レワニワ図書館」カテゴリーアーカイブ

「再び恋に落ちたシェイクスピア」限定公開

シェイクスピア大明神に導かれるままに書いた「再び恋に落ちたシェイクスピア」、限定的に読んでもらえる手はないかと考えていました。そもそもは、映画続編のシノプシスを書いてみよう、それがブログ1回分のネタになればと思いつきから始まりました。

ところが着手すると、登場人物やストーリー、場面の細部が勝手に、次から次に浮かんで来て途切れることがありません。それらを懸命に書きとめる内、400字詰め原稿用紙換算で100枚弱、シナリオ第一稿のようなものができてしまいました。長すぎて、ブログには収まらないし、制作者の権利侵害の恐れはないにしても、レワニワ図書館の蔵書として少し変です。困っていたら、一つのアイデアが浮かびました。

この「続編」、シーンによっては場面としてどう成立させるかを詰めないまま進めました。シナリオの書き方はよく知らないのですが、それらしく各シーンに番号をふってあって、中のいくつかはラフの状態に留めています。たとえばシーン47では、重要な登場人物である少年少女(どちらも貴族の家系)が、シェイクスピアの芝居の稽古に出かけているのが家族にばれそうになったものの「何とか誤魔化す。二人は目配せして微笑む」と記しました。 続きを読む

雲の写真とレワニワ図書館表示トラブル始末

レワニワ図書館関連でドタバタが続いたので、経緯をまとめておきます。上と下の写真はそれとは関係なく、9月9日に撮影した鉄床雲かなとこぐもです。積乱雲が成長して1万メートル前後で成層圏にぶつかるとそれが高さの限界となり、頂上が横に広がって、その形が金属を打って加工する台の鉄床のように見えることから名づけられたのだそうです。

9月9日夕方、横浜市北部から。変な入道雲だなと思って撮影したのが下の写真、それが変化し夕陽に輝いているのに気づいて撮ったのが上。ネットによれば、雲は千葉と茨城の県境付近にできていたとのこと。

 

 

エベレスト級の山があればここから見えるのかと考えたら、勝手に想像しただけなのに胸がギュッと締めつけられました。カムチャツカ半島で富士によく似た山が二つ並んでいるのをTVで見た時の不安、気味悪さと似た感触……この感じ、わかりますか? 本題は、この下で。 続きを読む

レワニワ図書館特別閲覧室の問題解決

表示乱れが起こっていましたが、解決したのでページ本来の姿に戻しました。私が何かしたわけではありません。原因不明で勝手に壊れて勝手に修復され、私はそれに合わせてページを一部編集しただけです。Flow Paperが原因かと疑いましたが、これも不明です(9月20日記)。以下はトラブルに関する元の記述です。 続きを読む

ドストエフスキーの落書きと落書帳

上掲画像のドストエフスキー全集第17巻には、ドストエフスキーの手稿・メモと落書きが収められています。ドストエフスキーの落書きはなかなかに魅力的です。下に3点示します(編集者、出版社の権利を考慮して画質を落としています)。

落書きには、上のような人物(ほとんどが顔)の他、建物の一部と覚しきもの、パターン化された模様が多くを占めます。人物はざっと数えたところ97描かれていますが、全部男性です(たぶん)。女性を描かなかったのには何か理由、原因があったのでしょうか?

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レワニワ図書館、半年ぶりに新蔵書

レワニワ図書館特別閲覧室に『横書き詩集1』をアップしました。蔵書中、初めての詩集です。半世紀近く前にノートに落書きし、バラバラにして保存していた中から選びました。ルイス・キャロルの影響下にあるものが中心です。ナンセンス詩を書いてみたかったのです。キャロルのような数学的思考はできないと分かっていても、やってみたかった。横書きなのは、普段使っていたノートが横書きだったからです。

前回ためらっていると記した割には早いアップになりました。で、「1」とありますが、『横書き詩集2』はさすがに大分先になると思います。ナンセンス詩はすごく恥ずかしいとまではいかないのですが(普通に恥ずかしいだけ)、その他のものは、どうもだいぶ、何というか……恥ずかしさが少ないものを選ぶのが難しそうです。なにしろ古いので、いくつかの作品では説明(いいわけ?)が必須だろうと思っています。いずれ後書きとして書くつもりです。

『女神の肩こり』 自作解説(3)


レンブラント「モーセと十戒の石板」

女神によって創造された穏やかな世界は、唯一神が物語を人間に吹き込んだことで一変しました。英雄ごっこが戦争になり、恋愛のために嘘をつくようになります。p25物語を通して記憶が共有されると、新しい知恵が生まれた」物語の形を取ると記憶は残りやすくなるようです。そこから知恵が共有され、農牧畜が始まります。富を蓄えることが可能となって、都市、国家、身分制度が形作られていきます。

物語が歴史を生み出したわけです。フランス語では歴史も物語も同じ言葉(histoire)で云々といったことも頭にありましたが、旧約聖書は「物語でありながら、その全体を『律法』として捉え」られるという加藤隆氏の文章(『旧約聖書の誕生』こちらを参照)により動かされたものと思われます。ユダヤ人の国の礎は律法=モーセ五書であり、それは宗教的な掟でもあれば物語でもあるのです。

p27国を統治するため、物語を元に律法を制定した」加藤氏の本から一歩踏み出し――というより逸脱し、「律法を記録するために文字が発明された」なんてそんなわけはありませんが、絶対にないとも言えない……ということにしておきましょう。ちなみにモーセの時代にヘブライ文字は存在しませんから、上掲のレンブラントの絵(1659年)は時代錯誤アナクロニズムです。 続きを読む

『女神の肩こり』 自作解説(2)

ロリーポリー・ロボット

自分の頭の程度を知っているので哲学書はあまり読みません。ただ通常とは違う思考法やおかしな用語に妙に惹かれたりもします。「不動の動者」「一者からの流出」「存在と存在者」等々、『女神の肩こり』の中で、唯一神が「世界を創り出したのは私ではなくあれ(女神)なのだ」(p3)と述べるのは、そうした言葉が歪んで(現実が夢の中に登場する時のように変形されて)現れたものと自分では思っています。

創造主と神とを分け、この世界の創造主は神から生まれたと考えると、世界がこうあるという現実を説明する上で便利な面があります(たとえば世の悲惨、不条理は神のせいではないと言える、とか)。また、神があらゆる面で至高の存在であるなら、世のありよう・・・・ばかりか、世界があるかどうかすら神は関知しないことになります。なので『女神の肩こり』の神は「私に世界など必要ない」(p55)と言い切るのです。 続きを読む

『女神の肩こり』正式版を公開

レワニワ図書館の特別閲覧室に、『女神の肩こり』正式版を公開しました。横書き、見開きで読める「絵本」です。一から作り上げたオリジナル作品としては、もう何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりのものです。

短く仕上げて、2月中にアップするつもりでしたが、途中の3日間、全く先に進めないほど難渋し、予定期日通りとはなりませんでした。短編小説と言っていい長さになったのも想定外でした。制作過程での予期しない展開、書けない時の苦しさやそれを乗り越えた時の安堵といったものを味わったのも、本当に久しぶりでした。 続きを読む