月別アーカイブ: 2021年1月

ドン・キホーテに再見?

さらば、と挨拶したのに、すぐに引き返して来ました。訂正すべき事項が見つかったのです。12月5日の投稿に「模範小説集」の邦訳刊本リストを掲載した際「この情報は、私の知る限り、これまで整理された形で示されたことがありません」と記しましたが、ありました。集英社文庫の「ポケットマスターピース」シリーズの『セルバンテス』の巻、三倉康博氏による「著作目録」で提示されていたのです。

同書には「模範小説集」から吉田彩子氏訳による3編が掲載されているので、これを足した改訂版リストを下に載せることにします。そんなことを考えていたら、私が勝手に6編を選んだ仮想文庫版『模範小説集』の帯につけるキャッチフレーズを思いつきました。「ドン・キホーテより面白い!

冒涜的な気もするので、「ドン・キホーテよりも面白い!?」とすべきか……でも、満更嘘でもありません。面白さの分かりにくいドン・キホーテより気に入る人がいても、不思議ではないと思います。ただし、ドン・キホーテを書かなかったら、「模範小説集」の作者の名を知る日本人はスペイン文学者以外いなかっただろうことは再確認しておきます。 続きを読む

ドン・キホーテよ、さらば? #70

 この章は少し長いです。大事なことなので、長さへの自制を若干緩めました。

世界文学史上の最重要の作家として、かつトルコとの海戦で片腕の自由を失った愛国者として、セルバンテスはスペインで聖人のような存在になった。このため、前回取り上げたアメリコ・カストロやF・M・ビリャヌエバらの所説は、スペインでは受け入れがたいものだったようだ。私は、ドン・キホーテの面白さの正体を追い求めて、作者セルバンテスに興味を持ち始めたところだったので、彼らの議論が正しいのかどうかも含めて関心を抱いた。

セルバンテスは、滅多なドラマの主人公ではかなわない起伏に富んだ人生を送った。ただ、人生の最後の十年ほどは執筆に専念し、妻や娘、姉や姪らの女性と同居し、割合穏やかな暮らしだったように見える。解説等には、その女性たちについて身持ちが悪く、男出入りが多かったと書かれている。ある時、家の前で刃傷沙汰が起こり、一家全員が牢に入れられて取り調べを受けたこともあった。何か腑に落ちない事件だが、特に追究しようとは思わなかった。

ところが、ビリャヌエバの論文を読んだところ、彼女らは「売春」を行っていたとあるではないか。売春といっても、比較的地位の高い層の男性を相手にするプロの愛人業のようなものだったらしいのだが、前述の刃傷沙汰も、一家が揃って取り調べを受けたという事態も、それが「家業」だったのであれば納得がいく。セルバンテスのアルジェリア虜囚の身代金は一家の女性たちが用意したとされ、そんな大金を女性の身で作れたというのは――。
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セルバンテスの「秘密」  #69

私の足が長い!

前回の続きで、「驚くべき一行」から始めようとしたのだが、頭の中で整理がつかない。前回の更新後、気分が急降下して悩みこんだような状態に陥っていた。作者セルバンテスをめぐる探究を始めていいものか、それが問題だ。やりがいはあるだろう。しかし、いくつか文献にあたって、そこに突っ込んだら泥沼だと分かった。

ブログの趣旨からすると突っ込むのが正解だ。けれど、そうしたら小説を書く機縁はさらに遠のく。……独り相撲を取っているのだから、私が決めればいいことであって悩む必要はないはずなのに、この問題で頭をいっぱいになり、寝ても覚めても思考が堂々巡りしている。

書きながら考えるとしよう。他に方法を知らない。私が驚いたのは、以下のF・M・ビリャヌエバの論文(出典は後述)の[注]に引かれていた文章だ。「ミゲル・デ・セルバンテスは実際に、当時のヨーロッパの詩人や劇作家たちには滅多にありえないような活動、つまりビジネスに関わる経済活動において、この種の職業経験を持った、われわれの黄金世紀における、唯一の重要な作家であった」(ルイス・ラロケ・アリェンデ) 続きを読む

作者セルバンテスの発見  #68

私は影の中にいます

予定を変更して、今回は「その本はなぜ面白いのか?」の続き#68とする。このブログは舵のない船のようにさまよい続けているのだが、時々(私にとって)目の覚めるような発見という椿事が起きる。実は「模範小説集」の続き(5)を半分近く書いており、なお牛島信明氏に焦点をあてるようなことになって、葛藤が生じていた。

批判ばかりしているみたいで、と一人勝手に悩みつつ関連の文献を読んでいたら、突然もやが晴れて……いや、そうではない、もやの中にいるのは変わらないのだけれど、辺りが突然明るくなったのである(旧約聖書の時のもやが晴れる「発見」とは違う事態のようだ)。その後、いい湯加減のお風呂につかっているみたいなほんわかした気分になり、二日ほど何も書けなかった。その間、見たわけではないが、私はにやついていたと思う。

何が起こったのかうまく摑めていない。すごく単純な事態であるようにも思える。いま思いついたままに記せば、私はセルバンテスを発見したのかもしれない。斬新なセルバンテス像を見出したとか、そんな立派な話ではない。専らドン・キホーテに興味があったはずなのに、セルバンテスという作者が突然私の頭の中に入り込んで来たのである。それは、なぜドン・キホーテは面白いのか、なぜ面白さが謎であるのか、というブログのそもそもの問題意識と直かに結びついている。 続きを読む