天平の無名詩人 風土記補遺(2)   #72

ブログ開始時に風土記について集中的に投稿(#3~#11)した後、さらに補遺を書くつもりだと予告したのは、常陸国風土記の作者を調べようと思っていたからだった……いま「作者」と記した。風土記は、奈良時代初期、中央政府から任国に関する調査を求められた官僚による報告()であり、創作物ではない。役所の書類作成者を普通は作者と言わない。出雲の国の報告者は、当時Exelがあれば解を書くのに便利に使っただろう――出雲国風土記の「解」は、例外的に無味乾燥な地誌的な情報を含む完本に近い形で残っており、そんな空想が可能になる。

一方、常陸国風土記の書き手は、時に優美かつ雅趣に富んだ書きぶりを示していて、作者と表して不自然ではない。冒頭から間もなく、湧き出した泉の清冽な水に「倭武天皇」の指が触れる場面を書店で読んで、私は魅せられてしまった(#3)。報告書という性質上、作者の個性は抑制されるわけだが、それでもなお作者の才気は文中に流露している。

岩波古典文学大系版『風土記』(昭和33年に第1刷)の解説では、常陸国風土記の書き手の有力候補として藤原宇合うまかいと配下の高橋虫麻呂をあげられている。常陸に着任していた時期と、文章からうかがわれる「遊仙文芸的文人趣味」をその理由としている。宇合は万葉集に歌、懐風藻と経国集に漢詩を、虫麻呂は万葉集にその作とされる歌を多数残す文人なのである。しかし万葉集を読んでも、懐風藻にあたっても、常陸国風土記の「作者」として二人ともピンと来なかった。風土記の文章と肌合いがまるで違うのだ。

その後、未見だった小学館の新編日本古典文学全集版『風土記』(1997年初版)をのぞくと、解説で、宇合、虫麻呂に代わって石川難波麻呂、春日蔵首老かすがのくらのおびとおゆの二人が、常陸国風土記の成立時期と任期から書き手の有力候補とされていることが分かった。前者については経歴以外不明だが、老の作品は万葉集と懐風藻に採られていて(*1)、万葉集の一首は藤原定家によって『新勅撰和歌集』にも選ばれている(*2)。

亦打山まつちやま夕越え行きて蘆先いほさき角太河原すみだがはらに獨りかも宿む (*3)

花色花枝くわしょくくわしを染め、鶯吟鶯谷あうぎんあうこくあらたし。水に臨みて良宴を開き、さかづきにうかべて芳春をはやす。(*4)

情景を描きつつ、孤愁や季節の喜びといった人間的な感情が控えめに、しかし明瞭に織り込まれている。漢籍の勉強の成果を型通りの感懐に当てはめたような宇合、虫麻呂の作物からは遠い。老は上記のように水の表現に妙味を見せており(他の歌も水とかかわるものが多い)、倭武天皇やまとたけるのすめらみことの指に触れる泉水(#4)を解の始まりに置いた常陸国風土記を連想せずにいられない。「花色……」の漢詩は、常陸国風土記中、筑波山での男女交歓をいきいきと描いて、雅趣と野趣を融合した表現に近いものを感じ取れないだろうか?(#6参照)

虫麻呂は、浦島物語を万葉集中に長歌として残したことで知られるが、その文章からは潮の香りも海の水の感触も一切漂って来ない。民間伝説を神仙思想に合わせてギクシャクした歌の形で記録した、詩というより学術的な営為のように見える。老が漢詩と短歌だけでなく、常陸国風土記の作者であったとすると、彼は天平期に生まれた真の詩人だったと考えていいのではないか。文章を日本語で書くことがまだ難しかった時代に、これほどの表現ができる才能が生まれていたのだ。

――私は世に知られているとは言いがたい本物の詩人を見つけた、と一人悦に入っているわけだが、こうした見解は素人の臆断とみなされることだろう。しかし、私は詩と散文を虚心に鑑賞し、詩人の才能を賛美しているだけであって、歴史や文学の専門家の領域に口をはさむつもりはない。ただ、その時代に傑出していたと見える才能の(小さいが確かな)きらめきが、埃をかぶったまま放って置かれているのは勿体ないと感じてもいる。

風土記の補遺は今回で終わるつもりだったのだが、書きたいことが残ってしまった。春日蔵首老=弁基にもう少し触れたい。また、折口信夫が常陸国風土記を「つまらぬもの」と評していて(*5)、他にも漢文学の借用が多いことから風土記を低く評価する向きが少なくないことにも言及しておきたい(弁護したい)。また、風土記をめぐる個人的な計画が頭に浮かんで来たので、それも書くことにしよう。予告だけで実際にはやらなかったことはいくつもあるけれど……どうなりますやら。

<註>
*1  春日蔵首老のほか、僧侶時代の名である弁基、また春日と記された歌も。
*2  弁基法師の名で。
*3  弁基の名で。『万葉集一 日本古典文学大系4』岩波書店、昭和48年第21-2刷。
*4 『懐風藻 文華秀麗集 本朝文粋 日本古典文学大系69』岩波書店、昭和39年第1刷。
*5 「上世日本の文學」『折口信夫全集 第十二巻』中央公論社、昭和41年新訂版。