noteで風土記の私家版現代語訳

 noteにブログを開設しました。前回、「風土記をめぐる当ブログ上の旅は……終わり」と書きました。旅自体は続くけれど、このブログでは終わりにして、noteで現代語訳の連載を始める――というつもりでした。「はるかな昔 風土記の地名物語」というタイトルで、風土記の抜粋版現代語訳を作っていきます。本日、第2回をアップしました。

 実は、WordPressでブログを作成する前、noteで始めようかと考えていたのです。しかし、ルビが使えないとわかって断念。以来、飽きもせずこのブログを続けて来たのですが、このところ小さな障害に悩まされていました。突然、トップページで段落の冒頭が2字下がりになり、これは暫くしたら勝手に直りましたが、ビジュアル版のエディタで下書きをすると、段落冒頭の1字下がりが反映されなくなる状態は今も続いています。

 こうした障害を自力で修復する気力が湧いて来ません。本当は、ある程度WEBページをいじれる技術を習得したいという思いもあってWPでブログ作りを始めたのですが、結局、能力も情熱も足りないと分かりました。そんな事情から、もしnoteでルビが使えるようになっていたら移行しよう、と考えたのでした。で、9月16日、このブログでの風土記をめぐる「最後の記事」をアップした後、noteを覗いてみたのです。すると、まさにその日から、noteでルビが使えるようになったのでした。嘘のような本当の偶然。

 運命に導かれるように(?)、私はnoteを始めたわけです(有料にするつもりはカケラもありません)。正直なところnoteの雰囲気には馴染めないし、私にとっていらない要素も多いのですが、シンプルな作りと、文字が大きいこと、段落や引用がきちんと表現できることは大きな長所だと思います。風土記私家版現代語訳はnoteで完成させるつもりです。で、レワニワ書房通信をどうするか、です。

 こちらもやめるつもりはなくて、面白い本に出会い、何か書きたくなったら投稿します。ただ、更新の頻度は落ちるでしょう。また、「風土記の地名物語」の補遺を書こうかとも考えているのですが、これをnoteと書房ブログのどちらにするか、まだ決めていません。以下、なぜ抜粋版翻訳を始めたのか、noteに書いたものの一部を下に転載します(改変あり)。

 私は、風土記が、古事記や日本書紀のように読まれないのを残念に思うようになりました。風土記は人気がないのです。私自身、書店で倭武天皇やまとたけるのすめらみことの件りに出遭う偶然がなければ読むことはなかったでしょう。

 なぜ不人気なのか、分からなくもありません。朝廷への報告書ですから、無味乾燥な記述が多いのです。また、全体に物語のような一貫性がなく、歴史の深層に直接誘うような内容でもありません。しかし、風土記には古事記や日本書紀にはない独自の魅力が確かにあります。歴史物語を読む楽しみとは違います。町や村の人々、自然の風景が多彩に描かれた屏風絵を、自らの興味にしたがって心ゆくまで味わうような、そんな面白さです。

 こうした風土記の魅力はもっと知られていいように思いました。どうしたものかなあ、何かやりようがないかなあ、と考え始めました。私は歴史や古代文学の専門家ではないし、風土記や茨城県に何か義理があるわけもありません(茨城県に地縁も血縁もありません)。ファン心理でしょうか。色々考えた末、官報めいた報告や繰り返しに見える部分などを削除し、魅力的な文章を中心にまとめてみようというアイデアにたどり着きました。

 noteでは、風土記から抜粋した現代語訳を少しずつ掲載してゆきます。誰かの目にとまり、風土記に興味を持ってくれるきっかけになれば幸いです。先学の研究を糧に、原文に近い訳を心がけます。私は(元?)小説家ですが、文芸批評や評伝も手がけて来て、そうした際には小説的な脚色をしないのがポリシーでした。ここでも、その方針を貫きます。学問的な保証はできませんが、恣意的な訳にしないことを約束します。

 また、原文の順番を違えるような改変もしません。ただ、ある地域ではたくさんのエピソードが選ばれ、他の地域では極く少ないということがままあるはずなので、風土記の忠実な縮小版ミニチュアとはならないでしょう。それでも、全体としては風土記を概観できるものにしたいと考えています。