日別アーカイブ: 2019年3月15日

ヘロドトスをめぐる二人の学者  #42

岩波文庫から古代ギリシアの古典が松平千秋訳でいくつも刊行されている。松平氏は1915年生まれ、41年に京都帝国大学大学院を卒業し講師に就任、以後同大学でキャリアを重ねた(2006年没)。『歴史の父 ヘロドトス』の著者藤縄謙三氏は1929年生まれ、53年に京都大学文学部を卒業した松平氏の弟子である(大阪府立大学を経て、79年に同学部教授。2000年没)。松平氏は47年に助教授、58年に教授に就任しているので、藤縄氏は師が30代の少壮助教授だった頃から教えを受けていたことになる。『歴史』、『歴史の父 ヘロドトス』の解説、あとがきには、それぞれ他方の名前が登場する。並べてみよう。

「旧訳(「歴史」松平訳は昭和42年、筑摩書房『世界文学全集10』としてまず世に出た)に加筆するに当って、藤縄謙三氏から極めて有益な教示を得て、明らかに誤訳と見られる二、三の箇所を訂正することができた。ここに記して深甚なる謝意を表する次第である。」

「学生時代から今日までギリシア古典研究の多くの面で御指導いただいた松平千秋先生に対して、深謝の意を表したい。とりわけ先生のヘロドトスの御翻訳のおかげで、ヘロドトスを母国語で速やかに通読することができ、大いに助けられた。ただし本書の中での引用に当っては、私自身の勉強のため、拙訳を掲げることにした。」

双方の文を読んで、師と弟子による麗しいエールの交換と感じる人は、きっと私のような邪推力を育くんで来なかった心の美しい人だ。私にはどちらも含むところのある文章に見えるのだ。まず、松平氏。藤縄氏から「極めて有益な教示」を得ながら、二、三の訂正をしただけとは、どういうことか。藤縄氏から「明らかな誤訳」以外にも指摘があったのに、それらを取り入れなかったのではないだろうか。また、これだけ大部の本であれば、ある程度の誤訳は避けられないはずであり、二、三箇所の訂正だけで「深甚なる謝意を表する」のは大袈裟に見え、違和感を覚える。

続いて藤縄氏。『歴史の……』本文で松平訳を一度たりとも使わず、あとがきでの師訳の評価は「母国語で速やかに通読できた」ことだけである。おまけに、『歴史の……』が刊行された1989年には、京都大学教授として、また西洋古典学において、重鎮といえる立場にあったはずで「私自身の勉強のため、拙訳を掲げる」とは謙遜の度が過ぎている。藤縄氏は松平訳にかねて不満があり、改訳を機会として師に意見を述べたのだが、松平氏はそれに耳を傾けつつも指摘の殆どを受け入れなかったため、「拙訳」を『歴史の……』にちりばめることにしたのでは……と邪推したくなる。

藤縄氏は、『歴史の……』刊行まで「自分の研究者としての生涯の最も充実した時期の十五年間を、主として本書一冊のために費や」したのだそうだ。1972年に師訳の岩波文庫版が刊行されて暫くしてからの15年である。藤縄氏は師訳の問題点を看過し得ず、その翻訳の持つ美味とは裏腹の「毒」を中和することも、本書刊行の意図としてあったのではないか。これも邪推である。

#35で記したように、私は松平訳でなければ恐らく「歴史」を手に取ることはなかった。松平氏の訳は、古典の魅力を分かりやすく伝える点で極めて優れているのだ。氏は、古典を「気楽で平易」に読めるようにする才能を持っており、それは時に物語作家と評されるヘロドトス的なのである。対して、原文を重んじる藤縄氏は、ヘロドトスの後継者だが資料を重視して厳密な「歴史学の父」トゥキュディデスのよう、と対比したくなる……ものの、私はトゥキュディデスを未読なので、これは筆が走りすぎだ。

一方で、対象に向き合う態度において、松平氏は素っ気ないほどクールに見える。私には、大旅行をして各地から奇怪な話を持ち帰ったヘロドトスは好奇心の塊に見えるのだが、氏はその性向について「飽くことを知らぬ知的好奇心と冒険心は」生得でもあれば、イオニア植民地に育った環境によるところも大きいだろうと記すのみである。著者の人間的、個性的な側面にはあまり関心がないかのように。藤縄氏はその面で対照的だ。

藤縄氏は、ヘロドトスを「驚異することの天才」「あらゆることに感嘆し、疑問を抱く」人だったとする。藤縄氏は「ヘロドトスの地理学には……童心のような欲求から発して」いる面があり、その「精神の特徴として……強烈な好奇心」をあげている。我が意を得たり、と快哉を叫びたくなる。氏はさらに、ヘロドトスが「ツキュディデスとは異なり、詩人たちに大きな影響を与えていたらしい」とも記している。詩人たちの末席に連なる小説家のそのまた末席の身ながら、私もまた「歴史」に深く感じ入りました、と賛意を表したい。ところで、言うまでもなく同一人物を、松平氏は「トゥキュディデス」、藤縄氏は「ツキュディデス」と表記しているのである。