土記」中、海石榴市・血田の地名の起源は、こうである。景行天皇が群臣に命じて土蜘蛛を襲わせる。勇猛な兵卒は海石榴の木を武器に変造して「山を穿ち、草を靡け」、土蜘蛛をことごとく殺伐したので、踝まで血に没した。海石榴の木の武器を作った所を海石榴市、血が流れた所を血田という。 続きを読む