月別アーカイブ: 2020年4月

『女神の肩こり』 自作解説(2)

ロリーポリー・ロボット

自分の頭の程度を知っているので哲学書はあまり読みません。ただ通常とは違う思考法やおかしな用語に妙に惹かれたりもします。「不動の動者」「一者からの流出」「存在と存在者」等々、『女神の肩こり』の中で、唯一神が「世界を創り出したのは私ではなくあれ(女神)なのだ」(p3)と述べるのは、そうした言葉が歪んで(現実が夢の中に登場する時のように変形されて)現れたものと自分では思っています。

創造主と神とを分け、この世界の創造主は神から生まれたと考えると、世界がこうあるという現実を説明する上で便利な面があります(たとえば世の悲惨、不条理は神のせいではないと言える、とか)。また、神があらゆる面で至高の存在であるなら、世のありよう・・・・ばかりか、世界があるかどうかすら神は関知しないことになります。なので『女神の肩こり』の神は「私に世界など必要ない」(p55)と言い切るのです。 続きを読む

『女神の肩こり』 自作解説(1)

貝殻の中の真珠猫

この1週間ほぼ外出しませんでした。多分ただの鼻風邪で熱もありませんが、喉が痛かったので念のため。元々引きこもり体質なので大してつらくありません。その一方、時間だけはたっぷりあるのに、頭がうまく働かず、新型コロナのニュースに心を奪われていることも相まって、予定していたブログの更新がちっとも進みません。

つまりは『女神の肩こり』自作解説ができなかった言い訳です。サボっていたのは確かですが、準備は進めていました。で、外堀は埋めたものの、その後は攻めるべき敵城をぼんやり眺めるばかりで、出陣できない……できないのか、しないのか、自分でもよく分かりません。これから、進発します。

私が思うのに、『女神の肩こり』のみそ・・は一神教の神に妻とみなされる存在がくっついていることです。多神教であれば、ゼウスとヘラ、イザナギとイザナミなど夫婦神は珍しくありません。一方、唯一神に「妻」がいるのはおかしいと感じられることでしょう。このアイデアを思いついた時、物語は動き始めたのでした。結果、ゼウスとヘラを念頭に置いて……という当初案は吹き飛んだのでした。 続きを読む

ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』 #61

ナボコフ「青白い炎」は、架空のアメリカ詩人ジョン・シェイドの最後の詩と、シェイドの大学の同僚チャールズ・キンボートによる前書きと註釈、索引からなる凝った体裁の小説だ。註釈と言いながら、ゼンブラ王国の国王やキンボートに関連する記述が過半を占める。国王=キンボートなのか? と読者に謎をかけつつ。

キンボートは単なる語り手=主人公ではない。提示されるシェイドの詩は彼の編集になるものであり、キンボートの語りは註釈という形式によって作中で絶対的な強度を持つ。註釈の多くはアカデミックな視点からは容認されない……いや素人目にもおかしいのだが、シェイドの妻や大学の同僚、シェイドの研究者たちは、シェイドの「最後の詩」という宝物に触れるためには、少なくとも一度この註釈を経由せざるを得ない。その事情は私たち読者も同じだ。狂った信用できない語り手であるキンボートが読者を支配するのである。

実は「青白い炎」はキンボートの自叙伝とも言えるのだが、だからといって全てが狂気に満たされているわけではない。時に美しいとさえ言える「詩と真実」が垣間見えることもある。ナボコフ自身が語っているかのような文学論や、シェイドの詩を介して表明されるキンボート自身の文学への愛など。私が感じ入ったのは、シェイドの誕生日(キンボートの誕生日でもある)の出来事が綴られた181行目の註釈における「描写」だった。 続きを読む

新型コロナとアメリカのナボコフ

ナボコフ「青白い炎」について、「その本はなぜ面白いのか?」1回分の原稿を書き上げたのですが、出来に満足できず没にしました。これまで、うまくいかない場合でも何度か書き直せばどうにかなったのですが、今回は駄目でした。原因は二つあったと思います。

一つは新型コロナ情報の遮断に失敗したこと。アップデートされ続けるニュースやトピックに圧倒され、一旦のぞき見してしまうと情報の流入を止められなくなります。情報を追いかけている内に、書く集中力が途切れてしまいます(こんな状態では、『女神の肩こり』の自己解説など、はるか未来の夢物語のよう)。

二つ目は、ナボコフに関して「余計な情報」を摂取してしまったことです。具体的には『アメリカのナボコフ』(森慎一郎 慶應義塾出版会 2018年)を読んだために、調子が狂いました。私はナボコフ信者を自称しながら、作家その人については本のカバー裏のプロフィール程度しか知りませんでした。 続きを読む