カルデニオが登場するのは、「ドン・キホーテ」前編全52章中の第23章においてであり、物語から姿を消すのは終盤の第47章である。「ドン・キホーテ」の最初の7章(正確には第7章の途中まで)が独立した短編小説だったことは、ほぼ間違いないようだ。一方、セルバンテスが短編の続きを書いて長編小説にしようと構想した時、すでに続編の計画があったとは考えにくい。となると、短編に続く長い部分のほぼ半分の間、カルデニオは作中に留め置かれたことになる。これほど長くキホーテの物語に居座り続ける登場人物は、主人公主従と故郷の家族、隣人達を除けば、実のところ他にいない。
ただし、この間、本筋と無関係とみなされることの多い「物語の中の物語」が長々と語られるので、実際の「出演時間」はさほど長くはない。しかし、私見によれば、いくつかの挿入部分も含め、「ドン・キホーテ」(前編)後半部分において、カルデニオは作品を構成する屋台骨の役割を担うことを作者によって期待されていたのだ。このことを明らかにするためには、まず彼がどんな人物なのかを確かめておく必要がある。「ドン・キホーテ」の読者は、カルデニオについて、どれほど思い出せるだろうか?
カルデニオは、何といってもシエラ・モレーナ山中に出没する暴力的な狂人として印象深い。読者として、山中に分け入ったキホーテ主従と共に味わう正体不明の怪物の不気味さは、全編中随一と言える。カルデニオの暴力性は狂気の発作によるものであり、理性が勝っている時の彼は穏やかで礼儀正しく、元は教養もあれば育ちもいい青年であることが判明する。第24章では、狂気と裏腹の善なる性質を見せた直後、主従と、一緒にいた山羊飼いの三人を、強烈な暴力で一気に叩きのめしてしまう。カルデニオの野獣性の面目躍如だが、実はここが作中で彼が狂気と暴力性を存分に発揮する最後の場面なのである。 続きを読む