ストーリーを成り立たせるもの  #15

前回、私は自分の小説の問題点を摘出し、それを反省していると思われたかもしれないが、それは違います。反省なんか全然していないし、私の小説が分からないという読者がいたら、それは読者の方が悪い。そうだ、絶対にそうだァ!

反省はしていないのだが(他に書きようはなかった)、小説のストーリーがどのように成り立つかについて、浅慮であったことは認めなくてはならない。発端(謎)があり、経過があり、それらを回収して解決すればストーリーができあがる、と私は考えていた。だがそうしたストーリー・ラインだけで読者を納得させるのは、実はとても難しい。

作者が想定したストーリー・ラインは、実際に書き進む過程で無理が生じることがままある。というより、それが普通だ。ストーリーは、他の要素から切り離されて単独で成り立つわけではないのである。歴史だの神話だのを取り入れた壮大な設定にしたあげく、解決不可能になったストーリーがどれだけ多いことか。ストーリー上の無理をどうやって読者に納得してもらうかは、実は筋のある小説における大事な肝なのである。

魅力的な登場人物(この人なら奇跡も起こるはず)、作者への信頼や偏愛(矛盾があるだって? この作者に文句を言う方が悪い)、重厚なテーマ(大問題の前では些細な瑕疵に過ぎない)、独自の文体(何か変と思いつつも、いつの間にか丸め込まれる)。別の言い方をすれば、ストーリーを成立させるには読者に助けてもらうのが上策だし、必要でもあるのだ。

だが、ストーリーやプロットを綿密に練り込むことは可能だとしても、読者の助けを呼び込むような仕掛けを予め準備することは可能だろうか? 有り体に言えば、できる人にはできるし、できない人にはできない。例えば、魅力のない人間が魅力のある登場人物を造り出す可能性は小さいだろうし、人間の魅力を知らない人間には不可能だ。この問題は、煎じ詰めると作者の人格という所に行き着くのだが、人格は努力で改善できたりしない……ので、私は反省しないのだった。

無いものねだりをしても仕方ない。立派な人格、人徳がなければ小説を書いてはならないのだとしたら、作家の数は激減してしまう。人徳がないのは認める、が、そういうしょうもない人間だからこそ、小説という細い一筋の道にすがって生きて来たのであって……。ちなみに岩波日本古典文學体系「日本書紀・上」第十段では、「徳」に「いきおひ」とルビがふられ、註には「身につけた呪力」とある。

話が前に進んでいない。方向を少し変えよう。前回、読者としての私はストーリー指向ではなかったと書いた。幼年時代、「事件記者」に事件は必要なかった。子供時代には「ドリトル先生の動物園」「月は地獄だ!」を偏愛した。後二者には明らかな共通点がある。限定された空間(ドリトル先生邸と月)に、小さな別世界(動物園とサバイバル基地)を造り出す物語であることだ。

また、登場人物(前者では「登場動物」もだが)が多く、強いヒーローやヒロインが存在しない点が同である。私には馴染めない用語だが、「群像劇」という言葉を使うなら、「事件記者」も含めて三者を一まとめにすることができる。ストーリーが嫌いだったわけではないものの、作品の内で「世界」が創造される物語が別格と言えるくらいの好みだったらしい。