岩崎弥太郎の日記をめぐる葛藤

 別れ道の分岐点で、どちらに進むかどうしても決められず、立ち往生したまま何日も過ぎて行きました。いくら考えても答えが出ないので、頭の中を整理するために、何を迷っているのか文章にすることにしました。

 個人的な「悩みごと」はnoteに向かない材料だと思うので、久しぶりこちらに書きます。noteのSNS的な部分は今も馴染めないのですが、あちらは記事を形にまとめてアップする手順が簡単なので、慣れてしまうとWord Pressは面倒という気持ちが先に立ち、ご無沙汰になりました。

 別れ道とは、岩崎弥太郎の日記に深入りをするのか、次の小説を書く準備を本格化させるのか、どちらに進むかということです。両者を並行させることは、今の私の脳味噌のキャパシティからして無理なようです。5、6年前までなら可能だったと思いますが。年齢がかせになって来ました。

 私の頭と身体が元気なのは、あと5年くらいでしょうか。病気や事故がないという仮定でですが、無事であったとしても10年後には衰えている可能性が高いと思います。視力が持つのかも、だいぶ怪しくなって来ました。いずれ二つともやるとしても、後回しにした方をきちんと完成できるのか非常に不安です。

 岩崎弥太郎を再度考察の素材にしようとしたのは、『宮殿のアルファベット』を書いた後、色んな情況が重なって、もうこの先小説は書けない感じていたからでした。ならば、不本意な形の新書が出たために、悔いの残っていた岩崎弥太郎を考察し直そうと思うに至りました。下準備として、弥太郎の日記の面白さはどこから来るのか、江戸時代(特に幕末)から明治維新期に書かれた日記を読んで比較してみることにしました。

 その結果、思いがけないことに、岩崎弥太郎の日記は他に類を見ない独自性の強いものであることを発見しました。弥太郎について著書にしたから、持ち上げているのではありません。むしろ、あれだけ真剣に向き合ったのに、日記のこうした個性と価値を見過ごしていた自らの節穴ぶりに落胆しました。私を含めて、彼の日記はほぼ史料としてのみ読まれて来ました。他の日記との比較抜きに、その真価を見出すことは不可能でした。

 弥太郎の日記を考察の対象にすることには間違いなく意義がある――そう確認できたからには、日記を読み直し、現代語訳を適宜行いつつ、その解釈を綴っていこう……となるはずでした。ところが、ここまで書いたところで、突如、心の中に大きな灰色の雲のような新たな迷いが湧き出て来て、あり得べき進路を塞いだのです。文章を書くことでようやく頭の整理ができたのに、私は再び立ち止まりました。

 暗い雲の中から、怒りや葛藤を含んだ大声が轟いて来ました。岩崎弥太郎のことを、またやるのか? なんで? 放っておけばいいではないか? 彼の存在意義は今も正しく認識されているとは言い難いが、三菱の創始者としては十分に評価されている。だいいち私には無縁の人物だ。私は本当は小説を書きたいのではないか……小説への欲望の前では、弥太郎の日記の存在はかすんでしまうのでした。

 しかし、本やPCの前を離れて日常に立ち戻り、私の内部に立ち昇った雲が見えなくなると、小説は今の私にはとうてい書けそうにない、という以前と同じ冷静な判断に立ち戻ります。ならば、と弥太郎の日記に向かおうとしても、再認識された小説への強烈な欲望に比較すると、日記への意欲は微弱なものでしかないことが明らかでした。そんなこんなで、日記に手を着ける意欲が湧かず、迷いが生じてから丸一ヶ月が過ぎていました。

 それでも折に触れて考え進める内、六月が終わりそうになる頃になって、答えがみつかったのです。弥太郎の日記に取り組む意欲を構築する方法を見出した、ということです。それは、弥太郎の長崎時代の日記だけを取り上げ、一人の下級武士の青春の記録として提示することでした。当時の彼の日記に描かれているのは、幕末の激動を葛藤と共に生きた青年の姿です。

 明治維新後、三菱の創業者となるべく進んで行く弥太郎については、ここでは考えません。長崎時代の彼は、事情がわからないまま土佐商会の主任格となり、石頭の上司の掣肘せいちゅうを受けたり、海援隊のわがままに翻弄されたりする存在でした。弥太郎は不安な心をかかえながら、幕末維新の歴史を作って行く人たちと交際し、外国商人と苛烈な折衝を行いつつ、ひとかどの人物に成長して行ったのでした。

 青年時代の日記は、後に振り返ると成長の記録や青春の証しとなります(「黒歴史」かもしれませんが)。岩崎弥太郎の日記はそうした類いのものでした。ところで、こうした成長や青春の記録という性質を持つ日記を明治より前に書いたのは、私の知る限り、日本国中で岩崎弥太郎ただ一人なのです。ただし、今に伝わる江戸期以前の日記、日録は膨大な量で、網羅的に見ることはほぼ誰にとっても不可能です。もしそうした成長の記録としての当時の日記の存在をご存じの方がいたら、ご教示願いたいと思います。noteには、幕末期の様々な日記に関していくつかメモを記しています。