How Did Shakespeare Read Don Quixote? added to the Rewaniwa Library on April 29. Shakespeare was reading Don Quixote and writing a play. I explore how he read Don Quixote, with Hamlet as an intermediary. This essay originally appeared in the Winter 2021 issue of Mita Bungaku, the literary magazine from Keio University. Translated by Sam Malissa.
先月末、『シェイクスピアはドン・キホーテをどう読んだか?』英語版をレワニワ図書館に配架しました。シェイクスピアは「ドン・キホーテ」を読んで、一つの戯曲を作り出していました。シェイクスピアがセルバンテスをどう読んだのか、「ハムレット」を媒介として探っていきます。「三田文学」本年冬季号掲載。サム・マリッサ氏訳。
訳者についてはこちらをご覧ください(英文)。柴田元幸氏(英文学者/翻訳家/文芸誌編集長)に紹介していただきました。英語版は、執筆をめぐる個人的事情や用語の解説などを省いたので、少し短くなっています。訳された英文を読んだら、自分のものであるような、そうでないような不思議な気分になりました。
これまで、いくつか英訳された自分の作物に接した際には、そのようなことはありませんでした。特に小説においては自分のものでないように感じたものでした。日本語で書く時、文字、単語の一つ一つまでもが血肉のように「私」と不可分のものとして選ばれています。思い通りには言葉を操れないということも含めて、文章は血肉化しているのです。
一方、批評的な文章では伝えたい内容が前提としてあるので、言葉の機能的な面が先に立ちます。とはいえ、言葉は工具のように自在に扱えるものではなく、自分という面倒かつ不器用な主体の内部を経由しないでは文章になりません。なので、こうした場合でも文章は血肉化しているわけですが……血肉をわけた何ものかと表現すべきでしょうか。それで、英訳後も、ある程度は客観視できるために、かえって自分の分身とも感じられるのかもしれません。
さらに、翻訳原稿について訳者とやりとりしたことも、英訳が以前より自分に近くなったと感じられる理由になったようです。これまで自作の翻訳の過程に加わることはほとんどなかったのですが、今回は自分が編集者/発行者でもあるので、質問をしたり、改善のための提案をしたりしました。私の英語力の許す限りで。
いずれ英語版の元になった短縮版も閲覧室にアップすることを考えています。もう一つ、別件ですが、「再び恋に落ちたシェイクスピア」についても、(前に書いたように)このブログの読者にだけ届くような形で限定的な公開をしようと考えています。いつになるか、まだ言える段階ではありませんが。