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続・アカデミアの空白

歴史学や経営史学において、個々の人間像の探るような人物研究は過去に属するもののようです。さりながら、歴史学者が、専門とする時代の重要な人物について世間の人より知識が少ないということはまずないでしょう。過去の蓄積を摂取しているからです。ところが、岩崎彌太郎の場合、彌太郎や三菱に直接かかわる分野の専門家を除けば、私の新書の内容以上の知識を持つ学者はほぼいないはずです。

そう断言できるのは、『岩崎彌太郎 会社の創造』以外、史料に裏打ちされた「伝記」がないからです(私の本の後に出たものは未見)。専門家で書く材料を持つ人はいたのでしょうが、誰も手をつけませんでした。ライバル視される渋沢栄一の方は汗牛充棟の有様なのに。会社の歴史や会社員という存在の探究においても、私の『会社員とは何者か? 会社員小説をめぐって』に匹敵する論が、それ以前にあったようには見えません(ただし関連分野の、特に調査的な研究には、上掲書は多くを負っています)。

両書は、前回述べたアカデミアの空白の存在を指し示しています。私の関心領域は彌太郎からシェイクスピアまで出鱈目のようですが、空白域の探検という点で共通してもいます。ただし、空白域を意図的に捜したことは一度もなく、関心を抱いて探究をする内に各所で未踏の場所に至ったのです。偏頗も度が過ぎています。ただし、興味が満たされれば「素人」の分を超えて何か言ったりはしません。それにしても、空白域はなぜ様々な学問分野に存在するのでしょうか? 続きを読む

旅する娼婦たち、翻訳の問題  #43

#40で、「アナバシス」中に突如登場して兵たちと共にときの声をあげる「娼婦」とは何者なのか、その正体の解明に一歩近づいた。駐日ギリシャ大使館に問い合わせたところ、松平千秋氏が「娼婦」と訳した単語”etairai”(アルファベットで表記するとこうなるようだ)の意味を教えてくれたのである。”etairai”の男性形”etairos”は同志、親友を、その女性形”etaira”は高級娼婦を意味する。つまり、英語訳の註comrade-womenは同志という意味をくみ、風間喜代三氏が「芸者」と訳したのは”etaira”から来ていたようだ。ギリシャ大使館の方の示唆によれば、古代から19世紀まで、軍隊には”camp followers”がつきもので、その中に娼婦も含まれていた。

私は”camp follower”という言葉を知らなかったが、手元の電子版ランダムハウス英和辞典にちゃんと載っていた。「非戦闘従軍者:軍隊を追って移動したり、兵営の近くに住みつく肉体労働者、行商人、売春婦など」。このような「軍隊に追従し宿営地近くで商売をする人々」について、私に限らず、多くの人の視野に入っていないのではないか。戦争を商売の種と考え、軍隊と共に戦場の近くを移動する業者がいたのである。危険を伴うが、彼らはこのリスクに大きな見返りがあることを知っていたのだ。

軍隊といえばまず戦闘部隊のことを考える。その後方に、物資の輸送や補充、医療などを行う部隊が追随することは、まあ分かる。しかし、戦場を移動する戦闘部隊の後方には、軍隊に属さない「キャンプ・フォロワー」もいたわけである。古代の軍隊は街が移動しているようなものだったと言われることがあるが、キャンプ・フォロワーを含めて考えると、その様態が理解しやすくなる。そうした存在は表だって語られることが殆どなく、戦争における影の部分だった。いや、今でもそうだろう。その影にこそ、「戦場の女性」たちは存在した。彼女らは必要とされていたのである。彼女らがいなかった場合に何が起こるかを示唆する事例が、ヘロドトス「歴史」に記されている。

アテナイからカリア(現在のトルコ西南部)に来た男性たちは「移住の際女を連れてゆかなかったので、彼らの手によって両親を失ったカリアの女を妻としたのだった。この殺戮のためにこれらの女たちは、決して夫と食事を共にせず、夫の名を呼ばぬという掟を自分たちで作って……娘にも伝えたのである。現在の夫が自分たちの父や子供を殺し、そうしておきながら自分たちを妻にしたという恨みからである。」ここでいう「移住」が平和的なものでなかったのは言うまでもない。この「移住者」たちは、アテナイという出自をもって「最も高貴な血統」と誇っていたのだそうだ。

ここで突然ながら「ドン・キホーテ」に戻りたい。前に書きそびれた中に翻訳をめぐる問題があり、それは旅する娼婦をめぐるものだったのである。前編第三章、まだ一人で行動していたキホーテが、城と思い込んで訪れた宿の戸口にいた二人の女性である。二人は「馬方たち」と行動を共にする予定なのだが、兵隊たちが通りかかれば軍隊付きの娼婦にもなるに違いない。さて、その宿の主人は頭がおかしいと察したキホーテをやりすごそうと、妄言につきあってインチキな騎士叙任式を城主として行い、その際、娼婦二人をお付きに仕立てた。彼女らが見事にその役割を果たすと、キホーテは二人の「淑女」に名前をたずねる。これに対する一人の返答を、岩根國彦氏は次のように訳している。

「女はいともしとややかに、サンチョ・ビエナーリャの裏長屋に住まい致しますトレド生まれの靴直し職の娘トロサでございます。いずこにありましょうともあなた様を主と思ってお仕え申します、と応えた。」

娼婦の中でも下級と覚しい二人を、キホーテが姫君か貴婦人と思い込んでいるのに対して、当意即妙、上流婦人風の言葉で、しかし卑しい出自は隠さず返したのが面白くて、笑ってしまった。しかし、間もなく、上流社会と無縁のはずの彼女らに、そんな言葉遣いができたのか気になり始めた。それに他の訳で前に読んだ時、ここで笑った覚えはない。で、牛島信明訳を見直してみると、次のようになっていた。

「彼女はひどくへりくだった調子で、自分は名をトローサと呼び、トレードのサンチョ・ビエナーヤ広場の商店街で働く靴直し職人の娘だが、これから先は、どこにいようともあなたを主君と思いなして、お仕えするつもりだと答えた。」

上流婦人風の言葉遣いではなかった。荻内勝之訳でも同様で、英語訳、読めないながらスペイン語版に目を通しても、女が特に上品に喋っているようには受け取れなかった。岩根氏は喜劇的効果を高めるために、あえてこのように訳したのだろうか? その効果は、少なくとも私にはあったわけだ。「超訳」とまでは言えないとしても、その方向に一歩近づいているようでもある。

翻訳ではないが、私も引用に当たり、ある種の効果をねらって省略をしたことがある。#41の「アナバシス」からの引用で、「戦闘部隊は山頂に達して……凄まじい叫び声をあげた。」と一部を省いている。「……」は、実は「海を見ると、」である。それまで、こんな短い省略はしたことがない。「海を見ると、」を入れると、先陣部隊が何を見て叫んだのか、まだ山の下の方にいるクセノポンらに先んじて読者が知ってしまい、劇的効果が薄れると考えたのだ。ただし、ホメロスなどを読むと、予言や予告で先の出来事を明らかにし、その後その通りに展開するという記述は実に多い。活字本が普及する以前、朗読が前提とされた時代には、こうした「ネタばれの予告編」が必要だったとも考えられる。現代と古代の読者とでは、作品内でのサスペンスの求め方が違っているようだ。

もう一つの声、ヘロドトスの「ヒストリエー」  #41

前回の続きです。「アナバシス」の中で私が心底驚かされたもう一つの声を取り上げる。軍勢は敵勢から逃れて、歩みを続けている。いま、テケスという山に到着したところだ。

「戦闘部隊は山頂に達して……凄まじい叫び声をあげた。それを聞いたクセノポンと後衛部隊の兵士たちは、前方に新手の敵が攻撃して来たものと思った……叫び続ける部隊を目指して後続の部隊が次から次へと駈け登ってゆき、頂上の人数が増すにつれて声がいよいよ大きくなった時、クセノポンは容易ならぬ事態に違いないと考え……騎馬隊を率いて、救援に駈けつけた。するとたちまち兵士たちが、『海だタラツタ海だタラツタ』と叫びながら、順々にそれを言い送っている声が聞こえてきた。とたんに後衛部隊も全員が駈けだし、荷を負った獣も走り馬も走った。全軍が頂上に着くと、兵士たちは泣きながら互いに抱き合い、指揮官にも隊長にもだきついた」

とうとう故郷ギリシアとつながる黒海の見える場所に到達したのである。兵士たちのあげる「凄まじい叫び声」は、傭兵たちの困難な道中につきあって来た読者をも激しく感動させる。将兵にとって残念なことに、苦難はまだ終わったわけではないのだが。それでも(途中息絶えた者は多かったとしても)、この本はハッピーエンドであることを付言しておこう――「アナバシス」は、西南戦争で敗走する西郷軍が、宮崎県北部延岡から九州山地に分け入って鹿児島に到達する行程を思わせるが、結末は大いに違う。司馬遼太郎『翔ぶがごとく』は、西郷軍の悲劇的終幕が分かっているので、読んでいて意気が上がらなかったものだ。

ここで話が少し逆戻りする。#37で「題名の『HISTORIAE』がヘロドトスにとって何を意味していたのかは知りたい」と記した数日後、私は最寄りの公共図書館で#38を書き始めた。Wi-Fiの使えるスツール椅子のカウンター席に腰掛けていたので、1時間もすると尻が痛くなった。休憩のために席を離れてヨーロッパ史の棚に行き、古代史のコーナーに目をやった途端、『歴史の父 ヘロドトス』なる書名が目に飛び込んで来た。部厚い本で、背表紙の文字も特大だったのである(新潮社刊)。著者は藤縄謙三という未知の人(実は松平千秋氏の弟子の西洋古典学者)。パラパラめくって、この本は借りなくてはと即断した。論文ではないのだから、「ドン・キホーテ」以外の書物はなるべく参考文献なしで記すつもりだったが、向こうから視界に飛び込んで来たものを無碍にするわけにはいかない。

結論を先に言えば、ヘロドトスの「ヒストリエー」について私が知りたいほどのことは、藤縄氏が書いてくれていた。「ヒストリエー」は、ヘロドトス出身地のイオニア方言では「調査・研究」を意味するようだ。ヘロドトスは「歴史」という著書全体を、「研究ヒストリエーの発表」と称しており、その調査方法は、各地で権威ある人から興味ある事象について聞き知ることだった。彼の「ヒストリエー」は、私たちの使う「歴史」とは意味がずれているのである。事実、ヘロドトスは現在でいう地誌や民族誌の調査を目的に大旅行をしたという説もあったそうだ。思わず首肯したくなるが、藤縄氏はこれを否定し、ヘロドトスは歴史家の名に値すると述べる。大事件の原因を探求する姿勢を持ち、愛着をもって記録をし、かつ保存しようとしていることなどがその理由である。

松平氏が「歴史」の解説にこの辺りを書いてくれていれば、私が頭を悩ます必要はなかった。だが、松平氏は膨大な研究の蓄積から一般読者に対し情報を提供する際、思い切りよく説明や注釈を省略したり、原意を損なわない範囲で翻訳文を分かりやすくアレンジしたりしているようだ。藤縄氏は、同書で、#35の冒頭で引用した松平訳「歴史」序文の「 」部分を、次のように訳している。

「以下は、ハリカルナッソス人ヘロドトスの研究ヒストリエーの発表である。人間によって生起したことが時の経過とともに忘却されぬために、また偉大なる驚嘆すべき業績、その一方はヘレネスにより、他方はバルバロイによって示されたものであるが、その業績の声誉が消えぬために、とりわけ両者が相互に戦った原因が不明にならないために、これを発表するのである」

上記訳文は松平訳より原文に忠実なようだが、これでは私が「ギュッと心をつかまれてしまう」ことはなかっただろう。藤縄氏は私訳について、「原文は複雑」で「その構造のとおりに日本語で再現するのは困難」だが、「論理構成の忠実な再現を目指して……試訳しておく」と記している。松平訳は意訳とは言えないし、まして「超訳」なんかではないわけだが、原文の「論理構成」からは逸脱しているようだ。私は、藤縄氏が、岩波文庫「歴史」の松平訳に不満があるのでは、と思ってしまった。「邪推力」が妙に発達している私には、両氏の関係に何か不穏なものが漂っている気がする。ゴシップ話みたいだが、ちょっと面白いので、次回に続ける。

驚くべき声、歴史の影  #40

クセノポンの戦記「アナバシス」から聞こえて来る声に耳を傾けてみよう。#38で触れた重装歩兵が進撃する際の歌声もその一つだ。また、「アナバシス」の中では、戦場の蛮声とは違う種類の声が繰り返し聞こえる。リーダーたち、特にクセノポンの行う演説である(前回引いた箇所はその一例)。古代ギリシアの人々が議論や演説を好んだのは言うまでもない。ポリス内で哲学者やソフィストが対話をし、政治家が演説を行い、市民が議論をする。さらには軍隊の指揮官までもが、士官や兵士を動かすのに言葉を駆使するのである。

戦場においても、指揮官は、部下の士気を高めるのに、情に訴えるだけでなく、理に叶った演説をしなくてはならないのだ。生死のかかった局面でも理屈をこねているのだから、変と言えば変な人たちだ。同道していたペルシア軍のティッサペルネスに裏切られ、不案内な場所で敵に囲まれて途方に暮れるギリシア軍の隊長たちに対し、クセノポンが行った演説の一部を聞いてみよう。

「明らかにわれわれを陥れようと謀(たくら)んでいるティッサペルネスに案内させるのと、捕虜にした男達に案内を命ずるのと、どちらが良策か考えてみるがよい。捕虜ならば、われわれに関わる過ちを犯せば、即ち己が身、己が命に関わる過ちを犯すに外ならぬことを承知しているであろうからな」最早ティッサペルネスの助力は期待できなくなったが、この先の道案内なら捕虜にだってやらせられる、というわけだ。ギリシア人には、こうした危機に際しても、煽り立てるのではなく、合理的で筋の通る言葉が有効だったようだ。

戦場での蛮声や、リーダーたちの演説は、戦記にはつきものと言ってもいい。しかし、私は、「アナバシス」の作中、全く意想外の声が突如として響くのを聞き、心底驚く経験をした。それも二度。この章では、その最初のものを取り上げる。ギリシア傭兵隊がティグリス川の支流を渡河し、敵陣を突破する作戦を実行しようとする場面である。指揮官ケイソリポスが命令を発し、麾下の部隊は川に向かおうとしている。

「全軍の将士が戦いの歌(パイアーン)を高らかに唄して鬨の声をあげ、それに合わせて女たちもみな叫んだ――隊中には多数の娼婦がいたのである」

女? え、娼婦? どういうこと? それまでギリシアの軍勢に女性、娼婦が含まれることは書かれていなかったので、その存在に当惑し、同時に彼女ら娼婦が将兵と共に鬨の声をあげたことに驚いたのだ。しかし、冷静になってみると、女性が隊中にいても不思議はないと思わせる記述は前にあった。私が耳折りをしたのは、下記である。指揮官たちは進軍の遅れや食糧不足を防ぐため、捕虜の多くを釈放し、荷物の軽量化を図る。

「隘路に監視兵を立たせて、持ち去ることを禁止してある品を発見すると、これを没収した。兵士たちはおとなしく命に服したが、たとえば美貌の少年または女に懸想(けそう)した男が、監視の目をくぐって連れていくような例外はあった」

敵方から美少年や女性を徴発したという記述は他にもある。しかし、禁令を犯すほどに恋慕した女性を隊中で売春婦にしたとは考えにくい。そもそも、美少年は兵士として紛れこませることはできるだろうが、女性が隊中で例外的な存在であったとしたなら、その存在を隠すことは難しいだろう。莫大な距離を移動する軍隊に娼婦が多数同道しているというのも違和感がある。翻訳の問題かもしれないので、少々調べてみた。

「アナバシス」の前に、「一万人の退却」と題された和訳が出ている(筑摩書房『世界文学全集5』昭和52年)。部分訳だが該当部分は入っている。そこには「軍隊の中には芸者が大勢いた」とあった(風間喜代三訳)。違和感どころではない。これは芸者=娼婦とする意訳なのだろうか。芸者という語のこうした使い方は最近まずしないので、違和感はいや増す。とはいえ、こうなるとやはり原語は「娼婦」で正しいのだろうか。

英語訳を調べてみた。ネット書籍などでいくつかの訳を見ることができたが、この語の訳し方は、どれも同じだった。下記は、その一例(H.G.Dakyns訳)。”with the notes of the paean mingled the shouting of the men accompanied by the shliller chant of the women, for there were many women in the camp”「women」に「comrade-women」という註がついている。和訳は、単にwomenと訳されるべき語を「娼婦」と意訳したのだろうか? ただし、複数形womenには、辞書によれば「セックスの相手をする女性」という意味もある。「comrade-women」というのもよく分からない。「同志の女性」は一緒に戦闘に参加する仲間ではなく、戦士の身近にいて世話をし、セックスの相手ともなる女性という感じか。

論文や批評を書いているのではないので、これ以上の詮索はやめる。ただ、戦史や戦記に大書されないので目が向けられることは殆どなく、ただいびつな形で一部の注目を集めて来た「戦場における女性」の問題を考えるには、古代からの戦争の歴史の見直しが必要だと思う。軍隊はたいてい血気盛んな若い男性の集団であり、彼らのセックス処理をどうするかは大きな問題だった。

戦いに負けた集団に属する男性が虐殺される一方、女性は生かされたという旧約聖書等の記述は、そうした問題の所在とある種の解決法を示唆しているだろう。女性は「戦利品」でもあったのだ。戦場を移動する部隊と共にある女性の存在、その実態は謎のままに残されている。彼女らは断片的な記述の向こうにしか見つけられない。そこには歴史が目を向けることのなかった影の領域が広がっている。

「アナバシス」における傭兵部隊と女性との関係について少しだけ考えてみよう。彼らがギリシアから愛人を同行させていたとは考えにくい。道中「調達」したと考えるのが自然だ。現地の女性と恋仲になることは恐らく例外で、「徴発」が普通だっただろう。また、売春を業とする者が軍隊に随伴する場面もあったと思える。戦闘集団の道連れとして、強制的にであれ運命共同体の一員と化した女性ならば、戦士と共に鬨の声をあげても不思議ではなさそうだ。

クセノポンによる人物スケッチ  #39

「アナバシス」は戦記なので、指導者についても当然触れられる。ある時、ギリシア傭兵隊の指揮官クレアルコスは、ペルシアの将軍ティッサペルネスの陣地に招かれる。これは奸計で、訪れたクレアルコスらはそこで処刑されてしまう。殺されたクレアルコスらについて作者クセノポンの記した人物スケッチが興味深い。

総指揮官であるスパルタ人クレアルコスは、無類の戦争好きだった。軍隊の指揮官として抜群の資質を持ち、特に物資や糧食の調達に長けていた(ただし注釈には、激しい徴発で女子供を餓死に追い込んだとある)。常に峻厳、苛烈だったが、戦場で敵に対する時には力強く非常に頼もしかったので、部下たちは彼の指揮に全面的に従った。だが、粗野で人を惹きつける魅力がなく、戦場での危機を脱するや否や、部下たちはたちまち他の指揮官の元に走った。「彼は親愛の情や好意をもって従う部下を持つことは嘗てなかった」

テッサリア出身の指揮官メノンの部下たちは、クレアルコスを殺そうしたことがあった。しかし、その咎を許されて以降もメノンはクレアルコスに従っていた。しかし、ペルシア陣営行きに同行したのは、クレアルコスを裏切って一人だけ助かるためだった。

メノンは「率直や正直は馬鹿と同義語だと考えていた」「警戒している敵から財物を取るのは難しい」ので、無警戒の味方から持ち物を奪うのを上策とした。誓約を破り悪事を働く人間は「手剛てごわい相手だとして恐れ、敬虔で真実を守る人間は腰抜けとして扱う」「メノンは人を騙す能力とか、嘘を捏造したり、友人を嘲笑したりすることを自慢していた。平気でどんなことでも出来る人間でなければ、半人前だというのが彼の考え方であった」ペルシア陣営において、他のギリシア人は一瞬で命を奪う斬首刑に処されたが、メノンだけはこうした卑劣さの故に敵からも憎まれ、「悪人として残虐な扱いの下に一年間生き延びた後、死んだ」

クセノポン自身についても、もちろん多くの記述がなされている。敵に内通したとの誤解から、味方の兵たちに石打ちの刑に処せられそうになった時、彼が見事な演説をして説得する部分は、作中のクライマックスの一つである。だが、私が「耳折り」した中に、作者自身に関する部分は意外に少なかった。古来、クセノポンについて、名文家だが自己正当化や言い訳が多いという評があったらしい。私はそう感じたわけではないが、先のスケッチに示したような鋭い評言を自分自身に向けるのは(当然のことだが)難しいし、そんな気は作者にはなかっただろう。下記は、私が耳を折った「作中人物クセノポン」の兵を前にしての演説の一部。

「戦いにおいて勝利をもたらすものは、兵の数でも力でもない。一方が神助を得て相手に勝る旺盛な士気をもって敵に向かえば、大抵の場合他方はこれを迎え撃つことができぬ……戦いにおいて何としてでも生き永らえようと望む者は、大抵は見苦しく悲惨な最期を遂げる……それに反して死は万人共通で逃れ難いものと悟り、ひたすら見事な最期を遂げんことを志す者は、何故かむしろ長寿に恵まれ、存世中も他の者より仕合わせな生活を送るのを私は見てきている」

戦場の逆説、あるいはむしろ「戦場あるある」だろうか? この演説には、クレアルコス亡き後の総指揮官ケイリソポスの絶賛の言葉が添えられる。もしクセノポンが現代日本に生きていたなら、ベストセラーを書いた上に、弁も立つのでメディアで活躍できそうだ。但し、一部からはネトウヨ、レイシストと非難され、やがて言葉尻を捉えられたり、直言を失言と決めつけられてたりして、一線から退場させられる……というところまで想像できる。アテナイ人クセノポンはソクラテスの晩年の弟子でもあったが、スパルタびいきでアテナイに弓を引いたこともあり、裏切り者としてアテナイ追放後ついに故郷に帰ることはなかった。

「アナバシス」で最も印象に残るのは戦闘シーンではなく、苦難の退却行である。敵の来襲を防ぎつつ、一万余の軍勢の糧食を整え(道中、敵対する集落を略奪したことが書かれている)、メソポタミアの熱暑の下で戦っていた軍勢が、全く想定外だったであろう進路、現在のイラン西部からアルメニア南部を通り、酷寒の中を黒海に向かって行軍することになった。一行は、山岳地帯で雪に見舞われる。

「兵士のうち村まで歩き通すことのできなかった者たちは、食事もとらず火の気もなしで夜を過ごし、ここで幾人かの兵士が死んだ……雪のために眼の見えぬようになった者や、寒さで足指を失った兵士たちは落伍していった……夜は穿物(はきもの)を脱ぐのが良策であった。靴を穿いたままで眠る者は、靴紐が足の肉に食い込み、靴が足に凍り付いてしまう」兵たちは革製のサンダルのような履物で雪中を行軍していたようだ。かくして「落伍兵たちは、自分たちはもう歩けぬのであるから、むしろ殺してくれ、と言った」という地獄絵図となる。

「アナバシス」の明快な面白さ  #38

ヘロドトス「歴史」に続いて、クセノポン『アナバシス』(松平千秋訳、岩波文庫)を読んだ。これが面白くて、古い書物の中から生々しい声を聞きたいという願いを満たされ、古代の書物への思いがさらに強まった。どちらも松平千秋訳だったのは、偶然ではなさそうだ。『アナバシス』には「敵中横断6000キロ」という、戦記物や時代小説好きの読者の目を引きそうな副題が付いている。

訳者解説では副題の由来に触れていないが、誰の提案によるのであれ、できるだけ多くの人に手に取ってほしいという願いがなければ、こんなキャッチーな副題がつくはずはない。「イリアス」「オデュッセイア」の岩波文庫版も松平訳で、呉茂一訳から「交替」している。両書も「アナバシス」同様読みやすく、松平氏は平易な訳文を心がける人だったのだろう。少なくとも、私が岩波文庫の販売戦略に乗せられたのは間違いない。

なぜ「アナバシス」が面白いのかについて、謎はない。副題にひかれて読んだ人も満足しただろう。ペルシア皇帝ダレイオス2世の死後、兄アルタクセルクセス2世が跡を継いだものの、弟キュロス(小キュロス)は兄の王位を認めず、戦端を開く。キュロスは優位に戦いを進めたが、自身が唐突に戦死して戦局が一変、キュロスに従っていたギリシア人傭兵1万は、ペルシア勢の中で孤立する。

その傭兵たちが敵中を突破し、死中に活を得るまでの壮絶な記録が「アナバシス」なのである。ワクワク、ドキドキしながら読み進められるので、この本の面白さには謎がないと感じたのである。で、実は書く意欲が少し削がれている。謎について考えると気が重くなるのに(この謎の解明することは自分の手に負えないのではないか)、一方で、すでに解決ずみのこととなると、書く前に意気阻喪してしまう(既に答えの出た謎をうまく説明する作業は単なる労役のように思える)。われながら難儀な性分だ。

軍記は後世に物語化されたものであるから創作の面が強く出るが、「アナバシス」は、実際に副官として奮戦したクセノポンが記した「記録」である。ならば全て事実かというと、読んだ人はそうは思わないはずだ。というのも作者クセノポンが、何というか、活躍しすぎの感があるのだ。しかも、自分のことを「クセノポンが」と三人称で書くので、余計にうさんくさい。もちろん、自らを名前で呼ぶこと自体は珍しいことではなく、#36で「本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが――」という文章を引いたばかりだ。カエサル「ガリア戦記」も同じく、作者は自分を「カエサルが」と三人称で語る。それでも「アナバシス」の作者には好感を持った。自慢する文章が嫌味にならない天与の得な性質を持っていたようだ。

「アナバシス」はまずは目覚ましい戦闘の記録である。高校世界史でギリシアとペルシアの戦争について学んだはずだが、その後、ギリシア人がペルシアで傭兵になっていたとは知らなかった。ギリシア人の軍人としての強さは、当時鳴り響いていたようである。以下、ギリシア傭兵が密集隊形を組んで敵陣に迫ったただけで、恐怖したペルシア軍が敗走する場面。

「両軍の距離がもはや三、四スタディオンほどもなくなった時、ギリシア人部隊は戦いの歌パイアーンをうたって敵陣めがけて前進を始めた。前進するうちに、戦列の一部が列から先へはみ出ると、遅れた部分が駈足で走り始める。同時に全員が、軍神エニユアリオスたたえるときの声に似た叫びをあげると、一人残らず走り出した。幾人かの言うところでは、ギリシア軍は大盾と槍を撃ち合わせて音を立て、敵の馬を脅えさせたという。矢が届く以前にペルシア軍は踵を返して逃走し始め、そこでギリシア軍は全力をあげて後を追ったが、走ってはならぬ、隊形を崩さずに追撃せよ、と互いに呼び交わしていた」

重装歩兵の密集隊形による攻撃は、当時において、弓矢、盾、槍と剣くらいしか武器を持たない軍勢に、鉄製の大型戦車が向かって来るようなものだっただろう。このような戦法はギリシア軍以外には不可能だった。というのも、軍勢が一体となり、高度な戦術を駆使するには、兵はただ命令に従うのではなく、個々が戦法と自らの役割を理解し、さらに「互いに呼び交わ」しつつチームワークを維持する必要があるからだ。そのためには、軍人は「自立した市民」であることが望ましい。こうした資質を持つ者は、当時ギリシア人以外にはいなかった。戦争プロフェッショナル、ギリシア人傭兵の強さの秘密である。