旧約聖書」カテゴリーアーカイブ

『女神の肩こり』をKindle化

宮殿のアルファベット』は、レワニワ書房Kindle版の皮切りとなる予定でしたが、第一弾は別の作品、レワニワ図書館特別閲覧室の蔵書『女神の肩こり』の改訂版になりました。すでに11月7日に発売開始しています(アマゾンではなぜか6日発売になっています。アメリカ時間?)。内容は大筋では一緒ですが、縦書きにして照山祥子の陶芸作品も入れ替えをするなど、かなり大きな変更をしています。こちらから、どうぞ

『宮殿のアルファベット』 は、久しぶりに書いた「虎の子」の大作(?)なので、これをKindleで出すためには予行演習をしておく方がいいと考えたのです。制作途中にやはり色々と難問が出て来て、リハーサルをやっておいて良かったとつくづく思ったことでした。税込み250円というお得な(?)産地直送値段になっています。

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『女神の肩こり』 自作解説(3)


レンブラント「モーセと十戒の石板」

女神によって創造された穏やかな世界は、唯一神が物語を人間に吹き込んだことで一変しました。英雄ごっこが戦争になり、恋愛のために嘘をつくようになります。p25物語を通して記憶が共有されると、新しい知恵が生まれた」物語の形を取ると記憶は残りやすくなるようです。そこから知恵が共有され、農牧畜が始まります。富を蓄えることが可能となって、都市、国家、身分制度が形作られていきます。

物語が歴史を生み出したわけです。フランス語では歴史も物語も同じ言葉(histoire)で云々といったことも頭にありましたが、旧約聖書は「物語でありながら、その全体を『律法』として捉え」られるという加藤隆氏の文章(『旧約聖書の誕生』こちらを参照)により動かされたものと思われます。ユダヤ人の国の礎は律法=モーセ五書であり、それは宗教的な掟でもあれば物語でもあるのです。

p27国を統治するため、物語を元に律法を制定した」加藤氏の本から一歩踏み出し――というより逸脱し、「律法を記録するために文字が発明された」なんてそんなわけはありませんが、絶対にないとも言えない……ということにしておきましょう。ちなみにモーセの時代にヘブライ文字は存在しませんから、上掲のレンブラントの絵(1659年)は時代錯誤アナクロニズムです。 続きを読む

『女神の肩こり』 自作解説(2)

ロリーポリー・ロボット

自分の頭の程度を知っているので哲学書はあまり読みません。ただ通常とは違う思考法やおかしな用語に妙に惹かれたりもします。「不動の動者」「一者からの流出」「存在と存在者」等々、『女神の肩こり』の中で、唯一神が「世界を創り出したのは私ではなくあれ(女神)なのだ」(p3)と述べるのは、そうした言葉が歪んで(現実が夢の中に登場する時のように変形されて)現れたものと自分では思っています。

創造主と神とを分け、この世界の創造主は神から生まれたと考えると、世界がこうあるという現実を説明する上で便利な面があります(たとえば世の悲惨、不条理は神のせいではないと言える、とか)。また、神があらゆる面で至高の存在であるなら、世のありよう・・・・ばかりか、世界があるかどうかすら神は関知しないことになります。なので『女神の肩こり』の神は「私に世界など必要ない」(p55)と言い切るのです。 続きを読む

『女神の肩こり』 自作解説(1)

貝殻の中の真珠猫

この1週間ほぼ外出しませんでした。多分ただの鼻風邪で熱もありませんが、喉が痛かったので念のため。元々引きこもり体質なので大してつらくありません。その一方、時間だけはたっぷりあるのに、頭がうまく働かず、新型コロナのニュースに心を奪われていることも相まって、予定していたブログの更新がちっとも進みません。

つまりは『女神の肩こり』自作解説ができなかった言い訳です。サボっていたのは確かですが、準備は進めていました。で、外堀は埋めたものの、その後は攻めるべき敵城をぼんやり眺めるばかりで、出陣できない……できないのか、しないのか、自分でもよく分かりません。これから、進発します。

私が思うのに、『女神の肩こり』のみそ・・は一神教の神に妻とみなされる存在がくっついていることです。多神教であれば、ゼウスとヘラ、イザナギとイザナミなど夫婦神は珍しくありません。一方、唯一神に「妻」がいるのはおかしいと感じられることでしょう。このアイデアを思いついた時、物語は動き始めたのでした。結果、ゼウスとヘラを念頭に置いて……という当初案は吹き飛んだのでした。 続きを読む

『女神の肩こり』正式版を公開

レワニワ図書館の特別閲覧室に、『女神の肩こり』正式版を公開しました。横書き、見開きで読める「絵本」です。一から作り上げたオリジナル作品としては、もう何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりのものです。

短く仕上げて、2月中にアップするつもりでしたが、途中の3日間、全く先に進めないほど難渋し、予定期日通りとはなりませんでした。短編小説と言っていい長さになったのも想定外でした。制作過程での予期しない展開、書けない時の苦しさやそれを乗り越えた時の安堵といったものを味わったのも、本当に久しぶりでした。 続きを読む

レワニワ図書館、更新を再開

レワニワ図書館を更新しました。今回は、「特別閲覧室」に新作『女神の肩こり』のβ版を配架したのがメインです。その他、「レワニワ閲覧室」の表示の不具合を修正するなど、細かな手を入れています。

これからもゆったりしたペースで更新を続け、蔵書を増やしたいと思っています。PDFの蔵書の閲覧方法についても改良ができればと考えていますが、これは研究課題というところです。 続きを読む

フランクルとユダヤ教

裸の木々と満開に近い河津桜 近所の公園にて

休止の知らせをしないまま2週間以上更新しませんでした。最後の教員仕事に思ったより時間がかかったのと、旧約聖書との格闘が終わって気が抜けたことが主な原因のようです。ぼーっとしている間に、「新型コロナ」で世界に激変の兆しが……。

頭痛は続いているものの、程度も頻度も前ほどではありません。眼鏡をかける時間が長くならないよう心がけたおかげか、はたまた、やはり旧約から頭を切り離すことができたからなのか。と言いつつ、少しだけ旧約に関連することを書きます。

経緯は省きますが、最近ヴィクトール・フランクル『夜と霧』について考える機会がありました。その際、『夜と霧』にはユダヤ教や旧約聖書について言及が殆どないことに気づいたのでした。ユダヤ人であるが故に強制収容されたことを考えると、不思議です。 続きを読む

旧約聖書をめぐる最後の問い

最初の小学生向け歴史教科書 東書文庫サイトより

今回、旧約聖書をめぐる話題で出しそびれていたものを棚ざらえし、旧約を終わりにします。とんでもない難物だったので、ここまで来られてホッとしています。一方で、終わるのが残念な気もしないではありません。何しろ凄い格闘相手だったものだから、悪戦苦闘したこと自体がいい思い出になっているのです。なので、いつかまた旧約に触れることが……いや、もうこんなきつい思いはしたくないかな。

棚ざらえの最初は、前回の続き。聖書の記述がいつ日本の歴史教科書に載るようになったのか気になりました。調べると、早くも明治5年、文部省の最初の歴史教科書『史略』に記されていました。「酋長」アブラハムのカナーン居住から、出エジプト、ダビデの王国、バビロン捕囚を経て、「耶蘇教の祖師」=イエスの刑死に至るまで(簡潔で見事なまとめ)。

西洋において聖書の内容は歴史的事実とみなされていましたから、それが導入されたのでしょう。実証を礎とする近代的な歴史学はまだ緒に就いたばかりです。しかし、以来150年近い時が流れた現代日本で、聖書の記述はなお歴史的事実であるかのような扱いを受けています。これこそ奇跡かもしれません。 続きを読む