月別アーカイブ: 2018年10月

魅力的な登場人物について エンマとアンナ  #16

ここまで書いて来て、気づいたことがある――改めてなのか、初めてなのか判断がつかないのだが――私は、読者として、主人公であれ他の主要人物や脇役であれ、惚れこんだり、ファンになったりしたことが殆どない。作者としては、登場人物を魅力的に造形しようと真剣に考えた覚えがない。精々、読者が登場人物に味方してくれるように、筋書きや設定に多少の工夫をしたことがあるくらいだ。

作中人物の魅力について、後書きやら解説やら書評やらでたくさん読んでいるはずだが、そこに共感がないので、右から左に抜けて記憶に残らなかった。性格や行動や「思想」についての分析なら、興味を抱いたことがあったと思う。魅力的な登場人物といって私がまず思い起こすのは、アンナ・カレーニナを筆頭にトルストイやドストエフスキーの作中人物なのだが、筆頭格のアンナですら、深い共感や愛着を感じてはいなかった。魅力的に書かれているなと思った、と表現するのが近いと思う。

これは(最近になって理解するようになったのだけれど)、私自身、他者に共感する能力が低いことが影響しているだろう。この欠点に関しては、思い当たることやら考えることやら山ほどあって、それらは「ドン・キホーテは、なぜ面白いのか」問題とも関連がある可能性が高いのだが、この個人的な属性については深入りしない。ともあれ、私は、一般的な小説の読者を惹き付けるのに不可欠の要素であるストーリーと登場人物の魅力の双方に縁の薄い作者であったようなのだ。つまりは、物語作者じゃなかったということだ。知らなかった。

カレーニン夫人は当たり前のように魅力的なヒロインと称えられる。一方、フローベールの主人公エンマ・ボヴァリーをヒロインと称するのはためらわれる。彼女は、物語の女性主人公からヒロインとしての要素の殆どを抜き取った上で、彼女の読書遍歴とは無縁の近代小説の主人公にされてしまったように見える(魅力がないわけではないが、それが却って仇になるような書き方をされるという悲劇)。しかも主人公として登場したのが「不朽の名作」だったために、満天下、永遠の恥をかかされることことになったのである。作者に「ボヴァリー夫人は私だ」と自白してもらい、恥と罪を引き受けてくれなくては気の毒というものだ。

先を急ぎたいという以外の思惑はないまま、魅力的な主人公としてアンナの名を出し、夫人つながりで安易にボヴァリー夫人を呼び出したために、「ドン・キホーテ」への危険な急接近が起こってしまった。この男女二人の主人公がある意味で似たもの同士であることは、よく知られている。どちらも読んだ本を真に受けたばかりに実人生を毀損することになった主人公だ。しかし、そこは私の論点ではない。

似たもの同士の二人には、物語の子孫としての小説には不可欠の「魅力的な登場人物」の逆をいく共通点があることに気づく。両者とも作者に恥をかかされ、ひどい目に遭わされているのだ。他方アンナは不倫で身を持ち崩しながらも、作者の思惑を裏切って魅力たっぷりの女性主人公となり、作者を返り討ちにしている(彼女の裏切りは、作者の栄光であると評価されている。作者はアンナがどんなに魅力的であるかを知らなかったらしい)。セルバンテスもフローベールも、そしてトルストイも、作中に読者にとって魅力的な人物を登場させることを重要とは考えていなかったようだ。

人物として素直に好ましいのはエンマやキホーテではなく、ゲス不倫貴族であるカレーニン夫人だ。しかし私は、近代小説の信奉者として、作者によって全てを奪い去られたかわいそうなマダム・ボヴァリーに跪拝する。アンナにはダンスを申し込もう(断られるだろうから、ダンスができないことは問題にならない、はず)。……また、話がずれている。それでも折角だから二人の女性だけでなく、憂い顔の騎士にも挨拶をしておきたい。だが、私は、彼に対しては、どんな態度で、どんな風に言葉をかけるべきなのか分からないのだ。で、こんな文章を書き続けている。

ストーリーを成り立たせるもの  #15

前回、私は自分の小説の問題点を摘出し、それを反省していると思われたかもしれないが、それは違います。反省なんか全然していないし、私の小説が分からないという読者がいたら、それは読者の方が悪い。そうだ、絶対にそうだァ!

反省はしていないのだが(他に書きようはなかった)、小説のストーリーがどのように成り立つかについて、浅慮であったことは認めなくてはならない。発端(謎)があり、経過があり、それらを回収して解決すればストーリーができあがる、と私は考えていた。だがそうしたストーリー・ラインだけで読者を納得させるのは、実はとても難しい。

作者が想定したストーリー・ラインは、実際に書き進む過程で無理が生じることがままある。というより、それが普通だ。ストーリーは、他の要素から切り離されて単独で成り立つわけではないのである。歴史だの神話だのを取り入れた壮大な設定にしたあげく、解決不可能になったストーリーがどれだけ多いことか。ストーリー上の無理をどうやって読者に納得してもらうかは、実は筋のある小説における大事な肝なのである。

魅力的な登場人物(この人なら奇跡も起こるはず)、作者への信頼や偏愛(矛盾があるだって? この作者に文句を言う方が悪い)、重厚なテーマ(大問題の前では些細な瑕疵に過ぎない)、独自の文体(何か変と思いつつも、いつの間にか丸め込まれる)。別の言い方をすれば、ストーリーを成立させるには読者に助けてもらうのが上策だし、必要でもあるのだ。

だが、ストーリーやプロットを綿密に練り込むことは可能だとしても、読者の助けを呼び込むような仕掛けを予め準備することは可能だろうか? 有り体に言えば、できる人にはできるし、できない人にはできない。例えば、魅力のない人間が魅力のある登場人物を造り出す可能性は小さいだろうし、人間の魅力を知らない人間には不可能だ。この問題は、煎じ詰めると作者の人格という所に行き着くのだが、人格は努力で改善できたりしない……ので、私は反省しないのだった。

無いものねだりをしても仕方ない。立派な人格、人徳がなければ小説を書いてはならないのだとしたら、作家の数は激減してしまう。人徳がないのは認める、が、そういうしょうもない人間だからこそ、小説という細い一筋の道にすがって生きて来たのであって……。ちなみに岩波日本古典文學体系「日本書紀・上」第十段では、「徳」に「いきおひ」とルビがふられ、註には「身につけた呪力」とある。

話が前に進んでいない。方向を少し変えよう。前回、読者としての私はストーリー指向ではなかったと書いた。幼年時代、「事件記者」に事件は必要なかった。子供時代には「ドリトル先生の動物園」「月は地獄だ!」を偏愛した。後二者には明らかな共通点がある。限定された空間(ドリトル先生邸と月)に、小さな別世界(動物園とサバイバル基地)を造り出す物語であることだ。

また、登場人物(前者では「登場動物」もだが)が多く、強いヒーローやヒロインが存在しない点が同である。私には馴染めない用語だが、「群像劇」という言葉を使うなら、「事件記者」も含めて三者を一まとめにすることができる。ストーリーが嫌いだったわけではないものの、作品の内で「世界」が創造される物語が別格と言えるくらいの好みだったらしい。

謎解きとストーリー  #14

小説の成り立ちを要素として抽出するなら、ストーリー、登場人物、テーマ、文体といったところだろうか。どれを重視するかは作家、作品によって様々だけれど、ミステリーの場合、謎解きという絶対的使命があるので、ストーリーの重要性という一線がぶれる可能性は極めて小さい。これは、小説にストーリーの面白さを求める恐らくは多数派である読者に対して大きな強味となる。

文体が重要とか、小説は人間を書くものとか、テーマを重視すべきといった重さや深さを尊重する文学観が小説の世界に蔽いかぶさっていた時代には、ストーリー重視の小説は軽くみられる傾向があった。ミステリーはその代表だったかもしれない。ミステリー作品では直木賞は取れないと言われていたはずだ。どんな時代でも、時の「文学的常識」から逃れることは容易ではないのである。「文学観」の天蓋が外れてしまった現代において、こうした状況は想像しにくいかもしれない。

ミステリーは、小説に寄せられていたこうした「文学的期待」を無視したり、はぐらかしたり、時には利用したり(「社会派ミステリー」とか)することで、着々と読者を増やし、地歩を固めていった(と傍目には見える)。純文学は素直に重々しい「文学的期待」に応えようと頑張っていたわけだが(たぶん)、いつの間にかこうした重荷を背負うことに意味が見いだしづらくなった。「文学のパラダイム転換」が、知らぬ間に起こっていたのだ。

どんな小説も、実は謎解きなのだと言われることがある。<変死体の発見>というほどあからさまでないだけで、作品中に何らかの(時には複数の)謎が提示され、その謎がどう解決されるのか知ることが、読み続ける誘因(の一つ)になる。主人公がいきなり虫になってしまったけど、この人はどうなるの? あるいは、作者はこのむちゃくちゃな事態をどう解決するつもり? 九州から出て来て東京大学に入った後、彼の学生生活は順調に進むのか? はたまた、池の端で出会った美人とは仲良くなれるのか? ……

どんな小説でも、謎の提示から解決へという流れで概要を示すことは可能である。屁理屈みたいになることはありそうだが、謎解きをキーワードにして説明できない小説は恐らく存在しない。この「事実」は、小説の成り立ちの真実を(少なくともその一面を)示しているはずだ。ミステリーは、謎解きこそがストーリーというアンコを最もおいしくする成分だと見抜き、そこに焦点を当てて小説をストーリーの面白さの方向で純化させたのである。熱中する読者がたくさん出て来て当然だった。

私は生来ミステリーの門外漢だが、小説を書く上でストーリーは大事だと考えていた。読むに際してはストーリー指向ではなかったのに、自分の書く小説はたくさんの読者に「面白い」と思ってほしかったのだ。で、主人公(兼語り手)が冒頭で蛙になり、そこから人間に戻るまでが一つのストーリー・ラインとなるような小説を造り出した。それが私のデビュー作になった。

だが私の小説は、当時は(その後も長い間)気づかなかったが、そのようにうまくできてはいなかった。強固なストーリー・ラインを築くには、読者にとって邪魔な要素が多すぎたのだ(しかしそれらの余分は作者である私にとっては小説を作る上で不可欠の何事かだった)。あるいは、一見ストーリー重視のようでありながら、小説を構成する種々の要素が、ミステリーのようにストーリーの魅力を増すのに貢献せず、逆に障害物に見えたかもしれない。謎解きという頑丈な背骨があれば、ミステリーにありがちな(?)蘊蓄話みたいな、私にとっては邪魔としか思えない部分も、多くの読者は喜んで受け入れてくれるものなのだが。……あれ、また次回に続くになってしまった。なかなか先に進まない。

ミステリー小説という「鬼門」  #13

どう頑張っても読めない、あるいは読んでも面白くないという書物は、恐らく誰にでもある。専門家以外には難解過ぎるというのではなく、一定数の、あるいは多数の読者がいるのに、自分には読めない、また読もうとしても面白くないというような類だ。私の場合、ミステリー小説がそれに当たる。一部ではなくミステリー小説が殆ど全部だめ。相当の努力をしても読むのは難しい。

努力をしようという時点で、すでに向いていないと分かる。一般にミステリーはエンタテインメントの分野に含まれるようだから(というか、今やエンタテインメント小説の主流と言える存在なのではないか……部外者なので曖昧な書き方になる)。私はミステリーを楽しむ能力に欠けている。恐らく先天的なもので、「事件記者」に事件はいらない、と思ってしまった幼い頃から変わっていない。

かつて、欧米の文学作品を児童向けに翻訳、リライトしたものが数多く出版されていた(今も?)。私の両親は、姉たちや私のために児童書を買い与えてくれた。そんな中に、怪盗ルパンやシャーロック・ホームズもあったと記憶しているが、中身は殆ど何も覚えていない。たぶん途中で読むのをやめたのだと思う。

一方、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズはお気に入りで、中でも「ドリトル先生の動物園」を偏愛し、何年にも渡って幾度となく読み返した。中学生くらいになると、ミステリー好きの人は大人向けの作品を手に取るようになるのだと思うが(私の姉の一人がそうだった)、私が向かった先はSFだった。当時一番気に入ったのは「月は地獄だ!」(ジョン・W・キャンベル)である。これも数え切れないくらい読み返した。「ドリトル先生の動物園」「月は地獄だ!」を読んだ時間、もっと多くの文学書に親しんでいれば少しはましな小説家になれたのではないか、というくらいには多くの時間を費やした。

その後、太宰治に始まって、井伏鱒二や谷崎純一郎を経由し、大江健三郎、安部公房などの私小説的でない純文学、アメリカ、フランス、ロシア等の外国文学への指向が強まり、ミステリーとはますます縁遠くなった。隣家の叔父とは別の叔父の影響で筒井康隆に初期から親しんでいてSFとの縁はしばらく続いたが、それもいつの間にかフェイドアウトした。

とはいえ、食わず嫌いだったわけではない。姉の本棚にあったのだと思うが、87分署やマルティン・ベックのシリーズなど外国の警察小説を愛好していた時期があり、松本清張なら、確か「砂の器」と「点と線」を最後まで読んだはずだ。面白い小説があると聞けば読みたくなるのは当然だし、まして「古典的名作」、「最高傑作」などと評判が高ければ尚更だ。そうして私は、アガサ・クリスティーやら「悲劇」シリーズやらブラウン神父シリーズ、国内の新旧のベストセラー作品のいくつかなどに手をつけ、その度に挫折した。結局、とことんミステリーに向いていないのだと思い知らされた。

19世紀に生まれ、20世紀に大きく成長して、今日、日本でも世界でもミステリー小説の分野には部厚い作家と作品の蓄積がある。現代において文学ジャンルとして最も大きな発展をした分野といっても過言ではなさそうだ。ミステリーがこのように発展した理由は、ストーリーという小説の最も美味な部分に焦点を当てて進化させたことにあるではないか、というのが(部外者にして素人の)私の見立てである。

読者に謎を提示し、それを解決していくというのは、小説におけるストーリーのエッセンスと言える。そしてストーリーは小説のアンコであり、多くの読者はアンコを食べたくて小説のページを繰るのだ。ストーリーを特別においしくする技術をミステリー作家が開発し、そうした小説を受け入れる基盤(文学的に、社会的に)が整って、現在のミステリーの隆盛がもたらされた。……どうも脱線している気がするのだが、次回もこの話が続きます。

「事件記者」に事件はいらない  #12

奈良時代ほど古くはないが、それでも結構な昔、1953年(昭和28年、私の生まれた年)に日本のTV放送は始まった。しかし、私の故郷である宮崎県北部地方となると、TV電波の中継所が完成するまで、それからさらに6,7年を要した。このため、隣家に住む叔父(父の弟)の家では、高い高いアンテナを立てて隣県大分のTV電波を受信していた。私を含む近所の子供たちは、叔父宅に集まってTVに見入ったものだ。もちろん白黒の放送である。

ある晩、私の父親がせき切って叔父宅に息やって来た。「うちでもTVが見られるぞ!」家に戻ってTVを見たところ、映っていたのがNHKのつまらない番組だったので大変にガッカリしたことが忘れられない。我が家の正しい高さのTVアンテナでは、NHKの試験放送用電波しか捉えられなかったのである。ともあれ、ようやく私の故郷延岡市もTV放送の恩恵に浴することになったわけである。その後も、宮崎県には長い間ローカル民放局が一つしかなかった。やがて一つ増えて二局になったものの……今も二局しかない。

白黒TV時代、NHKでは「事件記者」なる連続ドラマをやっていた(生放送だったそうだ)。記憶は怪しくても、警視庁記者クラブ詰めの新聞記者たちによる「群像劇」とWikipediaで情報をゲットできる便利な世の中。事件もの連続ドラマでは、TBSの「七人の刑事」が、警視庁の建物のダイナミックな空撮、男声ハミングによるテーマ曲などオープニングからして斬新で、非常に人気が高かった。「事件記者」は「七人の刑事」に比べると地味だったものの、それでも結構な人気で、私もよく見ていたようだ。

中でも、新聞記者たちが「ひさご」という飲み屋に集まって雑談する場面が私のお気に入りだった。そこで交わされる会話と人間模様が楽しかったらしい。どんな内容だったのかは何一つ覚えていないのだが。「ひさご」の名は、Wikipediaに頼らずとも頭の中にあった。私のスーパーな忘却力からすると奇跡に近いが、覚えていたのには理由がある。

――その夜の「事件記者」は、事件のない暇な日、記者たちが「ひさご」に集まって時間をつぶす内容だ、という情報を事前に私は得ていたらしい。当然、大きな期待と共に番組を見始めた。実際、当分の間何事も起こらず、記者たちは雑談をするばかりで、期待は満たされるかと思われた。が、やがて事件は起こってしまった。事件発生までのリードタイムが普段より長かっただけだったのだ。「ひさご」での雑談タイムは終わり、記者たちは店を退出して、いつも通りの展開に戻った。私は大変ガッカリした。だまされたと思って憤りさえしたのである。

「事件記者」というタイトルなのに、私には事件が不要だった。事件は、単なる出来事ではない。伏線があり、発端があり、決定的な事態が生じ、その後の経過があって、解決(あるいは、滅多にないが未解決)に至る。関わるのも単なる人間ではなく、犯人だったり、被害者だったり、目撃者だったり、刑事だったり、関係者の家族だったりする。こうした要素を融合させて、事件はドラマに組み立てられる。

私には、それらの要素が全て余計で、ただ登場人物がいれば良かったのである。TV草創期にはドラマ、ニュース、音楽、クイズはあっても、トーク番組は存在しなかった。私が求めていたのは、お喋りだけの番組だったのかもしれない。

私にとって、起伏のあるストーリーが展開するドラマは関心の外だった。実は、この傾向は今も変わらない。わが家の500GBハードディスクがほぼ満杯のTV用のレコーダーには、ただの一度もドラマが録画されたことがない(妻はTV番組そのものに興味がない)。……というところで、文章が1回分の容量に達してしまった。TVの話ばかりというのは何だか情けない。次回は本の話に戻ろう。

越えられない「歴史の壁」を越える  #11

私は前回「愚直な宮崎人ならきっとこうする」と書いたが、これは愚直で、かつ宮崎県人である場合には、という意味である。宮崎県人がみな愚直なわけではない。とんでもない! ただ愚直な人がやや多いことは、愚直な宮崎県出身者の一人として認めたい。

私は、四人の祖父母に一人も宮崎の生まれ、育ちがいないので純粋さに欠ける面があり、そのせいなのか疑り深さという欠点を抱えているが、同時に他愛もなくだまされて、こんな嘘を信じた人は私が初めてだと驚かれたりするような人間でもある。私が君牛遠征団の一員だとすると、その気になってドボンと海に入った後に、鹿皮を着ても泳げない者はやはり泳げないのでは、と疑心暗鬼に陥り、溺れそうになる気がする。お前は陸に戻れ、と君牛に諭される情景が目に浮かぶ。

私はさっきから何を書いているのか? 宮崎の県民性を云々したいのではない。古代の日向国ひむかのくにの人を今の宮崎県人に直結して話を進めるのが愉快で、その楽しみを前回だけで終わらせたくなかったのである。歴史には、こういう「ワープ」する楽しみがある。

その一方、楽しみは楽しみとして、歴史に事実、リアリティを求めるなら、安易な同一化を避ける必要がある。諸県君牛(もろがたのきみうし)の時代の日向国の人と現代の宮崎県人との間には、本当は超えられないほど高い壁があり、両者を隔てている。で、その断絶をないものとして無理にも同一性を構築するのが「ワープ」の楽しさだ。

歴史の事実やリアリティとは難しい問題だが、私のような歴史の素人は、その追究を学者に任せていれば大抵は用がすむ。しかし、残念なことに、歴史は客観的な事実という一点のみに立脚して語られることは滅多になく、イデオロギーや国家観といったものにいつも揺り動かされている。だから、歴史を知るためには、できる限り「原典」に近づくことが望ましいようだ。もちろん、そこに客観的な真実があるからではなく、自分の目で本文を確かめた上で判断できるからだ。学者による真摯な研究は、こうした判断の際にこそ役立つ。

土蜘蛛を滅ぼしたとして、誇らしげに書かれる「踝をひたすす血」の一行に私(たち)はたじろぐ。そこには、強い歴史のリアリティーがある。たじろぎは、壁の向こう側のぬるぬると不気味なものに直接手で触れたと感じたからこそ生じたのだ。しかし、同時に、たじろぎは「こちら側」の歴史感覚を照射してもいる。夷狄の生命の軽視を罪とみる一視同仁の平和的ヒューマニズムを、私たちは議論の余地のない前提としていることを自覚させられるのだ。こうしたヒューマニズムは、たとえば「聖戦」を信じる人たちには通用しない。

風土記を読み始めた大きな理由の一つは、実は歯ごたえのある読書をしたかったからだった。歯ごたえがあるとは、そう簡単には読めないことと考えていたのだが、それだけではなかった、と今になって気づく。自分が生きる現在を、半分眠っているかのような日常的な認識や感覚を、今一度目を覚まして確認したかったのだ。風土記はそういう意味でも楽しかった。

……少し歴史に深入りし過ぎたようだ。私が風土記を面白いと思う理由には、どんな本を好むのかという根本的な性向がかかわっている。風土記は私の性向とうまく合致していた。私の趣味は世間的に全く例外的とまでは言えないにしても(たぶん)、風土記が古事記よりも性に合うというくらいには「変」なのである。