近代の白々とした光に照らされて、旧約聖書の虐殺の記述は暗い影の下に入ってしまった。それより前の時代なら、こんなことは取り立てて問題にするほどではなかったかもしれない。しかし、時代は変化する。大きくは近代化、ヒューマニズムに向かう歴史の流れの中で、また第二次世界大戦におけるユダヤ民族の悲劇が大きく作用して、そうした記述は隠蔽しておくべき秘事となったようだ。一方、日本書紀は、似たような歴史の流れにより、しかしそれが逆方向に作用して隠蔽の対象になったのだった(#22参照)。
旧約聖書と書紀は、私には何か妙な具合に似ている、不思議な共通点があるように思える。旧約と書紀が似ているなどと言うと、日本ユダヤ同祖論みたいなとんでも説かと思われるかもしれない。しかし、そういうことではないつもり。以下、両者の相似点、共通点を三つを挙げてみよう。
第一は、正反対の方向においてであるが、両書がともに政治的な意図に基づいて編まれたことである。先に引いた『一神教の起源』で、山我は「王国、王朝、神殿、約束の地の喪失という絶望的な状況のもとで……ヤハウェ信仰の正当性を論証」するために「ありとあらゆるレトリックを駆使」した「作業」が行われたと書いている。
吉田一彦は『「日本書紀」の呪縛』 (集英社新書)において、津田左右吉を引く形で、書紀は「編纂された時代の思想を表現した史料としてとらえるべき」と述べ、「天皇制度の成立にともなって、天皇の正当性や氏族たちの正当性を述べる政治的な創作物として作成された」とする。両者とも、それぞれの政治的意図に基づき、天地創造や国生みといった神話的記述に始まって、編まれた当時の「記録」に至る「文書集」が作成されたというわけである。
第二は、ユダヤ人と日本人が、両者とも、その長い歴史において、それぞれの「民族」の起源神話を生かし続け来たということである。両者の歴史的運命は正反対というべきものなのだから、この共通点は驚くべきことと言える。ユダヤ人は、長く続く民族離散という過酷な状況下において、その民族的一体性を保つ根拠となる聖書(キリスト教的には旧約聖書)を律法、教典として守り続けた。一方、日本では、他民族の支配を受けることがなく、また朝廷を滅ぼすほどの劇的な変革がなかったために、書紀は国家の起源を語る「正史」として命脈を保つことができたのだった。
両書とも長い時間を生き抜いたことによって、近代という「民族」が「発明」された時代において、その政治性がクローズアップされることになった。明暗が、第二次大戦を境に逆転したこともまた不思議な「因縁」である。ドイツによるユダヤ人虐殺→イスラエル建国。皇国史観→自虐史観。ここでも、明と暗は両者で逆方向を向いている。
旧約と書紀の第三の相似点、共通点を挙げるとしたら、どちらも異国の地にある人の手で書かれた部分があるということだ。「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」(旧約詩編137)という悲しくも美しい詩行は、バビロン捕囚の憂き目に遭ったユダヤ人たちの嘆きの歌だった。旧約の創世記、モーセと出エジプトなどユダヤ教・キリスト教の信者でない者にもよく知られた箇所は、彼ら囚われれのユダヤ人によって書かれたのだった。
ちなみに先の詩は、エルサレムの破壊者であるバビロニア人や裏切り者らへの恐ろしいほどの復讐の祈りで終わる。「娘バビロンよ、破壊者よ/いかに幸いなことか/お前がわたしたちにした仕打ちを/お前に仕返す者/お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は」
一方、書紀では、朝鮮半島南部の諸国から亡命した人々やその子孫、また彼の地に住まっていた帰国者が編纂に加わっていたと考えられる。書紀後半における朝鮮半島の情勢や人の往来をめぐる煩瑣と思えるほどの記述の量の多さ、詳しさは、そうした人々の望郷の思いから来たとは考えられないだろうか? 唐に対し、日本が極東の宗主国だと見せかけるための捏造とする説もあるようだが、朝鮮半島とのやりとりの記述はまったき創作にしては念が入りすぎの感があり、私にはこのように考えた方が納得しやすいのである。