投稿者「レワニワ」のアーカイブ

『女神の肩こり』をKindle化

宮殿のアルファベット』は、レワニワ書房Kindle版の皮切りとなる予定でしたが、第一弾は別の作品、レワニワ図書館特別閲覧室の蔵書『女神の肩こり』の改訂版になりました。すでに11月7日に発売開始しています(アマゾンではなぜか6日発売になっています。アメリカ時間?)。内容は大筋では一緒ですが、縦書きにして照山祥子の陶芸作品も入れ替えをするなど、かなり大きな変更をしています。こちらから、どうぞ

『宮殿のアルファベット』 は、久しぶりに書いた「虎の子」の大作(?)なので、これをKindleで出すためには予行演習をしておく方がいいと考えたのです。制作途中にやはり色々と難問が出て来て、リハーサルをやっておいて良かったとつくづく思ったことでした。税込み250円というお得な(?)産地直送値段になっています。

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ほぼ半年ぶりの更新

 最後の更新がいつだったのか、確かめるのが怖くて日付けを見ないようにしていました。勇気を出して(?)見てみると、4月19日。ほぼ半年前。四百字詰め原稿用紙換算で550枚くらい、単行本だと400ページを超える部厚い本になりそうな分量の小説ができあがりました。この間、これを書く以外、食う寝る風呂に入る等を除けば、ほぼ何もしていません。

 第一稿を脱稿したのは、2週間くらい前です。執筆中は小説のことしか考えなかったせいか、脱稿後にブログの続きを書こうとしても気後れし、なかなか着手できませんでした。今も変な緊張感があります。

 一本の小説にこれほど専心したことはありませんでした。小説の続きを知りたくてたまらず、しかし自分が書かないことには先を読めないので、他のことをしたいと思いませんでした(ただし、ウクライナ情勢だけは追っかけていました)。 続きを読む

書き出しの発見

 今年1月下旬、小説を書けそうだという感覚が五、六年ぶりに生まれて以来、このブログやnoteにいくつか予告をして来たのですが、何ひとつ実行できていません。この1月ほどは、どちらも全く更新できないままです。実は今も、更新しなくてはという義務感で書いてはいるものの、気もそぞろです。というのも……なんと、小説を書き始めることができたのです!

 書き始めたのは4月15日。それまで、うまく行かずにずっとうんうん唸っていたのに、この五日ほど勢いよく筆が進んでいます。単に書けるのではなく、書きながら先の展開が勝手に生まれて来るという、ずいぶん長く忘れていた感覚が蘇って来たのでした。noteに記した「考え、調べ……書く」の間の「……」を飛び越える跳躍が突然できてしまったのです。この感覚のある内に早く書きたい、と焦りまくっているわけです。

 元からマルチタスクの能力に乏しかったのですが、近年では複数の仕事を並行してこなすことがほぼ不可能になりました。当ブログでも何度かそう書きました。それで、小説を書くことにこれほど焦っているのでは、ブログ更新に手をつけられそうにないと懸念が生じました。それではまずいと思い、今はかなり無理矢理な感じで書いているわけです。 続きを読む

またもドン・キホーテに出会う

 ドン・キホーテに「さらば」と挨拶(#70)し、そのすぐ後に1回だけ「再見」して補注を書いてから、いつの間にか1年以上が過ぎていました。ずっと探し続けていたドン・キホーテの面白さの謎について、アメリコ・カストロという鍵となる学者を見つけたものの、スペイン語ができず、さりとて翻訳書の文章は私にはとても読めないので、断念せざるを得なかったのです。しかし、事情が変わったと言えそうです。

 断念の六つ目の理由としてあげた頭痛と眼痛は、その後大幅に軽くなっていました(でなければ、noteの常陸国風土記現代語訳は不可能でした)。そして、知らなかったのですが、昨年暮れにカストロの主著が『スペインの歴史的現実』『スペイン人とは誰か』という2冊の邦訳として出版されていたのです。これを例の隣町の書店で発見し、各8000円ではすぐには買えず、読めるのか試そうと図書館で借りました。

 訳者は私が読めなかったカストロの他の本と同じ本田誠二氏です。しかし、両書は(苦労はしますが)読めます。そして内容は間違いなく興味深いのです。厚さからして図書館から借りてでは読み切れないので、『現実』を買いました。で、『誰か』をどうするか、悩んでいます。ここで本格的に読み始めると、せっかく取りかかるはずの小説が先延ばしになります。とりあえず揃えておいて、少しずつ読んで……。他にも、1万円超えの本が必要になりそうなのも辛いところです。 続きを読む

新しい小説を書くには?

 前回の更新から1ヶ月がたちました。そこで予告めいたことを書いたのですが、できそうにありません。頭の中が小説モードになって、ブログを書くことすら余事と化したかのよう……ですが、実際にはもう少し困った状況に陥っています。本格的に小説の準備を始めて間もなく、私の頭の中にある小説のプランを実現するには足りていないことがいくつもあると分かったのです。それも簡単でないことばかり。

 私の力量ではこの小説は書けそうにない、という怖れのような予感に打ちのめされ、数日の間、絶望しそうになっていました。その後、やりようがあるかもしれないと思い直すに至ったものの、意気揚々と出発する矢先に落馬した感じで、なかなか立ち直れませんでした。まだ十分には回復していませんが、こうして愚痴をこぼせるくらいには症状が軽くなったようです。

 新しい小説のプランの根幹は、このブログで扱った歴史上の人物を小説に取り込むことです。そうした前提で「その本は、なぜ面白いのか?」を書き始めたわけでは全くありませんが、同テーマによるブログの終了が目に見え始めるのと同時に、新しい小説の姿が湧水のように自然に浮かんで来たのでした。これで再び小説が書けると喜び勇みました。偽の悟りを開いたようなことだったわけですが。 続きを読む

noteに新マガジン、反省とこれから

 noteで常陸国風土記現代訳完成後に続けていた「考察」を、新しいマガジン「常陸国風土記を旅する」にまとめました(前のマガジンと同様「レワニワ図書館」閲覧室にも配架)。このブログで同風土記について考察したことを整理し、簡略に読みやすくしようと試みたものです。内容的に深まっている面もあります。

 書房ブログでは、考えるのと書くのをほぼ同時に進めたため、詰め込み過ぎて想定以上に長くなったという反省があり、note用に書き直すのを二度手間とは思いませんでした。しかしながら、改めて読むと長いだけでなく文章がギクシャクして読みづらい……。オリジナルな論考なので、読む価値なしとは思いませんが、何と言いましょうか、読む人を選ぶ文章になりました――「選ぶ」の後に(笑)とつける感じで。

 noteの方はどうかと言うと、改善されてはいるでしょうが、それでも全6回、400字詰め原稿用紙算なら30枚を余裕で・・・超え、内容を十分にまとめ切れないという欠点は払拭されませんでした。どうやら私の能力の限界のようです。「論考」系のエッセイを書くと、こうなります。『会社員とは何ものか』がそうでした(『岩崎彌太郎 会社の創造』が新書として部厚過ぎるのは別の事情によります。この件については黙して来ましたが、このブログに書くことになるかもしれません)。 続きを読む

noteブログをマガジン化「楽しい風土記」

はるかな昔、風土記の地名物語」と題してnoteブログで続けていた風土記の現代語訳が完結しました。noteにはマガジンという機能があり、日付けの古い第1回を先頭に順番に並べることができるので、これも利用しました。マガジンでは「楽しい風土記というタイトルです。

 といっても、訳したのは常陸国風土記だけです。何という偶然か、それまで存在しなかった風土記のダイジェスト版が、先月下旬に文庫本で出たからです。橋本雅之編「『風土記』角川ソフィア文庫(ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)。この本はよくできています(いずれこのブログで扱うつもり)。私が抜粋して訳す必要性は薄らぎました。

 ただ、常陸国風土記については独自にダイジェスト版を作る意義があると思っているので、現代語訳を完遂しました。橋本氏の『風土記』では内容が精選されており、私の抜粋版には橋本版で割愛された魅力的な箇所がいくつも含まれています。また、常陸国風土記の全体像を把握した上で味わうには、省略の少ない私の訳の方が適しています。 続きを読む

井上靖『天平の甍』に驚く

 風土記の私訳を始めようとして、そういえば井上靖の「天平のいらか」はこの時代の遣唐使を描いたものだっと思い、何かの参考になればと書店に向かいました。このブログにおいて風土記関連で触れた人物中、藤原宇合うまかいと山上憶良は遣唐使でしたし、春日蔵首かすがのくらのおびとおゆ老も唐ではないものの新羅へ留学していた可能性があります。

 元々井上靖に関心がなく、妻の実家に近い文学館に連れられて行ったのに何を見たのか記憶なし。最近、井上靖が話題になるようなこともなく、近所の大型書店に在庫がなくても仕方ないと思っていました。が、ありました。それどころか新潮文庫の棚に15、6冊、井上靖の小説が並んでいたのです。びっくり。

 棚の位置が近いので比較すると、井上ひさしの倍はありました。どちらも売れっ子だったわけですが、没年は1991年と2010年。20年も後に亡くなったひさし氏の方が多いのが自然に思えます。が、実態は……。何しろ、売れ行きにシビアなことで定評のある(?)新潮文庫です。井上靖は今もそんなに人気があるのかと再び驚きました。 続きを読む