月別アーカイブ: 2020年11月

楽しい読書

発見のある、面白い本に立て続けに出会い、読書の楽しみの大きさを今更ながら感じています。音楽という読書に匹敵する最上の楽しみを耳鳴りで失って随分経ちましたが、未だに、頭痛、眼痛で書いたり読んだりできない時、音楽を聞けないのが残念でたまりません。それでも読書に専念できる時間が増えたのは事実で、悪いことばかりではありません。

この数日、頭痛に悩まされる時間が減っていて、それも読書による幸福感を増しているようです。痛みが軽くなったのは、要するにお医者さんに出してもらった薬が効いたからです。初老にさしかかる頃からアレルギー体質が顕在化し、くしゃみと鼻水だけなら我慢できたのですが、くしゃみのたびに激痛が脳天を直撃するようになり、病院が苦手と言っていられなくなりました。

発見の第一は『セルバンテス模範小説集』(樋口正義訳、2012年、行路社)、「模範小説集」の邦訳最後発です。他の翻訳本も含めて書くつもりで、長くなりそうなため、こちらは次回以降に回します(前回予告した「「次回に続く」も先延ばしです)。第二は、松本敏治著『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』 (角川ソフィア文庫、2020年。原著は福村出版、2017年)。 続きを読む

底が浅くなった話

前回の更新をした後、ちょっとした「燃え尽き症候群」みたいになりました。何にもやる気が起きず、少し鬱っぽくもあり……なんだ、私の常態じゃありませんか。ですが、それが普段よりきつい感じです。「三田文学」に送った原稿について書いておきたいことがあり、すぐにも次の更新をと考えていたのに、できませんでした。

と言いつつ、いつもよりアップの間隔が短いのは、何かやらないとまずいと思ったからです。また、こうやって書いていられるのは回復気味だからでしょう。一昨日までは書けませんでした。あれ・・は面白すぎだったと思います。英語の文献を読んで調べるなんて柄にもなく、大変で辛いのに、書く作業は快楽でした。パソコンの前に座るのが待ち遠しくて、キーボードを叩いて時間を忘れることさえありました。

すると、ATOKが緑地にコーヒーカップのマークを勝手に画面に出して来て、そろそろ休んだらと勧めます。入力の継続時間やミスの回数を裏で計測し、介入して来るのです。たいていは従うのですが、今回は楽し過ぎてやめられず無視したこともありました。ただ、やがて目や頭が痛みがひどくなって中断せざるを得なくなるので、受け入れた方が賢明です。なので、警告の設定は有効にしたままでした。 続きを読む

ウィーン・フィルを指揮した話

セゾン現代美術館にて

先月30日の夜明け前、私はウィーン・フィルハーモニーを指揮することになり、困惑していました。日付が明確なのは、変な夢を見た時だけにつける日記に記録していたからです。元は読書と音楽と夢の記録だったのに、いつの間にか夢の記録が殆どになり、おまけに最近なぜか夢の記憶が残らないので、それすら間遠になっていました。久々の悪夢でした(ただし、軽めの)。

夢を見た理由はハッキリしています。一つは、ネット上でウィーン・フィル来日の可否が話題になっているのを追いかけていたせいです。耳鳴り以来コンサートに行かなくなったのに(家でも殆ど聞きません)、未練たらしく情報を追いかけています。指揮のゲルギエフともども本当にやって来て、チャイコフスキーの悲愴など素晴らしい演奏だったようです。そんな情報だけで涎を垂らさんばかりなのは我ながら情けない。

もう一つは、カルデニオ-ハムレット論を「三田文学」に掲載するために原稿を書いていたからです。研究者でもないのに「二重の欺瞞」問題に首を突っ込んでしまい、シェイクスピアは英文学研究のアカデミアの「本拠地」でしょうから、不安に感じていたらしいのです。それは、こんな夢でした。 続きを読む