ドン・キホーテ」カテゴリーアーカイブ

またもドン・キホーテに出会う

 ドン・キホーテに「さらば」と挨拶(#70)し、そのすぐ後に1回だけ「再見」して補注を書いてから、いつの間にか1年以上が過ぎていました。ずっと探し続けていたドン・キホーテの面白さの謎について、アメリコ・カストロという鍵となる学者を見つけたものの、スペイン語ができず、さりとて翻訳書の文章は私にはとても読めないので、断念せざるを得なかったのです。しかし、事情が変わったと言えそうです。

 断念の六つ目の理由としてあげた頭痛と眼痛は、その後大幅に軽くなっていました(でなければ、noteの常陸国風土記現代語訳は不可能でした)。そして、知らなかったのですが、昨年暮れにカストロの主著が『スペインの歴史的現実』『スペイン人とは誰か』という2冊の邦訳として出版されていたのです。これを例の隣町の書店で発見し、各8000円ではすぐには買えず、読めるのか試そうと図書館で借りました。

 訳者は私が読めなかったカストロの他の本と同じ本田誠二氏です。しかし、両書は(苦労はしますが)読めます。そして内容は間違いなく興味深いのです。厚さからして図書館から借りてでは読み切れないので、『現実』を買いました。で、『誰か』をどうするか、悩んでいます。ここで本格的に読み始めると、せっかく取りかかるはずの小説が先延ばしになります。とりあえず揃えておいて、少しずつ読んで……。他にも、1万円超えの本が必要になりそうなのも辛いところです。 続きを読む

How Did Shakespeare Read Don Quixote?

How Did Shakespeare Read Don Quixote? added to the Rewaniwa Library on April 29. Shakespeare was reading Don Quixote and writing a play. I explore how he read Don Quixote, with Hamlet as an intermediary. This essay originally appeared in the Winter 2021 issue of Mita Bungaku, the literary magazine from Keio University. Translated by Sam Malissa.

先月末、『シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?』英語版をレワニワ図書館に配架しました。シェイクスピアは「ドン・キホーテ」を読んで、一つの戯曲を作り出していました。シェイクスピアがセルバンテスをどう読んだのか、「ハムレット」を媒介として探っていきます。「三田文学」本年冬季号掲載。サム・マリッサ氏訳。

訳者についてはこちらをご覧ください(英文)。柴田元幸氏(英文学者/翻訳家/文芸誌編集長)に紹介していただきました。英語版は、執筆をめぐる個人的事情や用語の解説などを省いたので、少し短くなっています。訳された英文を読んだら、自分のものであるような、そうでないような不思議な気分になりました。 続きを読む

再び恋に落ちたシェイクスピア

困ったことになりました。「恋に落ちたシェイクスピア」の勝手に作る続編「再び恋に落ちたシェイクスピア」を書き始めたら、止まらなくなったのです。プロットにいくつか科白や場面の説明を加えてシナリオ風にし、ブログ1回分にするのが最初の心づもりでした。それが長くなりそうなので、レワニワ図書館に加えてもいいかなと思い始めたものの、全く予想外の展開で、書けば書くほど科白や場面が湧き上がって来ます。

400字詰め換算で既に40枚を超え、このままだと100枚までは行かずとも、それに近くなるでしょう。これほど書いてしまうと、たとえこの人跡稀なサイトの無料コンテンツとはいえ、誰にもアクセス可能なので、たとえばレワニワ図書館に配架することははばかられます。贋作のドン・キホーテ続編みたいなものです。映画の内容が核として存在しているからです。

一方で、私の創作物であることも間違いありません。カルデニオ-ハムレット説という私の独自の論が最重要の核心となっているからです。使い道のないキメラができつつあります。今更やめることもできません。筆の勢いというものがあります。いずれ書き始める予定の小説の予行演習にはなりますが……。以下、現在最も新しい部分をアップしておきます。前後のシーンなどの説明は省略。 続きを読む

イベリア半島と大ブリテン島の間に

思い出せないと前回記した「シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?」の補遺に関して、一つ記憶の底から甦って来たことがあります。シェイクスピアとドン・キホーテについて、なぜ「釈迦に説法」の誹りを免れない口出しをしているのか、書くつもりだったのでした。

私は厚かましいタイプではないと自認しています(それが厚かましい?)。一方で、変なことを思いついてしまい、そうなると黙っていられない面もあります。両方ともこのブログで発揮されている思いますが、後者が優勢かもしれません。しかし、いくら思いついたからといって、上記の問題に関して、英文学、西文学の諸先生が丁々発止のやりとりをしていたなら、その舞台にしゃしゃり出ることはなかったでしょう。

しかし、状況はそのようではなかったのです。スペイン側から「二重の欺瞞-カルデニオ」問題へのアプローチは多分ありません。シェイクスピアの真筆かどうかの争いなら管轄外ですし、セルバンテスやドン・キホーテの研究に資するものではないと考えるのは当然です。外野としては、首を突っ込んでくれたら楽しそうに思えるのですが、アカデミア内部の人はそうした外部的な事象には関心を示さないでしょう。 続きを読む

補遺は断念、英語版は進行中

The magic hour ?

スマホのGoogle Photoが、上の写真を表紙にThe magic hourと題する10枚ほどのスライドショーを勝手に作成していました。光の加減で空と雲がきれいに見えるタイミングを狙ってやたらと写真を撮っていたのは確かですが、こんなお節介を頼んだ覚えはありません。なのに、何が選ばれたのか気になって全部見てしまいました。巨大IT企業に脳内まで支配される未来はそう遠くないと感じました。怖いことです。

閑話休題。「三田文学」に掲載したエッセイ「シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?」について、補遺を書きたい気持ちがありました。送稿した直後は、原稿を短くするために削った箇所が惜しくてやる気満々だったのですが、先送りする内に熱意が薄れました。時間の経過だけが原因ではありません。

上記エッセイを書く前から、この英語版を作ろうと思って、その方策を考えていました。私は英訳ができないので、とある人に英訳者の紹介をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。おかげで英訳者の目途が立ち、既に依頼をすませて英語版用に修正した原稿を渡してあります。3月末に翻訳ができる予定です。 続きを読む

ドン・キホーテに再見?

さらば、と挨拶したのに、すぐに引き返して来ました。訂正すべき事項が見つかったのです。12月5日の投稿に「模範小説集」の邦訳刊本リストを掲載した際「この情報は、私の知る限り、これまで整理された形で示されたことがありません」と記しましたが、ありました。集英社文庫の「ポケットマスターピース」シリーズの『セルバンテス』の巻、三倉康博氏による「著作目録」で提示されていたのです。

同書には「模範小説集」から吉田彩子氏訳による3編が掲載されているので、これを足した改訂版リストを下に載せることにします。そんなことを考えていたら、私が勝手に6編を選んだ仮想文庫版『模範小説集』の帯につけるキャッチフレーズを思いつきました。「ドン・キホーテより面白い!

冒涜的な気もするので、「ドン・キホーテよりも面白い!?」とすべきか……でも、満更嘘でもありません。面白さの分かりにくいドン・キホーテより気に入る人がいても、不思議ではないと思います。ただし、ドン・キホーテを書かなかったら、「模範小説集」の作者の名を知る日本人はスペイン文学者以外いなかっただろうことは再確認しておきます。 続きを読む

ドン・キホーテよ、さらば? #70

 この章は少し長いです。大事なことなので、長さへの自制を若干緩めました。

世界文学史上の最重要の作家として、かつトルコとの海戦で片腕の自由を失った愛国者として、セルバンテスはスペインで聖人のような存在になった。このため、前回取り上げたアメリコ・カストロやF・M・ビリャヌエバらの所説は、スペインでは受け入れがたいものだったようだ。私は、ドン・キホーテの面白さの正体を追い求めて、作者セルバンテスに興味を持ち始めたところだったので、彼らの議論が正しいのかどうかも含めて関心を抱いた。

セルバンテスは、滅多なドラマの主人公ではかなわない起伏に富んだ人生を送った。ただ、人生の最後の十年ほどは執筆に専念し、妻や娘、姉や姪らの女性と同居し、割合穏やかな暮らしだったように見える。解説等には、その女性たちについて身持ちが悪く、男出入りが多かったと書かれている。ある時、家の前で刃傷沙汰が起こり、一家全員が牢に入れられて取り調べを受けたこともあった。何か腑に落ちない事件だが、特に追究しようとは思わなかった。

ところが、ビリャヌエバの論文を読んだところ、彼女らは「売春」を行っていたとあるではないか。売春といっても、比較的地位の高い層の男性を相手にするプロの愛人業のようなものだったらしいのだが、前述の刃傷沙汰も、一家が揃って取り調べを受けたという事態も、それが「家業」だったのであれば納得がいく。セルバンテスのアルジェリア虜囚の身代金は一家の女性たちが用意したとされ、そんな大金を女性の身で作れたというのは――。
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セルバンテスの「秘密」  #69

私の足が長い!

前回の続きで、「驚くべき一行」から始めようとしたのだが、頭の中で整理がつかない。前回の更新後、気分が急降下して悩みこんだような状態に陥っていた。作者セルバンテスをめぐる探究を始めていいものか、それが問題だ。やりがいはあるだろう。しかし、いくつか文献にあたって、そこに突っ込んだら泥沼だと分かった。

ブログの趣旨からすると突っ込むのが正解だ。けれど、そうしたら小説を書く機縁はさらに遠のく。……独り相撲を取っているのだから、私が決めればいいことであって悩む必要はないはずなのに、この問題で頭をいっぱいになり、寝ても覚めても思考が堂々巡りしている。

書きながら考えるとしよう。他に方法を知らない。私が驚いたのは、以下のF・M・ビリャヌエバの論文(出典は後述)の[注]に引かれていた文章だ。「ミゲル・デ・セルバンテスは実際に、当時のヨーロッパの詩人や劇作家たちには滅多にありえないような活動、つまりビジネスに関わる経済活動において、この種の職業経験を持った、われわれの黄金世紀における、唯一の重要な作家であった」(ルイス・ラロケ・アリェンデ) 続きを読む