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岩崎弥太郎、幕末長崎の青春

 岩崎弥太郎は、幕末につけていた日記に、日曜日を休日とし、誕生日を祝ったことを記しています。日曜日は明治政府が太陽暦が導入した後に広まり、誕生日は第二次大戦後に普及したとされているようです。弥太郎は日曜休日や誕生祝いを世間に先駆けて採用していたことになります。弥太郎は、グラバーら外国商人とのつきあいから西洋の風習を取り入れたのでしょう。

 誕生日の祝いは、織田信長がキリスト教の宣教師から影響を受けて行ったのが最初と言われており、身内での楽しみに留まったことも含め、弥太郎の場合と経緯が似ています。日曜休日や誕生祝いは、弥太郎が外国商人との交流から多くを学んだ一つの現れです。こうした交流は、彼が後に海運業を起こし、近代的企業である三菱を作るいしずえとなりました(ここでは弥太郎の長崎時代に焦点を絞りたいので、これ以上の追求はしません)。

 弥太郎は新しもの好きでした。長崎の料亭に洋服を着て行き、笑われたこともあります。日曜休日や誕生祝いは、こうした彼の性格の発露だったのでしょう。これは、彼が下級武士であるのに、二度目の長崎赴任では土佐商会の実質的な経営主任であったという微妙な立場とかかわっています。上士なら西洋の習慣を取り入れることをはばかったでしょうし、ただの下士では新奇な習慣や行事を商会の中に取り入れる力を持ち得ません。 続きを読む

岩崎弥太郎日記は、なぜ面白いのか?

 岩崎弥太郎の日記には、幕末維新史に名を刻んだ人物が数多く登場します。有名どころをあげれば、坂本龍馬、五代友厚、陸奥宗光、板垣退助、シーボルト、グラバーら。一般的な知名度ではやや劣りますが、後藤象二郎しょうじろう武市瑞山たけちずいざん半平太はんぺいた)、山内容堂(土佐藩主)、池内蔵太くらた、井上馨らの名前も記されています。多くは単に会ったというのではなく、弥太郎が(長崎赴任時を中心に)実際に交際を持った人物たちです。

 弥太郎の日記は、漢文が基本で読みづらくはあるものの、読めば楽しい史料的価値を超える史料だと思います。綺羅きら星のような歴史上の人物たちとの出会いは、彼の日記がもたらす感興の一例です。こうした面において、弥太郎の日記は下級武士の残したものとして例外的です。幕末期の弥太郎は、土佐藩において地下浪人じげろうにん郷士ごうしという低い身分でした(明治維新直前に上士に取り立てられます)。

 noteで、幕末期を中心に下級武士や町人たちの日記を紹介しました。そうした日記には、歴史上の人物と交際したという記述はほぼ見あたりません。『近江商人 幕末・維新見聞録』では、詳細な日記を残した近江商人が、福沢諭吉の話を直に聞いたことが解説に特筆されています。ただし彼は聴衆の一人であったに過ぎません。日記中に他に有名な人物は登場しないので、このエピソードが目立っているわけです。
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岩崎弥太郎の日記をめぐる葛藤

 別れ道の分岐点で、どちらに進むかどうしても決められず、立ち往生したまま何日も過ぎて行きました。いくら考えても答えが出ないので、頭の中を整理するために、何を迷っているのか文章にすることにしました。

 個人的な「悩みごと」はnoteに向かない材料だと思うので、久しぶりこちらに書きます。noteのSNS的な部分は今も馴染めないのですが、あちらは記事を形にまとめてアップする手順が簡単なので、慣れてしまうとWord Pressは面倒という気持ちが先に立ち、ご無沙汰になりました。

 別れ道とは、岩崎弥太郎の日記に深入りをするのか、次の小説を書く準備を本格化させるのか、どちらに進むかということです。両者を並行させることは、今の私の脳味噌のキャパシティからして無理なようです。5、6年前までなら可能だったと思いますが。年齢がかせになって来ました。 続きを読む