ナボコフ」カテゴリーアーカイブ

ロシアのハムレット、「青白い炎」の翻訳

オリジナルのミニと翻訳(超訳?)されたミニ

さすがに夢ではありませんでした。「ハムレットとドン・キホーテ」の回に「ロシアでのハムレットの最初期の翻訳では、ハムレットとオフェリアが結ばれるハッピーエンドに改変され……訳者は劇作者で」とした記述の元が見つけられなくなり、夢か妄想かと心配になったのでした。「元」は不明のままですが、ロシアのハムレットについて根拠となる論文を発見しました。

柳富子氏によれば、ロシアでハムレットを最初に紹介したのは18世紀の悲劇作家スマローロフでした。しかし内容は大きく変更されていて、ハムレットはオフィーリアと共に最後まで死にません。柳氏の論文には記述がないのですが、岡部匠一氏は、二人が最後に「幸せにwedded happily結婚した」と書いています(英語論文)。

スマローロフの「ハムレット」はシェイクスピア作のクレジット抜きで発表され、原作者を見破られると、一部が似ているだけだと模倣を否定したそうです。柳氏は劇の概略を記しています。ハムレットは内省をせず、周囲の状況で復讐を先延ばしにするようです。結末では、反逆した娘オフェリアをその父が殺す寸前、ハムレットらが処刑場になだれ込み、父を成敗しようとすると、娘は父の命を取るなら私を殺してからにして、と……。 続きを読む

翻訳と葛藤

本文を一部訂正しました

コロナ禍の影響が、このブログのような片隅にまで及びました。『二重の欺瞞』について検索していたら、合作説を否定する日本の学者の論文があることが分かりました。これは『二重の欺瞞』偽作説に直結するものと思われます。中身を確かめるのに、普段なら国会図書館に行けば一日で片づくのですが、新型コロナの影響で休館中。

6月11日からは抽選で1日200人ずつ入れると開示されたものの、最初の申し込み締め切りはすでに過ぎていました。私のくじ運からすると当たるとは思えず……遠隔複写を申し込みました。これを読んでから#63を書くつもりです。今回は、#61で予告しながら後回しにしていた翻訳について語ることにします。

辞書を引き引き『青白い炎』を解読し、私の読解力が及ばないところは日本語訳を参照するので、ずーっと原文と訳文を行ったり来たりしていました。当然なかなか先に進みませんが、苦労してでも原文を読む方が楽しいと感じていました。 続きを読む

ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』 #61

ナボコフ「青白い炎」は、架空のアメリカ詩人ジョン・シェイドの最後の詩と、シェイドの大学の同僚チャールズ・キンボートによる前書きと註釈、索引からなる凝った体裁の小説だ。註釈と言いながら、ゼンブラ王国の国王やキンボートに関連する記述が過半を占める。国王=キンボートなのか? と読者に謎をかけつつ。

キンボートは単なる語り手=主人公ではない。提示されるシェイドの詩は彼の編集になるものであり、キンボートの語りは註釈という形式によって作中で絶対的な強度を持つ。註釈の多くはアカデミックな視点からは容認されない……いや素人目にもおかしいのだが、シェイドの妻や大学の同僚、シェイドの研究者たちは、シェイドの「最後の詩」という宝物に触れるためには、少なくとも一度この註釈を経由せざるを得ない。その事情は私たち読者も同じだ。狂った信用できない語り手であるキンボートが読者を支配するのである。

実は「青白い炎」はキンボートの自叙伝とも言えるのだが、だからといって全てが狂気に満たされているわけではない。時に美しいとさえ言える「詩と真実」が垣間見えることもある。ナボコフ自身が語っているかのような文学論や、シェイドの詩を介して表明されるキンボート自身の文学への愛など。私が感じ入ったのは、シェイドの誕生日(キンボートの誕生日でもある)の出来事が綴られた181行目の註釈における「描写」だった。 続きを読む

新型コロナとアメリカのナボコフ

ナボコフ「青白い炎」について、「その本はなぜ面白いのか?」1回分の原稿を書き上げたのですが、出来に満足できず没にしました。これまで、うまくいかない場合でも何度か書き直せばどうにかなったのですが、今回は駄目でした。原因は二つあったと思います。

一つは新型コロナ情報の遮断に失敗したこと。アップデートされ続けるニュースやトピックに圧倒され、一旦のぞき見してしまうと情報の流入を止められなくなります。情報を追いかけている内に、書く集中力が途切れてしまいます(こんな状態では、『女神の肩こり』の自己解説など、はるか未来の夢物語のよう)。

二つ目は、ナボコフに関して「余計な情報」を摂取してしまったことです。具体的には『アメリカのナボコフ』(森慎一郎 慶應義塾出版会 2018年)を読んだために、調子が狂いました。私はナボコフ信者を自称しながら、作家その人については本のカバー裏のプロフィール程度しか知りませんでした。 続きを読む

春の雪とナボコフ

突然降り出した春の雪のすごさに呆然とし、新型コロナウィルスに凍えていた心がさらに遠くへと運び去られて、キーボードに指を置いたまま、ただ窓の外を見ていました。その後、花とか心とか考えている内に指が動き出したのは、たぶん西行法師のおかげです。

2月17日のブログに「『新型コロナ』で世界に激変の兆し……」と書きましたが、これが世界史的な変動であることはもはや明らかでしょう。単なる疫病のもたらす変化ではなく、ソ連崩壊以降、1990年代から続くグローバルな変化の到達点であり、さらなる新しい動きの発火点となるだろうという意味において世界史的だと考えます。

世界史のただ中にいるとは、実に落ち着かないもののようです。これはグローバル化の「主犯」ネットのせいでもあります。ついつい新型コロナ関連のニュースやトピック、数字を追いかけてしまい、たちまちの内に時間は飛び去って、頭痛と眼痛に襲われます。目覚めている間ずっと気分が暗く、眠っても悪夢に悩まされます。「やる気満々」だった『女神の肩こり』の「自作解説」は、心と一緒に遠くへ旅立ってしまったようです。 続きを読む