ハムレットとドン・キホーテ

ツルゲーネフが「ドン・キホーテは殆ど読み書きができません」と述べた件の続きです。猫の尻尾をつかんだつもりで「問題」をたぐり寄せてみたら、その正体はライオンと判明しました。本気で取り組む必要のあるテーマだったということですが、私の興味の対象から外れている上に、眼痛と頭痛も去りません。逃げます。逃げますが、行きがかり上、突如現れたライオンについてできるだけ簡略に記します。その後で、前回述べた「二つの可能性」に触れることにします。

昭和23年初版の岩波文庫『ドン・キホーテ正編(一)』には、スペイン語原典から初めて日本語訳を行った永田寛定氏による詳細な解説がついています。中でツルゲーネフの「ハムレットとドン・キホーテ」に触れていると知り、先日入手しました(昭和46年改訂版)。その「名高い講演」は解説の主要な話題の一つだったのですが、私がおかしいと感じたことについては、片言もありません。訳者の永田氏が気づかなかったはずはないのに、どういうことでしょうか?

永田氏の解説の主題は作者や主人公などの人物論であり(主人公=作者と強調されます)、作品と歴史や社会とのかかわりについてです。その点において、実は1860年にロシアで行われたツルゲーネフの演説と相似です。自己にとらわれていっかな行動しようとしないハムレットと、自らを顧みず「大義」のために生きるキホーテとの対比は、時も距離も言語も超え、戦後日本においても有効だったのです。それは民衆のために身を捨てる革命家と、内省の内に生きて傍観者となる知識人の比喩でもありました。

一方、キホーテの騎士物語への偏愛についてはごく僅かしか触れられません。フローベールのボヴァリー夫人は「スカートを穿いたドン・キホーテ」だと言うオルテガ・イ・ガセットの言が引かれるものの、二人の主人公が書物に没入して現実を見失うという共通点には着目しません。恐らくポストモダンなどという言葉がさかんに飛び交い始めた1980年代頃まで、永田氏のように小説を読むのは当たり前のことでした。私にも記憶があります。

つまり、人がどのように生きるか、作品の社会的な意義といった事柄に較べれば、主人公と書物の関係など些事に過ぎなかったのです。永田氏に限らず、ドン・キホーテの読者にとって、ツルゲーネフがキホーテを文盲扱いしても、たかが騎士道小説を読んでいたに過ぎないのだから、小さな誤差に過ぎず、指摘するほどの問題ではなかったということです。

書物の読み方が50年ほど前頃から大きく変わったことに、私は今回無意識だったようです。その変化の意味や度合いについて考えるのは価値のあることに違いありません。しかし、私の仕事ではなさそうです。この後、「二つの可能性」について述べることにします。

翻訳がひどかった可能性はあります。原作を尊重した正確な翻訳は、現代においても常に期待できるわけではありません。まして19世紀以前においておや。ロシアでのハムレットの最初期の翻訳では、ハムレットとオフェリアが結ばれるハッピーエンドに改変されていて……と例をあげようとしたのですが、この記述を含む記事が見つかりません。つい先日、読んだはずなのに。

私の妄想あるいは夢だったのか……訳者は劇作者で、と記憶は余りに鮮明です。この件は今は措きます。ともあれ、ドン・キホーテの翻訳においても、省略や改変はどの国でも当たり前であり、ツルゲーネフが自国の翻訳のひどさを嘆いたのは、実はこうしたことの反映でした。実際には多くの国で似た状況だったのですが(なお、イギリス初のシェルトン訳は原作に忠実でした)。

ただ、ツルゲーネフがキホーテは殆ど読み書きができないと思い込む程まずい翻訳だったのかとなると、疑問が残ります。騎士道小説の件をすっぱり省略すると、主人公の旅立ちの理由が説明できなくなるからです。私は、ツルゲーネフがハムレットとキホーテの二人を対照させるにあたって、キホーテの人物像を誇張したのだと推察します。

ツルゲーネフが二人の主人公について述べたのは、ロシアの演説会場においてでした。聴衆がキホーテを単なる滑稽な喜劇的主人公と思い込んでいることを、彼は分かっています。当時も現在も、ロシアでも、実はスペインでも、本当にドン・キホーテを読んだ人は少数です。そしてツルゲーネフと聴衆は、民衆のために身を捧げるのが正義であるという観念を共有していました。

ツルゲーネフはもちろん、聴衆もインテリでした(でなければ理解の難しい内容です)。自己に没入して行動しようとしないインテリ、ハムレットは否定され、逆に、単に笑いもの扱いだったキホーテが、他者のために自己犠牲をいとわない人物として称揚されます。実際にはキホーテもインテリでしたが、ツルゲーネフはキホーテを正義の側に立たせた上で、さらに一歩、あるいは数歩、民衆の方に近づけたのでしょう。民話の登場人物のように、愚鈍に見えて実は真の知恵と徳のある者として。

ツルゲーネフは、欧米の都会に住みながら主な仕事先である故国の政治や社会について高説を述べる現代のミュージシャンのように、フランスに住みつつ、時に故国に帰って演説会に臨んでいました。「ハムレットとドン・キホーテ」は文学の歴史に残る論弁となりました。

ツルゲーネフはフランス在住のスペイン人歌手の才気と歌声に惚れ込んでいたそうです。彼女は人妻で、キホーテの思い人であるドゥルシネアのように不美人でした。ツルゲーネフはその家庭に入り浸り、執事然と――物語の騎士のようにと言うべきでしょうか?――他人の妻とその家族のためにつくしたのだとか。ツルゲーネフがドン・キホーテの翻訳に従事したいと語ったり(『ハムレットとドン・キホーテ』訳者解説)、キホーテを持ち上げたりしたのは、こうした私生活とかかわりがあるようにも思えます。