日別アーカイブ: 2018年8月25日

かわいそうな風土記?  #3

三浦佑之『風土記の世界』 (岩波新書、 2016年)に、こんなことが書かれている。風土記は「貴重な資料でありながら、読むためのテキストも注釈書も解説書・入門書の類もほんとうに少ない。2013年は同書の編纂命令が出て1300年の節目だったが、ほとんど目立たないままに過ぎた」源氏物語千年という年の、映画やらアニメやらまで登場してのお祭り騒ぎと比べると、まさに「雲泥の差」ではないか……。

私が風土記を読んだのは、角川ソフィア文庫版『風土記』上下二巻が書店の棚に並んでいるのをたまたま見て気にかかったのがきっかけだ。パラパラと中身をのぞき見し、興味を惹かれて購入した。で、読んで大満足した。ありふれた、そして幸福な本との出会いである。このようなことは数え切れないほどあったし、この先もそうあってほしい。

それでも、三浦氏が風土記の不人気ぶりを新書の「はしがき」に記しているのを読んで、驚きはしなかった。風土記が、有名な割に触れる人が少ないことに、薄々勘づいていたからだ。古事記の現代語訳をヒットさせた三浦氏は、その後古事記関連の注文ばかり来る中、岩波新書の編集者から風土記をと依頼があった時に「欣喜雀躍した」と書いている。風土記が軽視されている状況を残念に思っていたのだろう。

しかし、そんな三浦氏の書いた『風土記の世界』は、もちろん風土記の案内・入門書に違いないのだが、読んでいる内、風土記は三浦氏にとって本命ではないのだなあ、と気づかされてしまうのである。同書中、「記紀」について論じる氏の熱心さに比すると、風土記自体の魅力を語る時には、体温が下がっていると感じられるのだ。 続きを読む