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クセノポンによる人物スケッチ  #39

「アナバシス」は戦記なので、指導者についても当然触れられる。ある時、ギリシア傭兵隊の指揮官クレアルコスは、ペルシアの将軍ティッサペルネスの陣地に招かれる。これは奸計で、訪れたクレアルコスらはそこで処刑されてしまう。殺されたクレアルコスらについて作者クセノポンの記した人物スケッチが興味深い。

総指揮官であるスパルタ人クレアルコスは、無類の戦争好きだった。軍隊の指揮官として抜群の資質を持ち、特に物資や糧食の調達に長けていた(ただし注釈には、激しい徴発で女子供を餓死に追い込んだとある)。常に峻厳、苛烈だったが、戦場で敵に対する時には力強く非常に頼もしかったので、部下たちは彼の指揮に全面的に従った。だが、粗野で人を惹きつける魅力がなく、戦場での危機を脱するや否や、部下たちはたちまち他の指揮官の元に走った。「彼は親愛の情や好意をもって従う部下を持つことは嘗てなかった」

テッサリア出身の指揮官メノンの部下たちは、クレアルコスを殺そうしたことがあった。しかし、その咎を許されて以降もメノンはクレアルコスに従っていた。しかし、ペルシア陣営行きに同行したのは、クレアルコスを裏切って一人だけ助かるためだった。

メノンは「率直や正直は馬鹿と同義語だと考えていた」「警戒している敵から財物を取るのは難しい」ので、無警戒の味方から持ち物を奪うのを上策とした。誓約を破り悪事を働く人間は「手剛てごわい相手だとして恐れ、敬虔で真実を守る人間は腰抜けとして扱う」「メノンは人を騙す能力とか、嘘を捏造したり、友人を嘲笑したりすることを自慢していた。平気でどんなことでも出来る人間でなければ、半人前だというのが彼の考え方であった」ペルシア陣営において、他のギリシア人は一瞬で命を奪う斬首刑に処されたが、メノンだけはこうした卑劣さの故に敵からも憎まれ、「悪人として残虐な扱いの下に一年間生き延びた後、死んだ」

クセノポン自身についても、もちろん多くの記述がなされている。敵に内通したとの誤解から、味方の兵たちに石打ちの刑に処せられそうになった時、彼が見事な演説をして説得する部分は、作中のクライマックスの一つである。だが、私が「耳折り」した中に、作者自身に関する部分は意外に少なかった。古来、クセノポンについて、名文家だが自己正当化や言い訳が多いという評があったらしい。私はそう感じたわけではないが、先のスケッチに示したような鋭い評言を自分自身に向けるのは(当然のことだが)難しいし、そんな気は作者にはなかっただろう。下記は、私が耳を折った「作中人物クセノポン」の兵を前にしての演説の一部。

「戦いにおいて勝利をもたらすものは、兵の数でも力でもない。一方が神助を得て相手に勝る旺盛な士気をもって敵に向かえば、大抵の場合他方はこれを迎え撃つことができぬ……戦いにおいて何としてでも生き永らえようと望む者は、大抵は見苦しく悲惨な最期を遂げる……それに反して死は万人共通で逃れ難いものと悟り、ひたすら見事な最期を遂げんことを志す者は、何故かむしろ長寿に恵まれ、存世中も他の者より仕合わせな生活を送るのを私は見てきている」

戦場の逆説、あるいはむしろ「戦場あるある」だろうか? この演説には、クレアルコス亡き後の総指揮官ケイリソポスの絶賛の言葉が添えられる。もしクセノポンが現代日本に生きていたなら、ベストセラーを書いた上に、弁も立つのでメディアで活躍できそうだ。但し、一部からはネトウヨ、レイシストと非難され、やがて言葉尻を捉えられたり、直言を失言と決めつけられてたりして、一線から退場させられる……というところまで想像できる。アテナイ人クセノポンはソクラテスの晩年の弟子でもあったが、スパルタびいきでアテナイに弓を引いたこともあり、裏切り者としてアテナイ追放後ついに故郷に帰ることはなかった。

「アナバシス」で最も印象に残るのは戦闘シーンではなく、苦難の退却行である。敵の来襲を防ぎつつ、一万余の軍勢の糧食を整え(道中、敵対する集落を略奪したことが書かれている)、メソポタミアの熱暑の下で戦っていた軍勢が、全く想定外だったであろう進路、現在のイラン西部からアルメニア南部を通り、酷寒の中を黒海に向かって行軍することになった。一行は、山岳地帯で雪に見舞われる。

「兵士のうち村まで歩き通すことのできなかった者たちは、食事もとらず火の気もなしで夜を過ごし、ここで幾人かの兵士が死んだ……雪のために眼の見えぬようになった者や、寒さで足指を失った兵士たちは落伍していった……夜は穿物(はきもの)を脱ぐのが良策であった。靴を穿いたままで眠る者は、靴紐が足の肉に食い込み、靴が足に凍り付いてしまう」兵たちは革製のサンダルのような履物で雪中を行軍していたようだ。かくして「落伍兵たちは、自分たちはもう歩けぬのであるから、むしろ殺してくれ、と言った」という地獄絵図となる。

「アナバシス」の明快な面白さ  #38

ヘロドトス「歴史」に続いて、クセノポン『アナバシス』(松平千秋訳、岩波文庫)を読んだ。これが面白くて、古い書物の中から生々しい声を聞きたいという願いを満たされ、古代の書物への思いがさらに強まった。どちらも松平千秋訳だったのは、偶然ではなさそうだ。『アナバシス』には「敵中横断6000キロ」という、戦記物や時代小説好きの読者の目を引きそうな副題が付いている。

訳者解説では副題の由来に触れていないが、誰の提案によるのであれ、できるだけ多くの人に手に取ってほしいという願いがなければ、こんなキャッチーな副題がつくはずはない。「イリアス」「オデュッセイア」の岩波文庫版も松平訳で、呉茂一訳から「交替」している。両書も「アナバシス」同様読みやすく、松平氏は平易な訳文を心がける人だったのだろう。少なくとも、私が岩波文庫の販売戦略に乗せられたのは間違いない。

なぜ「アナバシス」が面白いのかについて、謎はない。副題にひかれて読んだ人も満足しただろう。ペルシア皇帝ダレイオス2世の死後、兄アルタクセルクセス2世が跡を継いだものの、弟キュロス(小キュロス)は兄の王位を認めず、戦端を開く。キュロスは優位に戦いを進めたが、自身が唐突に戦死して戦局が一変、キュロスに従っていたギリシア人傭兵1万は、ペルシア勢の中で孤立する。

その傭兵たちが敵中を突破し、死中に活を得るまでの壮絶な記録が「アナバシス」なのである。ワクワク、ドキドキしながら読み進められるので、この本の面白さには謎がないと感じたのである。で、実は書く意欲が少し削がれている。謎について考えると気が重くなるのに(この謎の解明することは自分の手に負えないのではないか)、一方で、すでに解決ずみのこととなると、書く前に意気阻喪してしまう(既に答えの出た謎をうまく説明する作業は単なる労役のように思える)。われながら難儀な性分だ。

軍記は後世に物語化されたものであるから創作の面が強く出るが、「アナバシス」は、実際に副官として奮戦したクセノポンが記した「記録」である。ならば全て事実かというと、読んだ人はそうは思わないはずだ。というのも作者クセノポンが、何というか、活躍しすぎの感があるのだ。しかも、自分のことを「クセノポンが」と三人称で書くので、余計にうさんくさい。もちろん、自らを名前で呼ぶこと自体は珍しいことではなく、#36で「本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが――」という文章を引いたばかりだ。カエサル「ガリア戦記」も同じく、作者は自分を「カエサルが」と三人称で語る。それでも「アナバシス」の作者には好感を持った。自慢する文章が嫌味にならない天与の得な性質を持っていたようだ。

「アナバシス」はまずは目覚ましい戦闘の記録である。高校世界史でギリシアとペルシアの戦争について学んだはずだが、その後、ギリシア人がペルシアで傭兵になっていたとは知らなかった。ギリシア人の軍人としての強さは、当時鳴り響いていたようである。以下、ギリシア傭兵が密集隊形を組んで敵陣に迫ったただけで、恐怖したペルシア軍が敗走する場面。

「両軍の距離がもはや三、四スタディオンほどもなくなった時、ギリシア人部隊は戦いの歌パイアーンをうたって敵陣めがけて前進を始めた。前進するうちに、戦列の一部が列から先へはみ出ると、遅れた部分が駈足で走り始める。同時に全員が、軍神エニユアリオスたたえるときの声に似た叫びをあげると、一人残らず走り出した。幾人かの言うところでは、ギリシア軍は大盾と槍を撃ち合わせて音を立て、敵の馬を脅えさせたという。矢が届く以前にペルシア軍は踵を返して逃走し始め、そこでギリシア軍は全力をあげて後を追ったが、走ってはならぬ、隊形を崩さずに追撃せよ、と互いに呼び交わしていた」

重装歩兵の密集隊形による攻撃は、当時において、弓矢、盾、槍と剣くらいしか武器を持たない軍勢に、鉄製の大型戦車が向かって来るようなものだっただろう。このような戦法はギリシア軍以外には不可能だった。というのも、軍勢が一体となり、高度な戦術を駆使するには、兵はただ命令に従うのではなく、個々が戦法と自らの役割を理解し、さらに「互いに呼び交わ」しつつチームワークを維持する必要があるからだ。そのためには、軍人は「自立した市民」であることが望ましい。こうした資質を持つ者は、当時ギリシア人以外にはいなかった。戦争プロフェッショナル、ギリシア人傭兵の強さの秘密である。

「歴史の父」ヘロドトスの好奇心  #37

「ネウロイ人は……蛇の襲来にあい、全国土から撤退せねばならぬという羽目に陥った……困窮の果て故国を捨ててブディノイ人とともに住むことになった/この民族はどうやら魔法を使う人種であるらしく、スキュタイ人やスキュティア在住のギリシア人のいうところでは、ネウロイ人はみな年に一度だけ数日にわたって狼に身を変じ、それからまた元の姿に還るという」との伝聞情報の後、ヘロドトスはこう書く。「私はこのような話を聞いても信じないが、話し手は一向に頓着せず、話の真実であることを誓いさえするのである」

蛇の襲来、魔法、狼への変身。エキゾティズム満載だが、ヘロドトスの書きぶりはクールかつ簡潔で、誇張や脚色はかけらもない。で、スキュタイの人々が聞かせてくれた話を、最後に「私は……信じない」と突き放す。客観的な記録者の範を守るわけだが、自分は信じなくても興味深い話ならちゃんと書き残すヘロドトスの選択眼とサービス精神のおかげで、私たちは、ネウロス人に関してあれやこれやと想像力を働かせて楽しむことができるのである。

範を守りつつ、信じがたい話も面白ければ記述する。本当の「歴史の父」はトゥキディデスであって、ヘロドトスは物語作者だと評されることがあるらしいが、私はこんな風に言いたくなる。ヘロドトスは好奇心でいっぱいの物語作者のように見聞きし、冷静な歴史家の筆致でそれを書いたのだ、と。私がヘロドトス「歴史」に感じるエートスとは、そのようなものだ。どちらが欠けても惹きつけられなかっただろう(「常陸国風土記」とその書き手にも同様のエートスを感じた)。歴史家と物語作者の両面が現れた例をもう一つあげよう。

「実際どこの国の人間でも、世界中の中から最も良いものを選べといえば、熟慮の末誰もが自国の慣習を選ぶに相違ない。このようにどこの国の人間でも、自国の慣習を格段にすぐれたものと考えている」と経験と知識に裏打ちされた洞察を語った後、実に興味深い逸話が実例としてあげられる。

アケメネス朝ペルシア皇帝「ダレイオスが……側近のギリシア人を呼んで、どれほどの金を貰ったら、死んだ父親の肉を食う気になるか、と訊ねたことがあった。ギリシア人は、どれほど金を貰っても、そのようなことはせぬといった。するとダレイオスは、今度はカッラティアイ人と呼ばれ両親の肉を食う習慣を持つインド人を呼び、先のギリシア人を立ち会わせ……どれほどの金を貰えば父親を火葬にすることを承知するか、とそのインド人に訊ねた。すると、カッラティアイ人たちが大声をあげて、王に口を慎んで貰いたいといった」自分たちを、お金を払えば父親の死体を食べずに火葬することを承諾する親不孝な野蛮人みたいに扱わないでくれ、と憤ったわけだ。

次の一節は、ヘロドトスの書き手としての姿勢を示すものとしてよく知られている。「私の義務とするところは、伝えられているままを伝えることにあるが、それを全面的に信ずる義務が私にあるわけではない。私のこの主張は本書の全巻にわたって適用されるべきものである」

その少し前、ヘロドトスはこう書いている。「私が確信するところはただ、かりに人間がみな自分の不幸を隣人の不幸と交換したいと望んでそれぞれの不幸を持ち寄ったとした場合、隣人の不幸をつぶさに検討した結果は必ずや誰もが、持ってきた不幸を欣然としてそのまままた持ち帰るであろうということである」

前者の文章において伝聞を事実と峻別する姿勢は、いかにも「歴史の父」というヘロドトスのイメージに相応しい。後者においても、ヘロドトスの歴史家としての洞察が披瀝されているように見える。だが、どうだろう? もちろん、後者の文章もまた、ここ(巻七151。内容は略)で記述された具体的な歴史的事例から汲み出された知恵に違いない。しかし、後者は合理的に導き出された結論というより、うがった箴言のように感じられはしないだろうか? この文章は、登場するのは人間でも動物でもいいが、寓話的な物語の教訓として語られる方が相応しく思えるのだ。

ヘロドトスを「歴史の父」と呼んだのはキケロなのだそうだ。この「尊称」はその名を不朽のものにするのに役立ったが、一方で、事実を重視し、実証を事とする歴史家としては、前述のように、物語的でありすぎるといった後世の批判(本当に歴史の父なのか?)の誘因にもなった。キケロの言葉自体、訳者松平千秋氏の解説から引けば、「歴史の父といわれるヘロドトスにしても、テオポンポスにしても、無数の作り話でうずめられている」(「法律論」)という文脈で出て来たのだそうだ。

一介の読者に過ぎない私には、ヘロドトスが「歴史の父」なのか、そもそも本当に歴史家だったのか、どうであれ大して問題ではない。ヘロドトスの「歴史」は読んで面白いのだから、それで十分なのだ。ただ、題名の「HISTORIAE」が、ヘロドトスにとって何を意味していたのかは知りたい気がする。「歴史」の中には、地理学や民俗学の書物と言った方が相応しい内容が大変に多く含まれているのである。だが、これは簡単に片がつく問題ではなさそうなので、疑問だけを残して次の本に進むとしよう。

ヘロドトスの耳を折る  #36

ヘロドトス『歴史』岩波文庫版(松平千秋訳)は上中下三巻本で、それぞれかなり分厚い。通読するのはたやすくはないが、骨が折れるというほどでもない。なにしろ「面白い」からだ。面白さは、第一には好奇心を刺激するエキゾティズムによるもので、「ドン・キホーテ」のように何が面白いのかと悩む必要はない。

好奇心について、アウグスティヌス『告白』から引用しよう。好奇心は「欲望の病」だとアウグスティヌスは言う。彼がこの罪から逃れるには「罠と危険に満ちたこの巨大な森の中で……多くのものを心から切りすてて追い払」う必要があったのだ、と(山田晶訳)。信仰者にとって好奇心は病であり、罪であると否定しつつ、アウグスティヌス自身、好奇心の塊であったことを告白しているのである。

ヘロドトスもまた、「好奇心という病」の虜だった。訳者解説によれば、ヘロドトスはバビロン、リビア、ナイル川上流のアスワン、クリミア半島からウクライナ南部にまで足をのばしている。交通手段の発達した現代でもなかなか骨の折れる旅先……と書こうとして突然気づいた。ここにあげた場所の殆どは、今も訪れるのが困難ではないか。

ヘロドトスが「歴史」において取り扱ったのは、現代に至るまで「世界史」の現場であり続けた地域だったのだ。根が深いなあ。それがどういうことなのか、ここでは考えないでおくが、あきれるほどの長い因縁の場所だと改めて思い知った。ともあれ、強い好奇心が、ヘロドトスをこうした場所へと誘ったのに違いない。一方、出不精の私は近場やネットで視線をキョロキョロさせているだけだが、好奇心の虜であることは同じなのである。

ヘロドトス「歴史」の本文に戻ろう。読み終えてから二年以上経っていて、細かな内容はほぼ記憶から消えている。本文をざっと振り返ってみたら、耳折りをしたページは、食人や残酷な刑罰、珍しい風習にかなり偏っていることが判明した……「耳折り」は私の造語(誤用?)のようだが、わかりますよね? 普段はまず耳折りをしないのだが、「歴史」を読んでいた時期はそうしたかったらしい。理由は不明。

アケメネス朝ペルシャ皇帝カンビュセスの軍の「兵士たちは地上に草の生えている限りは、これを食って生き延びたが、いよいよ砂漠地帯に入ると、彼らの内に戦慄すべき行為に出る者が現れた。十人一組で籤を引き、籤に当たった者を一人ずつ食ったのである」

「バビロンの男は妻と交わった後は、必ず香を焚いてその傍に坐り、妻も向かい合って同じようにする。夜が明けると夫婦とも体を洗う。体を洗う前はどんな容器にも触れないことになっているのである。なおアラビア人もこれと同じことをする」

「イッセドネス人は……父親が死亡すると、親戚縁者がことごとく家畜を携えて集まり、これを屠って肉を刻み、さらにその家の主人の死亡した父親の肉も刻んで混ぜ合せ、これを料理にして宴会を催すのである」

「ペルシア軍は……土着民の男児女児おのおの九人をこの地で生きながら土中に埋めた……クセルクセスの妃アメストリスも年老いてから、名門のペルシア人の子供十四人をわが身のために生き埋めにし、地下にあると伝えられている神に謝意を表したということであるから、人間を生き埋めにするのはペルシア人の風習なのだろう」

クセルクセス側近の宦官ヘルティモスが、かつて自分を去勢したバニオニスに復讐する。バニオニスは「わが子四人の陰部をわが手で切断することを強制された。彼が止むことなくそのとおりにした後、こんどは子供たちが強制されて父を去勢したのであった」

上記は耳折り箇所から引き写しやすい分量のものを選んだだけで、選択に特段の意味はない。が、私の言う「面白さ」の一端を感じてもらえると思う。元々スプラッタやホラーを受け付けない質で、映像では全く駄目だし、文字で読むのも嫌いなのだが、遠い過去の記録となると、なぜだか関心が湧く。その昔、中央公論社『日本の歴史』で読んだ武烈天皇の残虐な所業は、子供心に忘れ難い印象を残し、先般「日本書紀」を読んで「再会」した時には懐かしい気さえしたものだ。

しかし、好奇心を刺激するエキゾティズムは、私の感じたへロドトスの魅力の本体ではない。外つ国を訪れ、その国が本当に好きになるとしたら、好奇心を駆り立てる観光名所=アトラクションが気に入るだけでは不十分で、その国に特有のエートスに惹きつけられる必要がある。私は、ヘロドトス「歴史」という書物に漂うエートスに惹きつけられたのだ。

ヘロドトスによる「愚かな物好きの話」  #35

ヘロドトス『歴史』(松平千秋訳、岩波文庫)は、私が古典と呼ばれる本の中でもとりわけ古い時代のものに目を向けるようになった「全ての爆弾の母」である。これを読んで、大型気化爆弾を食らったかのように、それまでの読書の性向はあらかた吹き飛ばされ、以降、古い本の中から生々しい声を聞き取ることが最大の喜びとなったのである。もっとも廃墟となった爆心地にやがて草木が芽吹き、元の住人の生き残りが生活を再建するように、以前からの読書傾向は少しずつ甦って来たのだが、爆撃前と同じ状態に戻ることはできない。

「本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人(バルバロイ)の果たした偉大な事跡の数々――とりわけ両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを述べたものである」

私は、本屋で、「序」の書き出しである上記の文章を読み、いきなりギュッと心をつかまれたのだった(実は、この文章、松平千秋氏の翻訳の妙とでも言うべきものであることを後に知るのだが、その件については後の章で触れよう)。「歴史の父」ヘロドトスは、人の世において普遍的な事象である変化と忘却に抗おうとしていたのである。そのことに私は動かされたようだ。

ご多分に漏れず、私の住む東京近郊路線の私鉄駅近辺でも書店は近年次々に閉店したが、幸いにも、各駅停車で一駅、歩いてもさほど遠くない急行停車駅に大型書店が生き残っている。ビジネス書のコーナーが大きいこと、雑誌などの陳列や本の品揃えに少々左翼っぽい傾きが見られることは、今時の大手書店にはありがちと言うべきか。一方、哲学・思想関係となぜだかスピリチュアル系の書棚に力が入っているのは、ちょっと不思議。全体としては良質な本屋さんで、ここが閉店したら引っ越したくなると思う。

今はレイアウトが変わったが、以前は岩波文庫のコーナーがメインの通路沿いの一等地と言えそうな場所に鎮座し、お勧めの本が、表表紙が見えるように目に近い高さに置かれていた。ヘロドトス「歴史」を手に取ったのは、この陳列のおかげだ。

また、左隣が講談社学芸文庫の棚で、そこでは『老子』に目が向き、角川ソフィア文庫版『風土記』は岩波文庫の右側の棚で見つけた。古典を全集本で読む気力が湧かない昨今、こういう文庫はありがたい。学術・古典系の文庫を並べた棚が別の地味な場所に変わって以降、こうした本を購入する機会は減少した。今はそうした本の並びを見ても、前ほど魅力を感じないのである。書棚の場所が移動したら、本の発する磁力(魔力?)が減少したかのように。書店は本当に魅力と不思議でいっぱいだ。

おっと、だいぶ脇道にそれてしまった。「歴史」は書き出しに続く部分も楽しい。冒頭、「ギリシア人や異邦人(バルバロイ)が……いかなる原因から戦いを交えるに至ったか」とテーマが提示され、関連する歴史的な事項が羅列された後、突然語り口が変化して、リュディアの王権がヘラクレス家からクロイソス一門に移った経緯が具体的なエピソードとして物語のように語られるのである。

ヘラクレスの末裔カンダレウス王は、近習のギュゲスに自らの妻の美しさが至高であることを認めさせようと、渋るギュゲスを説き伏せて秘かに夫婦の寝室に招き入れる。妃はこれに気づいて裸身を見られたことに恥辱を覚え、夫に復讐すべくギュゲスに王を殺すよう迫る。クロイソス一門に属するギュゲスはやむなく王を殺して妃をめとり、リュディアの新たな王となる……テーマやそれまでの簡潔な書きぶりからすると、あまりに物語的でバランスを失している。しかし、一方で、近寄りがたい気がしていたヘロドトス『歴史』が、読み物として楽しめそうだと思わせてくれた。この予感は裏切られなかった。

上記のエピソードに、「愚かな物好きの話」とタイトルをつけてみたい。「ドン・キホーテ」中に挿入された、前後の脈絡から外れた「短編小説」だ。筋書きは――フィレンツェの若い貴族の親友どうしの片割れが、美貌の妻の貞節を試そうと、友人に妻を誘惑するよう迫る。友人は固持し続けたが、夫のしつこさに負けてしまう。夫は、友人が妻を口説き落とせるようあらゆる便宜を図ったので、二人はついに道ならぬ恋に走ることになる。夫の愚かな好奇心は、最後に悲劇で報いられる。

登場人物の配置、ストーリーの展開など、両者は同工異曲と言っていい。『セルバンテス短編集』の解説で、訳者の牛島信明氏は「愚かな……」の典拠はアリオストの『狂乱のオルランド』だと述べている。となると、アリオストの典拠がヘロドトスということになるのか? はたまた、セルバンテスが『歴史』を読んでいた可能性は……? 探究心をそそられるが、深入りしない。

思うに、ヘロドトス以前からこの残酷かつ大人びたお伽話の原型はあり、それがカンダレウスの王位簒奪の史実であるかのように用いられたのでないだろうか(リュディアの歴史について、ヘロドトスは第三者であるデルポイ人に聞いたと書いている)。ギュゲスは、プラトンの「国家」にも登場する。ただし元々は羊飼いで、透明人間になる指輪を利用して妃と交わり、リュディアの王位を手に入れた者として。こんな指輪を持ってなお人は正義を貫けるのか、とプラトンの登場人物は問いかけるのだ。先のお伽話は、ヘロドトスが記録したことで、時を超えて語り継がれる物語の一原型となったように思える。