noteで常陸国風土記現代訳完成後に続けていた「考察」を、新しいマガジン「常陸国風土記を旅する」にまとめました(前のマガジンと同様「レワニワ図書館」閲覧室にも配架)。このブログで同風土記について考察したことを整理し、簡略に読みやすくしようと試みたものです。内容的に深まっている面もあります。
書房ブログでは、考えるのと書くのをほぼ同時に進めたため、詰め込み過ぎて想定以上に長くなったという反省があり、note用に書き直すのを二度手間とは思いませんでした。しかしながら、改めて読むと長いだけでなく文章がギクシャクして読みづらい……。オリジナルな論考なので、読む価値なしとは思いませんが、何と言いましょうか、読む人を選ぶ文章になりました――「選ぶ」の後に(笑)とつける感じで。
noteの方はどうかと言うと、改善されてはいるでしょうが、それでも全6回、400字詰め原稿用紙算なら30枚を余裕で超え、内容を十分にまとめ切れないという欠点は払拭されませんでした。どうやら私の能力の限界のようです。「論考」系のエッセイを書くと、こうなります。『会社員とは何ものか』がそうでした(『岩崎彌太郎 会社の創造』が新書として部厚過ぎるのは別の事情によります。この件については黙して来ましたが、このブログに書くことになるかもしれません)。
どの論考も素人が専門分野にちょっかいを出す体なので、読者の信用を得ようとしてつい力が入り、専門家なら軽く流すようなところを詳しく書いてしまいます。では、別様に書けるのかというと、それもどうも怪しい。わかりやすさとのバランスを考えて、書きたいことがあっても抑制する――ということがひどく苦手なようなのです。
ともあれ、考え、調べ、書くという作業は、私にとって最高の楽しみでした。過去形なのは、「その本はなぜ面白いのか?」という括りで続けて来た一連の論考をここで終わりにするからです。最高の楽しみを手放すのは残念ですが、頭にあった論考のテーマはおおむね消化し終わり、かつ、そろそろ小説が書けそうにな気配になって来たのです。小説は、論考と違い、書いていて苦しいばかりですから、そうなっても心は弾まないのですが、小説が書けるのなら、この愉楽はキッパリ諦めることができます。
どのような小説になるのかは、すでにある程度見えています。ゆっくりとですが頭が動き始めていて、時に書きたい意欲をかきたてられることもあります。ただ、構想をもう少し熟した状態に持って行きたいので、また様々なアイデアを整理する必要もあって、実際に着手するのはもう少し先になります。
小説を書く上で多くの困難があることは今から目に見えています。おまけに、その小説は読者の理解や共感を獲得するのが難しい種類のものになりそうです。今から別のアイデアに移行するのは無理なので、このまま進むしかありません。そうしたあれこれについて、ここにメモしておこうと思います。小説を書く役に立つことを期待しつつ。