ブログ開始時に風土記について集中的に投稿(#3~#11)した後、さらに補遺を書くつもりだと予告したのは、常陸国風土記の作者を調べようと思っていたからだった……いま「作者」と記した。風土記は、奈良時代初期、中央政府から任国に関する調査を求められた官僚による報告(解)であり、創作物ではない。役所の書類作成者を普通は作者と言わない。出雲の国の報告者は、当時Exelがあれば解を書くのに便利に使っただろう――出雲国風土記の「解」は、例外的に無味乾燥な地誌的な情報を含む完本に近い形で残っており、そんな空想が可能になる。
一方、常陸国風土記の書き手は、時に優美かつ雅趣に富んだ書きぶりを示していて、作者と表して不自然ではない。冒頭から間もなく、湧き出した泉の清冽な水に「倭武天皇」の指が触れる場面を書店で読んで、私は魅せられてしまった(#3)。報告書という性質上、作者の個性は抑制されるわけだが、それでもなお作者の才気は文中に流露している。
岩波古典文学大系版『風土記』(昭和33年に第1刷)の解説では、常陸国風土記の書き手の有力候補として藤原宇合と配下の高橋虫麻呂をあげられている。常陸に着任していた時期と、文章からうかがわれる「遊仙文芸的文人趣味」をその理由としている。宇合は万葉集に歌、懐風藻と経国集に漢詩を、虫麻呂は万葉集にその作とされる歌を多数残す文人なのである。しかし万葉集を読んでも、懐風藻にあたっても、常陸国風土記の「作者」として二人ともピンと来なかった。風土記の文章と肌合いがまるで違うのだ。 続きを読む