ヘロドトス」カテゴリーアーカイブ

旅する娼婦たち、翻訳の問題  #43

#40で、「アナバシス」中に突如登場して兵たちと共にときの声をあげる「娼婦」とは何者なのか、その正体の解明に一歩近づいた。駐日ギリシャ大使館に問い合わせたところ、松平千秋氏が「娼婦」と訳した単語”etairai”(アルファベットで表記するとこうなるようだ)の意味を教えてくれたのである。”etairai”の男性形”etairos”は同志、親友を、その女性形”etaira”は高級娼婦を意味する。つまり、英語訳の註comrade-womenは同志という意味をくみ、風間喜代三氏が「芸者」と訳したのは”etaira”から来ていたようだ。ギリシャ大使館の方の示唆によれば、古代から19世紀まで、軍隊には”camp followers”がつきもので、その中に娼婦も含まれていた。

私は”camp follower”という言葉を知らなかったが、手元の電子版ランダムハウス英和辞典にちゃんと載っていた。「非戦闘従軍者:軍隊を追って移動したり、兵営の近くに住みつく肉体労働者、行商人、売春婦など」。このような「軍隊に追従し宿営地近くで商売をする人々」について、私に限らず、多くの人の視野に入っていないのではないか。戦争を商売の種と考え、軍隊と共に戦場の近くを移動する業者がいたのである。危険を伴うが、彼らはこのリスクに大きな見返りがあることを知っていたのだ。

軍隊といえばまず戦闘部隊のことを考える。その後方に、物資の輸送や補充、医療などを行う部隊が追随することは、まあ分かる。しかし、戦場を移動する戦闘部隊の後方には、軍隊に属さない「キャンプ・フォロワー」もいたわけである。古代の軍隊は街が移動しているようなものだったと言われることがあるが、キャンプ・フォロワーを含めて考えると、その様態が理解しやすくなる。そうした存在は表だって語られることが殆どなく、戦争における影の部分だった。いや、今でもそうだろう。その影にこそ、「戦場の女性」たちは存在した。彼女らは必要とされていたのである。彼女らがいなかった場合に何が起こるかを示唆する事例が、ヘロドトス「歴史」に記されている。

アテナイからカリア(現在のトルコ西南部)に来た男性たちは「移住の際女を連れてゆかなかったので、彼らの手によって両親を失ったカリアの女を妻としたのだった。この殺戮のためにこれらの女たちは、決して夫と食事を共にせず、夫の名を呼ばぬという掟を自分たちで作って……娘にも伝えたのである。現在の夫が自分たちの父や子供を殺し、そうしておきながら自分たちを妻にしたという恨みからである。」ここでいう「移住」が平和的なものでなかったのは言うまでもない。この「移住者」たちは、アテナイという出自をもって「最も高貴な血統」と誇っていたのだそうだ。

ここで突然ながら「ドン・キホーテ」に戻りたい。前に書きそびれた中に翻訳をめぐる問題があり、それは旅する娼婦をめぐるものだったのである。前編第三章、まだ一人で行動していたキホーテが、城と思い込んで訪れた宿の戸口にいた二人の女性である。二人は「馬方たち」と行動を共にする予定なのだが、兵隊たちが通りかかれば軍隊付きの娼婦にもなるに違いない。さて、その宿の主人は頭がおかしいと察したキホーテをやりすごそうと、妄言につきあってインチキな騎士叙任式を城主として行い、その際、娼婦二人をお付きに仕立てた。彼女らが見事にその役割を果たすと、キホーテは二人の「淑女」に名前をたずねる。これに対する一人の返答を、岩根國彦氏は次のように訳している。

「女はいともしとややかに、サンチョ・ビエナーリャの裏長屋に住まい致しますトレド生まれの靴直し職の娘トロサでございます。いずこにありましょうともあなた様を主と思ってお仕え申します、と応えた。」

娼婦の中でも下級と覚しい二人を、キホーテが姫君か貴婦人と思い込んでいるのに対して、当意即妙、上流婦人風の言葉で、しかし卑しい出自は隠さず返したのが面白くて、笑ってしまった。しかし、間もなく、上流社会と無縁のはずの彼女らに、そんな言葉遣いができたのか気になり始めた。それに他の訳で前に読んだ時、ここで笑った覚えはない。で、牛島信明訳を見直してみると、次のようになっていた。

「彼女はひどくへりくだった調子で、自分は名をトローサと呼び、トレードのサンチョ・ビエナーヤ広場の商店街で働く靴直し職人の娘だが、これから先は、どこにいようともあなたを主君と思いなして、お仕えするつもりだと答えた。」

上流婦人風の言葉遣いではなかった。荻内勝之訳でも同様で、英語訳、読めないながらスペイン語版に目を通しても、女が特に上品に喋っているようには受け取れなかった。岩根氏は喜劇的効果を高めるために、あえてこのように訳したのだろうか? その効果は、少なくとも私にはあったわけだ。「超訳」とまでは言えないとしても、その方向に一歩近づいているようでもある。

翻訳ではないが、私も引用に当たり、ある種の効果をねらって省略をしたことがある。#41の「アナバシス」からの引用で、「戦闘部隊は山頂に達して……凄まじい叫び声をあげた。」と一部を省いている。「……」は、実は「海を見ると、」である。それまで、こんな短い省略はしたことがない。「海を見ると、」を入れると、先陣部隊が何を見て叫んだのか、まだ山の下の方にいるクセノポンらに先んじて読者が知ってしまい、劇的効果が薄れると考えたのだ。ただし、ホメロスなどを読むと、予言や予告で先の出来事を明らかにし、その後その通りに展開するという記述は実に多い。活字本が普及する以前、朗読が前提とされた時代には、こうした「ネタばれの予告編」が必要だったとも考えられる。現代と古代の読者とでは、作品内でのサスペンスの求め方が違っているようだ。

ヘロドトスをめぐる二人の学者  #42

岩波文庫から古代ギリシアの古典が松平千秋訳でいくつも刊行されている。松平氏は1915年生まれ、41年に京都帝国大学大学院を卒業し講師に就任、以後同大学でキャリアを重ねた(2006年没)。『歴史の父 ヘロドトス』の著者藤縄謙三氏は1929年生まれ、53年に京都大学文学部を卒業した松平氏の弟子である(大阪府立大学を経て、79年に同学部教授。2000年没)。松平氏は47年に助教授、58年に教授に就任しているので、藤縄氏は師が30代の少壮助教授だった頃から教えを受けていたことになる。『歴史』、『歴史の父 ヘロドトス』の解説、あとがきには、それぞれ他方の名前が登場する。並べてみよう。

「旧訳(「歴史」松平訳は昭和42年、筑摩書房『世界文学全集10』としてまず世に出た)に加筆するに当って、藤縄謙三氏から極めて有益な教示を得て、明らかに誤訳と見られる二、三の箇所を訂正することができた。ここに記して深甚なる謝意を表する次第である。」

「学生時代から今日までギリシア古典研究の多くの面で御指導いただいた松平千秋先生に対して、深謝の意を表したい。とりわけ先生のヘロドトスの御翻訳のおかげで、ヘロドトスを母国語で速やかに通読することができ、大いに助けられた。ただし本書の中での引用に当っては、私自身の勉強のため、拙訳を掲げることにした。」

双方の文を読んで、師と弟子による麗しいエールの交換と感じる人は、きっと私のような邪推力を育くんで来なかった心の美しい人だ。私にはどちらも含むところのある文章に見えるのだ。まず、松平氏。藤縄氏から「極めて有益な教示」を得ながら、二、三の訂正をしただけとは、どういうことか。藤縄氏から「明らかな誤訳」以外にも指摘があったのに、それらを取り入れなかったのではないだろうか。また、これだけ大部の本であれば、ある程度の誤訳は避けられないはずであり、二、三箇所の訂正だけで「深甚なる謝意を表する」のは大袈裟に見え、違和感を覚える。

続いて藤縄氏。『歴史の……』本文で松平訳を一度たりとも使わず、あとがきでの師訳の評価は「母国語で速やかに通読できた」ことだけである。おまけに、『歴史の……』が刊行された1989年には、京都大学教授として、また西洋古典学において、重鎮といえる立場にあったはずで「私自身の勉強のため、拙訳を掲げる」とは謙遜の度が過ぎている。藤縄氏は松平訳にかねて不満があり、改訳を機会として師に意見を述べたのだが、松平氏はそれに耳を傾けつつも指摘の殆どを受け入れなかったため、「拙訳」を『歴史の……』にちりばめることにしたのでは……と邪推したくなる。

藤縄氏は、『歴史の……』刊行まで「自分の研究者としての生涯の最も充実した時期の十五年間を、主として本書一冊のために費や」したのだそうだ。1972年に師訳の岩波文庫版が刊行されて暫くしてからの15年である。藤縄氏は師訳の問題点を看過し得ず、その翻訳の持つ美味とは裏腹の「毒」を中和することも、本書刊行の意図としてあったのではないか。これも邪推である。

#35で記したように、私は松平訳でなければ恐らく「歴史」を手に取ることはなかった。松平氏の訳は、古典の魅力を分かりやすく伝える点で極めて優れているのだ。氏は、古典を「気楽で平易」に読めるようにする才能を持っており、それは時に物語作家と評されるヘロドトス的なのである。対して、原文を重んじる藤縄氏は、ヘロドトスの後継者だが資料を重視して厳密な「歴史学の父」トゥキュディデスのよう、と対比したくなる……ものの、私はトゥキュディデスを未読なので、これは筆が走りすぎだ。

一方で、対象に向き合う態度において、松平氏は素っ気ないほどクールに見える。私には、大旅行をして各地から奇怪な話を持ち帰ったヘロドトスは好奇心の塊に見えるのだが、氏はその性向について「飽くことを知らぬ知的好奇心と冒険心は」生得でもあれば、イオニア植民地に育った環境によるところも大きいだろうと記すのみである。著者の人間的、個性的な側面にはあまり関心がないかのように。藤縄氏はその面で対照的だ。

藤縄氏は、ヘロドトスを「驚異することの天才」「あらゆることに感嘆し、疑問を抱く」人だったとする。藤縄氏は「ヘロドトスの地理学には……童心のような欲求から発して」いる面があり、その「精神の特徴として……強烈な好奇心」をあげている。我が意を得たり、と快哉を叫びたくなる。氏はさらに、ヘロドトスが「ツキュディデスとは異なり、詩人たちに大きな影響を与えていたらしい」とも記している。詩人たちの末席に連なる小説家のそのまた末席の身ながら、私もまた「歴史」に深く感じ入りました、と賛意を表したい。ところで、言うまでもなく同一人物を、松平氏は「トゥキュディデス」、藤縄氏は「ツキュディデス」と表記しているのである。

もう一つの声、ヘロドトスの「ヒストリエー」  #41

前回の続きです。「アナバシス」の中で私が心底驚かされたもう一つの声を取り上げる。軍勢は敵勢から逃れて、歩みを続けている。いま、テケスという山に到着したところだ。

「戦闘部隊は山頂に達して……凄まじい叫び声をあげた。それを聞いたクセノポンと後衛部隊の兵士たちは、前方に新手の敵が攻撃して来たものと思った……叫び続ける部隊を目指して後続の部隊が次から次へと駈け登ってゆき、頂上の人数が増すにつれて声がいよいよ大きくなった時、クセノポンは容易ならぬ事態に違いないと考え……騎馬隊を率いて、救援に駈けつけた。するとたちまち兵士たちが、『海だタラツタ海だタラツタ』と叫びながら、順々にそれを言い送っている声が聞こえてきた。とたんに後衛部隊も全員が駈けだし、荷を負った獣も走り馬も走った。全軍が頂上に着くと、兵士たちは泣きながら互いに抱き合い、指揮官にも隊長にもだきついた」

とうとう故郷ギリシアとつながる黒海の見える場所に到達したのである。兵士たちのあげる「凄まじい叫び声」は、傭兵たちの困難な道中につきあって来た読者をも激しく感動させる。将兵にとって残念なことに、苦難はまだ終わったわけではないのだが。それでも(途中息絶えた者は多かったとしても)、この本はハッピーエンドであることを付言しておこう――「アナバシス」は、西南戦争で敗走する西郷軍が、宮崎県北部延岡から九州山地に分け入って鹿児島に到達する行程を思わせるが、結末は大いに違う。司馬遼太郎『翔ぶがごとく』は、西郷軍の悲劇的終幕が分かっているので、読んでいて意気が上がらなかったものだ。

ここで話が少し逆戻りする。#37で「題名の『HISTORIAE』がヘロドトスにとって何を意味していたのかは知りたい」と記した数日後、私は最寄りの公共図書館で#38を書き始めた。Wi-Fiの使えるスツール椅子のカウンター席に腰掛けていたので、1時間もすると尻が痛くなった。休憩のために席を離れてヨーロッパ史の棚に行き、古代史のコーナーに目をやった途端、『歴史の父 ヘロドトス』なる書名が目に飛び込んで来た。部厚い本で、背表紙の文字も特大だったのである(新潮社刊)。著者は藤縄謙三という未知の人(実は松平千秋氏の弟子の西洋古典学者)。パラパラめくって、この本は借りなくてはと即断した。論文ではないのだから、「ドン・キホーテ」以外の書物はなるべく参考文献なしで記すつもりだったが、向こうから視界に飛び込んで来たものを無碍にするわけにはいかない。

結論を先に言えば、ヘロドトスの「ヒストリエー」について私が知りたいほどのことは、藤縄氏が書いてくれていた。「ヒストリエー」は、ヘロドトス出身地のイオニア方言では「調査・研究」を意味するようだ。ヘロドトスは「歴史」という著書全体を、「研究ヒストリエーの発表」と称しており、その調査方法は、各地で権威ある人から興味ある事象について聞き知ることだった。彼の「ヒストリエー」は、私たちの使う「歴史」とは意味がずれているのである。事実、ヘロドトスは現在でいう地誌や民族誌の調査を目的に大旅行をしたという説もあったそうだ。思わず首肯したくなるが、藤縄氏はこれを否定し、ヘロドトスは歴史家の名に値すると述べる。大事件の原因を探求する姿勢を持ち、愛着をもって記録をし、かつ保存しようとしていることなどがその理由である。

松平氏が「歴史」の解説にこの辺りを書いてくれていれば、私が頭を悩ます必要はなかった。だが、松平氏は膨大な研究の蓄積から一般読者に対し情報を提供する際、思い切りよく説明や注釈を省略したり、原意を損なわない範囲で翻訳文を分かりやすくアレンジしたりしているようだ。藤縄氏は、同書で、#35の冒頭で引用した松平訳「歴史」序文の「 」部分を、次のように訳している。

「以下は、ハリカルナッソス人ヘロドトスの研究ヒストリエーの発表である。人間によって生起したことが時の経過とともに忘却されぬために、また偉大なる驚嘆すべき業績、その一方はヘレネスにより、他方はバルバロイによって示されたものであるが、その業績の声誉が消えぬために、とりわけ両者が相互に戦った原因が不明にならないために、これを発表するのである」

上記訳文は松平訳より原文に忠実なようだが、これでは私が「ギュッと心をつかまれてしまう」ことはなかっただろう。藤縄氏は私訳について、「原文は複雑」で「その構造のとおりに日本語で再現するのは困難」だが、「論理構成の忠実な再現を目指して……試訳しておく」と記している。松平訳は意訳とは言えないし、まして「超訳」なんかではないわけだが、原文の「論理構成」からは逸脱しているようだ。私は、藤縄氏が、岩波文庫「歴史」の松平訳に不満があるのでは、と思ってしまった。「邪推力」が妙に発達している私には、両氏の関係に何か不穏なものが漂っている気がする。ゴシップ話みたいだが、ちょっと面白いので、次回に続ける。

「歴史の父」ヘロドトスの好奇心  #37

「ネウロイ人は……蛇の襲来にあい、全国土から撤退せねばならぬという羽目に陥った……困窮の果て故国を捨ててブディノイ人とともに住むことになった/この民族はどうやら魔法を使う人種であるらしく、スキュタイ人やスキュティア在住のギリシア人のいうところでは、ネウロイ人はみな年に一度だけ数日にわたって狼に身を変じ、それからまた元の姿に還るという」との伝聞情報の後、ヘロドトスはこう書く。「私はこのような話を聞いても信じないが、話し手は一向に頓着せず、話の真実であることを誓いさえするのである」

蛇の襲来、魔法、狼への変身。エキゾティズム満載だが、ヘロドトスの書きぶりはクールかつ簡潔で、誇張や脚色はかけらもない。で、スキュタイの人々が聞かせてくれた話を、最後に「私は……信じない」と突き放す。客観的な記録者の範を守るわけだが、自分は信じなくても興味深い話ならちゃんと書き残すヘロドトスの選択眼とサービス精神のおかげで、私たちは、ネウロス人に関してあれやこれやと想像力を働かせて楽しむことができるのである。

範を守りつつ、信じがたい話も面白ければ記述する。本当の「歴史の父」はトゥキディデスであって、ヘロドトスは物語作者だと評されることがあるらしいが、私はこんな風に言いたくなる。ヘロドトスは好奇心でいっぱいの物語作者のように見聞きし、冷静な歴史家の筆致でそれを書いたのだ、と。私がヘロドトス「歴史」に感じるエートスとは、そのようなものだ。どちらが欠けても惹きつけられなかっただろう(「常陸国風土記」とその書き手にも同様のエートスを感じた)。歴史家と物語作者の両面が現れた例をもう一つあげよう。

「実際どこの国の人間でも、世界中の中から最も良いものを選べといえば、熟慮の末誰もが自国の慣習を選ぶに相違ない。このようにどこの国の人間でも、自国の慣習を格段にすぐれたものと考えている」と経験と知識に裏打ちされた洞察を語った後、実に興味深い逸話が実例としてあげられる。

アケメネス朝ペルシア皇帝「ダレイオスが……側近のギリシア人を呼んで、どれほどの金を貰ったら、死んだ父親の肉を食う気になるか、と訊ねたことがあった。ギリシア人は、どれほど金を貰っても、そのようなことはせぬといった。するとダレイオスは、今度はカッラティアイ人と呼ばれ両親の肉を食う習慣を持つインド人を呼び、先のギリシア人を立ち会わせ……どれほどの金を貰えば父親を火葬にすることを承知するか、とそのインド人に訊ねた。すると、カッラティアイ人たちが大声をあげて、王に口を慎んで貰いたいといった」自分たちを、お金を払えば父親の死体を食べずに火葬することを承諾する親不孝な野蛮人みたいに扱わないでくれ、と憤ったわけだ。

次の一節は、ヘロドトスの書き手としての姿勢を示すものとしてよく知られている。「私の義務とするところは、伝えられているままを伝えることにあるが、それを全面的に信ずる義務が私にあるわけではない。私のこの主張は本書の全巻にわたって適用されるべきものである」

その少し前、ヘロドトスはこう書いている。「私が確信するところはただ、かりに人間がみな自分の不幸を隣人の不幸と交換したいと望んでそれぞれの不幸を持ち寄ったとした場合、隣人の不幸をつぶさに検討した結果は必ずや誰もが、持ってきた不幸を欣然としてそのまままた持ち帰るであろうということである」

前者の文章において伝聞を事実と峻別する姿勢は、いかにも「歴史の父」というヘロドトスのイメージに相応しい。後者においても、ヘロドトスの歴史家としての洞察が披瀝されているように見える。だが、どうだろう? もちろん、後者の文章もまた、ここ(巻七151。内容は略)で記述された具体的な歴史的事例から汲み出された知恵に違いない。しかし、後者は合理的に導き出された結論というより、うがった箴言のように感じられはしないだろうか? この文章は、登場するのは人間でも動物でもいいが、寓話的な物語の教訓として語られる方が相応しく思えるのだ。

ヘロドトスを「歴史の父」と呼んだのはキケロなのだそうだ。この「尊称」はその名を不朽のものにするのに役立ったが、一方で、事実を重視し、実証を事とする歴史家としては、前述のように、物語的でありすぎるといった後世の批判(本当に歴史の父なのか?)の誘因にもなった。キケロの言葉自体、訳者松平千秋氏の解説から引けば、「歴史の父といわれるヘロドトスにしても、テオポンポスにしても、無数の作り話でうずめられている」(「法律論」)という文脈で出て来たのだそうだ。

一介の読者に過ぎない私には、ヘロドトスが「歴史の父」なのか、そもそも本当に歴史家だったのか、どうであれ大して問題ではない。ヘロドトスの「歴史」は読んで面白いのだから、それで十分なのだ。ただ、題名の「HISTORIAE」が、ヘロドトスにとって何を意味していたのかは知りたい気がする。「歴史」の中には、地理学や民俗学の書物と言った方が相応しい内容が大変に多く含まれているのである。だが、これは簡単に片がつく問題ではなさそうなので、疑問だけを残して次の本に進むとしよう。

ヘロドトスの耳を折る  #36

ヘロドトス『歴史』岩波文庫版(松平千秋訳)は上中下三巻本で、それぞれかなり分厚い。通読するのはたやすくはないが、骨が折れるというほどでもない。なにしろ「面白い」からだ。面白さは、第一には好奇心を刺激するエキゾティズムによるもので、「ドン・キホーテ」のように何が面白いのかと悩む必要はない。

好奇心について、アウグスティヌス『告白』から引用しよう。好奇心は「欲望の病」だとアウグスティヌスは言う。彼がこの罪から逃れるには「罠と危険に満ちたこの巨大な森の中で……多くのものを心から切りすてて追い払」う必要があったのだ、と(山田晶訳)。信仰者にとって好奇心は病であり、罪であると否定しつつ、アウグスティヌス自身、好奇心の塊であったことを告白しているのである。

ヘロドトスもまた、「好奇心という病」の虜だった。訳者解説によれば、ヘロドトスはバビロン、リビア、ナイル川上流のアスワン、クリミア半島からウクライナ南部にまで足をのばしている。交通手段の発達した現代でもなかなか骨の折れる旅先……と書こうとして突然気づいた。ここにあげた場所の殆どは、今も訪れるのが困難ではないか。

ヘロドトスが「歴史」において取り扱ったのは、現代に至るまで「世界史」の現場であり続けた地域だったのだ。根が深いなあ。それがどういうことなのか、ここでは考えないでおくが、あきれるほどの長い因縁の場所だと改めて思い知った。ともあれ、強い好奇心が、ヘロドトスをこうした場所へと誘ったのに違いない。一方、出不精の私は近場やネットで視線をキョロキョロさせているだけだが、好奇心の虜であることは同じなのである。

ヘロドトス「歴史」の本文に戻ろう。読み終えてから二年以上経っていて、細かな内容はほぼ記憶から消えている。本文をざっと振り返ってみたら、耳折りをしたページは、食人や残酷な刑罰、珍しい風習にかなり偏っていることが判明した……「耳折り」は私の造語(誤用?)のようだが、わかりますよね? 普段はまず耳折りをしないのだが、「歴史」を読んでいた時期はそうしたかったらしい。理由は不明。

アケメネス朝ペルシャ皇帝カンビュセスの軍の「兵士たちは地上に草の生えている限りは、これを食って生き延びたが、いよいよ砂漠地帯に入ると、彼らの内に戦慄すべき行為に出る者が現れた。十人一組で籤を引き、籤に当たった者を一人ずつ食ったのである」

「バビロンの男は妻と交わった後は、必ず香を焚いてその傍に坐り、妻も向かい合って同じようにする。夜が明けると夫婦とも体を洗う。体を洗う前はどんな容器にも触れないことになっているのである。なおアラビア人もこれと同じことをする」

「イッセドネス人は……父親が死亡すると、親戚縁者がことごとく家畜を携えて集まり、これを屠って肉を刻み、さらにその家の主人の死亡した父親の肉も刻んで混ぜ合せ、これを料理にして宴会を催すのである」

「ペルシア軍は……土着民の男児女児おのおの九人をこの地で生きながら土中に埋めた……クセルクセスの妃アメストリスも年老いてから、名門のペルシア人の子供十四人をわが身のために生き埋めにし、地下にあると伝えられている神に謝意を表したということであるから、人間を生き埋めにするのはペルシア人の風習なのだろう」

クセルクセス側近の宦官ヘルティモスが、かつて自分を去勢したバニオニスに復讐する。バニオニスは「わが子四人の陰部をわが手で切断することを強制された。彼が止むことなくそのとおりにした後、こんどは子供たちが強制されて父を去勢したのであった」

上記は耳折り箇所から引き写しやすい分量のものを選んだだけで、選択に特段の意味はない。が、私の言う「面白さ」の一端を感じてもらえると思う。元々スプラッタやホラーを受け付けない質で、映像では全く駄目だし、文字で読むのも嫌いなのだが、遠い過去の記録となると、なぜだか関心が湧く。その昔、中央公論社『日本の歴史』で読んだ武烈天皇の残虐な所業は、子供心に忘れ難い印象を残し、先般「日本書紀」を読んで「再会」した時には懐かしい気さえしたものだ。

しかし、好奇心を刺激するエキゾティズムは、私の感じたへロドトスの魅力の本体ではない。外つ国を訪れ、その国が本当に好きになるとしたら、好奇心を駆り立てる観光名所=アトラクションが気に入るだけでは不十分で、その国に特有のエートスに惹きつけられる必要がある。私は、ヘロドトス「歴史」という書物に漂うエートスに惹きつけられたのだ。

ヘロドトスによる「愚かな物好きの話」  #35

ヘロドトス『歴史』(松平千秋訳、岩波文庫)は、私が古典と呼ばれる本の中でもとりわけ古い時代のものに目を向けるようになった「全ての爆弾の母」である。これを読んで、大型気化爆弾を食らったかのように、それまでの読書の性向はあらかた吹き飛ばされ、以降、古い本の中から生々しい声を聞き取ることが最大の喜びとなったのである。もっとも廃墟となった爆心地にやがて草木が芽吹き、元の住人の生き残りが生活を再建するように、以前からの読書傾向は少しずつ甦って来たのだが、爆撃前と同じ状態に戻ることはできない。

「本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人(バルバロイ)の果たした偉大な事跡の数々――とりわけ両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを述べたものである」

私は、本屋で、「序」の書き出しである上記の文章を読み、いきなりギュッと心をつかまれたのだった(実は、この文章、松平千秋氏の翻訳の妙とでも言うべきものであることを後に知るのだが、その件については後の章で触れよう)。「歴史の父」ヘロドトスは、人の世において普遍的な事象である変化と忘却に抗おうとしていたのである。そのことに私は動かされたようだ。

ご多分に漏れず、私の住む東京近郊路線の私鉄駅近辺でも書店は近年次々に閉店したが、幸いにも、各駅停車で一駅、歩いてもさほど遠くない急行停車駅に大型書店が生き残っている。ビジネス書のコーナーが大きいこと、雑誌などの陳列や本の品揃えに少々左翼っぽい傾きが見られることは、今時の大手書店にはありがちと言うべきか。一方、哲学・思想関係となぜだかスピリチュアル系の書棚に力が入っているのは、ちょっと不思議。全体としては良質な本屋さんで、ここが閉店したら引っ越したくなると思う。

今はレイアウトが変わったが、以前は岩波文庫のコーナーがメインの通路沿いの一等地と言えそうな場所に鎮座し、お勧めの本が、表表紙が見えるように目に近い高さに置かれていた。ヘロドトス「歴史」を手に取ったのは、この陳列のおかげだ。

また、左隣が講談社学芸文庫の棚で、そこでは『老子』に目が向き、角川ソフィア文庫版『風土記』は岩波文庫の右側の棚で見つけた。古典を全集本で読む気力が湧かない昨今、こういう文庫はありがたい。学術・古典系の文庫を並べた棚が別の地味な場所に変わって以降、こうした本を購入する機会は減少した。今はそうした本の並びを見ても、前ほど魅力を感じないのである。書棚の場所が移動したら、本の発する磁力(魔力?)が減少したかのように。書店は本当に魅力と不思議でいっぱいだ。

おっと、だいぶ脇道にそれてしまった。「歴史」は書き出しに続く部分も楽しい。冒頭、「ギリシア人や異邦人(バルバロイ)が……いかなる原因から戦いを交えるに至ったか」とテーマが提示され、関連する歴史的な事項が羅列された後、突然語り口が変化して、リュディアの王権がヘラクレス家からクロイソス一門に移った経緯が具体的なエピソードとして物語のように語られるのである。

ヘラクレスの末裔カンダレウス王は、近習のギュゲスに自らの妻の美しさが至高であることを認めさせようと、渋るギュゲスを説き伏せて秘かに夫婦の寝室に招き入れる。妃はこれに気づいて裸身を見られたことに恥辱を覚え、夫に復讐すべくギュゲスに王を殺すよう迫る。クロイソス一門に属するギュゲスはやむなく王を殺して妃をめとり、リュディアの新たな王となる……テーマやそれまでの簡潔な書きぶりからすると、あまりに物語的でバランスを失している。しかし、一方で、近寄りがたい気がしていたヘロドトス『歴史』が、読み物として楽しめそうだと思わせてくれた。この予感は裏切られなかった。

上記のエピソードに、「愚かな物好きの話」とタイトルをつけてみたい。「ドン・キホーテ」中に挿入された、前後の脈絡から外れた「短編小説」だ。筋書きは――フィレンツェの若い貴族の親友どうしの片割れが、美貌の妻の貞節を試そうと、友人に妻を誘惑するよう迫る。友人は固持し続けたが、夫のしつこさに負けてしまう。夫は、友人が妻を口説き落とせるようあらゆる便宜を図ったので、二人はついに道ならぬ恋に走ることになる。夫の愚かな好奇心は、最後に悲劇で報いられる。

登場人物の配置、ストーリーの展開など、両者は同工異曲と言っていい。『セルバンテス短編集』の解説で、訳者の牛島信明氏は「愚かな……」の典拠はアリオストの『狂乱のオルランド』だと述べている。となると、アリオストの典拠がヘロドトスということになるのか? はたまた、セルバンテスが『歴史』を読んでいた可能性は……? 探究心をそそられるが、深入りしない。

思うに、ヘロドトス以前からこの残酷かつ大人びたお伽話の原型はあり、それがカンダレウスの王位簒奪の史実であるかのように用いられたのでないだろうか(リュディアの歴史について、ヘロドトスは第三者であるデルポイ人に聞いたと書いている)。ギュゲスは、プラトンの「国家」にも登場する。ただし元々は羊飼いで、透明人間になる指輪を利用して妃と交わり、リュディアの王位を手に入れた者として。こんな指輪を持ってなお人は正義を貫けるのか、とプラトンの登場人物は問いかけるのだ。先のお伽話は、ヘロドトスが記録したことで、時を超えて語り継がれる物語の一原型となったように思える。